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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「柿の木坂」で獲れた柿

2016-11-11 05:54:20 | 2012・1・1
ご近所の家から昨日ヘタのついた新鮮な柿を頂戴した。家の裏の小道を挟んだ高台のお宅で獲れたものだ。小道は区道だが、清掃車が来ないので、老妻が時々落葉などを清掃しているお礼なのだ。都会では最近こうした近所同士のお付合いが減ってきているが、わが町はまだ幸い良習が残っている。

頂いた柿は「柿の木坂」原産である。と、いってもあの昭和30年代初め青木光一が歌ってヒットした「柿の木坂の家」に出てくる「柿の木坂」ではない。「柿の木坂の家」(舩村徹作詞 石本美由紀作曲)は舩村が生まれ故郷の広島県大竹市の村を歌ったものだ(目黒区柿の木坂町誌)。歌詞に出てくるように、家は駅から三里もあるが、東京の柿の木坂は駅(東急線都立大学)から僅か300メートルちょっとしかない。

わが町、柿の木坂の町誌によると「柿の木坂」の地名は200年前の古地図にも出てくるそうだが、由来についてははっきりしない。戦前は東京府荏原郡碑衾町の一つ字名だったようで、今は目黒通りが走っている。僕は昭和20年3月から柿の木坂の家に住んでいるが、引っ越してきた当時は、目黒通りも戦争で工事が中断され、柿の木坂周辺は舗装されていなかった。バスも木炭車が走っており、船田徹さんの故郷と同じような風景が見られた。

残念ながら、今は目黒通りの柿の木坂沿道には柿の木は見られない。でも、目黒通りから一歩入ると、柿の木があり、目黒区の総合文化施設のホール名には、英語で柿を意味するパーシモンというしゃれた名前が付けられている。”柿食えば想い出す、木炭バスのエンジン音黒煙”