
頂いた柿は「柿の木坂」原産である。と、いってもあの昭和30年代初め青木光一が歌ってヒットした「柿の木坂の家」に出てくる「柿の木坂」ではない。「柿の木坂の家」(舩村徹作詞 石本美由紀作曲)は舩村が生まれ故郷の広島県大竹市の村を歌ったものだ(目黒区柿の木坂町誌)。歌詞に出てくるように、家は駅から三里もあるが、東京の柿の木坂は駅(東急線都立大学)から僅か300メートルちょっとしかない。
わが町、柿の木坂の町誌によると「柿の木坂」の地名は200年前の古地図にも出てくるそうだが、由来についてははっきりしない。戦前は東京府荏原郡碑衾町の一つ字名だったようで、今は目黒通りが走っている。僕は昭和20年3月から柿の木坂の家に住んでいるが、引っ越してきた当時は、目黒通りも戦争で工事が中断され、柿の木坂周辺は舗装されていなかった。バスも木炭車が走っており、船田徹さんの故郷と同じような風景が見られた。
残念ながら、今は目黒通りの柿の木坂沿道には柿の木は見られない。でも、目黒通りから一歩入ると、柿の木があり、目黒区の総合文化施設のホール名には、英語で柿を意味するパーシモンというしゃれた名前が付けられている。”柿食えば想い出す、木炭バスのエンジン音黒煙”