「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

台湾「高砂義勇軍」慰霊碑の今

2016-05-24 05:45:06 | 2012・1・1
小ブログを通じて知り合った関西在住のIさんから最近、台湾を訪れ、烏来(うーらい)の「高砂義勇軍」慰霊碑に詣でてきたと、お手製のカラー写真入の訪問記を頂戴した。「高砂義勇軍」とは台湾の原住民「高砂族」が、大東亜戦争中、「陸軍特別志願兵」制度に応募した若者たちで、戦争末期、約20万人が主に南方の激戦地のニューギニアやモロタイ島などに出征、うち3万人が戦死したといわれている。

烏来は台北から日帰りできる観光地で、ここに住む「高砂族」の人たちが戦後、慰霊碑を建てたが、10年ほど前、碑を管理する観光会社が倒産して慰霊碑が撤去されることになった。これを知った「産経新聞」の呼びかけで、別の場所に移転されたと聞いていた。Iさんは一人旅で、バスに乗って烏来を訪れ、現地の観光案内所に尋ねると、慰霊碑は昨年の台風で全滅しという話。ここまで来て引き返すのは残念だと思ったが、街の中の喫茶店で聞くと、「高砂族」の主人が慰霊碑の近くまで車で案内してくれるという。Iさんはそこから、人気のない山道を一人で1キロほど歩いて碑の前で合掌されてきた。

Iさんの烏来慰霊の旅の記を読んで考えさせられた。戦後70年、あの戦争も過去のもになりつつあるのだ。当事者の現地の観光関係者ですら、慰霊碑について間違った情報を与える。多分、Iさんのような奇特な日本人は少ないのに違いない。テレビの旅行番組を見ていら、今、日本人の間で、台湾の”昔の日本”がブームだそうである。確かに、今まだ残る台湾総督府や台湾銀行などの建物、旧台湾神宮跡、士林農事試験所跡などはすばらしい観光資源であるが、同時に烏来慰霊碑も当時を知る上での遺産である。僕も機会があれば、是非訪れたい。