「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

70年前の二子玉川 学校農場でコイ桶担ぎ

2016-11-05 07:11:42 | 2012・1・1
秋晴れの昨日、二子玉川の高層ホテルの30階レストランで、旧制中学時代の同期会を開いた。戦争中、勤労動員などで苦楽を共にした仲間である。53名のクラスだったが、70年の歳月を経て、集まったのは9人にすぎない。まだ元気な者もいるが、足腰が弱くなったり、耳が遠くなったりで参加できない者もいる。が、一方、すでに30人以上もが鬼籍入りしている。

二子玉川は僕らにとって、想い出の地でもある。手元に「大東亜戦下2年C組の記録」という小冊子(写真)がある。この表紙には僕らが昭和19年夏、多摩川河川敷に学校農園を開墾した時の集合写真が使われている。皆、戦闘帽の学帽にゲートル姿である、僕らは河川敷の荒地を開墾し、コイ桶を天秤棒で担いで堆肥し、サツマイモやトウモロコシを作った。

会場のホテルの地近くには落下傘塔があり、銃後の少年の僕らはパラシュートをつけて地下に降りる遊びごとの訓練をした。戦後、この落下傘塔は解体され、江の島の観覧塔として使われていたが、数年前、これも解体されスクラップされたと聞く。落下傘塔脇には大正時代に作られた「玉川プール」があった。戦前、このプールでは極東大会(アジア大会の前身)が開かれたり、初代ターザンのワイズミラーが泳いだりした。

今はサンライズなど高層建築が並ぶショッピング.モールに変容したが、70年前の駅前は、日曜休日でさえ遊園地を訪れるものが少なく閑古鳥が鳴いていたのを想い出す。ホテルの30階レストランで、ささやかに乾杯を交わし、お互いの長寿と平和の世を祝しあった。