”バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラが 淋しかった 僕の庭に バラが咲いた”(マイク真木歌 浜口庫之介作詞作曲 昭和41年)。フォークとかJポップといった新しい音楽にうとい僕だが、半世紀も前のこの歌を憶えていて歌えるのは不思議だ。
昭和41年という年は2月から3月にかけて全日空とカナダ航空の羽田沖墜落事件、BOAC(英国海外航空)富士山上空空中分解事故、と三件もの大きな航空事故が続発している。そんな中で僕は2月末、インドネシアへ新聞社の特派員として出発、翌年までジャカルタに滞在した。従って、僕はこの歌が流行していた時、日本にはいなかったのだが、長い人生の中でも忘れられない一年だから、この歌を覚えているのかもしれない。
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今思うと、この時代は高度経済成長へ向けてスタートラインについた頃だった。もはや”戦後の時代”ではなくなっていたが、今のように庶民がガーデニングを楽しむ心の余裕はまだなかった。この歌の歌詞が象徴するかのように、まだ僕の家の庭も淋しかった。それ以前、戦時中は防空壕が掘られ、カボチャの茎が這っていた。それを思うと、改めて今の平和な時代に感謝する。