「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ダイエー碑文谷店への挽歌

2016-05-03 06:00:04 | 2012・1・1

近所のダイエー碑文谷店が5月5日で閉店し”イオンの店に生まれ変わる”そうで、あと幾日セールの広告が毎日、新聞に折り込まれてくる。早速、老妻が娘と一緒に名残を惜しんで買物に出かけてきたが、思ったほどの人出ではなかったそうだ。ダイエー碑文谷店は昭和50年(1975年)、ダイエー.グループの「巨艦店」としてオープンした。地上7階、地下1階の大型店で、駅から遠い、こんな辺鄙(へんぴ)な場所で果たして商売になるかと当時話題になった。

わが家は昭和47年、僕の札幌転勤でオープン時は知らないが、56年10年ぶりに帰京すると、オープン時の危惧をよそに店が繁盛しているのに驚いた。店のあたりは、私鉄の駅からも遠くて開発が遅れ、戦時中は高射砲陣地があった地、昭和30年代でもまだ竹林や田畑まであった。建物も当時、ブームだったボーリング場として設計されたものだった。

開店して41年、その間、日本の経済はバブルがあって、やがてそれがはじけ、長いデフレ期から脱却できない。一時は日本の小売り業界を席捲したダイエー.グループの碑文谷店は「巨艦」であり、米国から農務長官も視察にくるほど、グループの象徴でもあった。まさか、その「巨艦」が、他の企業に乗っ取られるとは想像もしていなかった。挽歌を送りたいがその言葉もない。