「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦闘ではない戦争の悲劇を体験した二人の先人の死

2016-11-20 06:06:18 | 2012・1・1
戦争は戦闘行為だけではない。それに伴う悲劇が多い。その悲劇を体験した二人の先人の死を知った。その一人は「流れる星は生きている」の作家藤原ていさん(98)である。藤原ていさんは同じく作家の新田次郎さんの夫人だが、敗戦とともに、新田さんの勤務先の満州気象台のあった新京から、新田さんと別れ離れになり、3人の幼児を連れ、北朝鮮経由帰国した。その苦難の記が「流れる星は生きている」で、戦後すぐの昭和24年にベストセラーになり、僕も感激して読んだ。

戦後、同じような悲劇を体験した青木正文さん(99)の死を「喪中葉書」で知った。青木さんはジャワ派遣軍の憲兵曹長だったが、戦後の昭和20年10月、中部ジャワのスマランで、原住民の独立争闘に巻き込まれ、女子刑務所に抑留されていた日本人居留民108人が惨殺された事件に遭遇している。青木曹長は事件を知り、すぐ救出に駆けつけたが、間に合わなかった。戦後ジャワでは、原住民たちが植民地に戻ってきた和蘭軍との戦闘に備え、戦争に負けた日本軍の兵器を引き渡せという運動が各地で発生、各地で合計、4千人近い日本の民間人が犠牲になっている。

敗戦時、旧満州を含む「ソ連軍管区」には推定160万人の日本人が居住していたが、突然侵攻してきたソ連軍との戦闘や、不法にシベリアに連行され、強制労働で死亡した人など24万人が犠牲になっている。戦時中、地上戦がなく、兵隊たちの間で”ジャワ天国”と呼ばれていたインドネシアとは雲泥の差である。来月、プーチン大統領を迎えて長門で日露首脳会談が開かれるが、領土問題と同時に過去にこういった問題があったことも銘記すべきである。