学校を出てすぐ16年間勤務した新聞社のOB会に先日出席したところ、入口で”号外辛口〇〇新聞”とレベルに書かれた日本酒の宣伝ビラ(写真)を貰った。活字不況をもろに受けた新聞社の経営は大変である。新聞協会の資料によると、2003年には5000万部あった全国各紙の発行部数は015年には4400万部に激減、06年には一世帯一部だったのが015年には0.8世帯になってしまった。これに伴って、新聞社の最大の収入源である広告収入も06年には1兆円あったのが、今年は6000億円代に落ち込みそうだ。だから各社とも、新聞発行以外の多角経営に乗り出しているようだ。
僕が新聞社に入社した60数年前頃は、明治時代からの”新聞は社会の木鐸たれ”という意識が残っていた。”新聞人は社会の人々を指導する人物になれ、人々を目覚めさせ教え導く人となれ”(デジタル大辞泉)で、”武士は食わねど高楊枝”という変な意識から、新聞人はあまり新聞社の経営などに関心がなかった。
新聞社も活字不況をうけて電子新聞などに力を入れているが、経営の本流には至っていないようだ。しかし、新聞発行だけでは食べていけない時代でもある。読売新聞の渡辺恒雄会長は入社式の挨拶で、新聞社の多角経営の優位性を説いている。今の時代その通りかもしれないが、古い新聞人感覚の僕は、”武士の商法”にならなければ、と心配しないでもない。が、40数年前、札幌の民放局に勤務していた時、競争相手の局がススキノの一角でタイ焼き屋をやり、結構繁盛していた例もある。やり方次第なのだろう。