「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

夜の旧友会に参加 60年前の大手町(東京)界隈懐古

2016-11-01 05:35:21 | 2012・1・1
昨夜、学校を出てすぐ16年間勤めた新聞社の旧友会に出席した。夜の会合に参加するのは今年初めてだが、もともと夜型人間だっただけに久しぶりに先輩(ほとんどいなくなったが)や同僚と杯を交わすうちに、若かった頃の元気を取りもどしてきた。が、やはり齢である。二次会には行かず、家が同方向の旧友と割勘でタクシーに乗りまっすぐ無事帰宅した。

昔、勤めていた社屋は10数年前、都市再開発で壊されたが、地下鉄出入り口には昔の面影が僅かに残っている。先代の社屋は昭和30年11月新設され、有楽町のガード近くの老朽のビルから移転してきた。当時の大手町界隈は空襲の焼跡が、まだ進駐軍のモーター.プールとして残っていた。先代の新社屋は、国有地だった、そのモ-ター.プールを払いさげられ建てられたものた。周囲にはまだ高層建築は少なく、7階建ての新社屋と隣接のホールは、昭和30年代の象徴的な建物だった。

昼休みには、僕らはまだ残るモーター.プールで野球の真似事などして遊んだものだが、今はフットサルに変容していた。困ったのは昼食を食べる場所が少なったことだ。大手町ビルが完成したのは32年4月で、やっとビル内に、デパートが経営する大衆レストランや中華食堂が出来、神田駅まで食べに行かずに済んだのを憶えている。

ネットで調べたら、今や地下鉄の駅に直結して温泉まであるそうだ。60年前、新聞の最終版が刷り上がった後、屋台のおでん屋で強い酒を煽り、会社の蚕棚のベッドで仮眠したことが想い出された。元気だった20歳代の事が。