”喪中につき年末のご挨拶を遠慮します”の喪中葉書第一号が早くも届いた。それも同文のものがご丁寧にも二枚もである。年々、喪中葉書の発送が早まってきた。死亡通知がわりで、喪中葉書を貰って初めて、その人の死を知るケースが増えてきた。生前の付き合いの程度にもよるが、親しかった友人の場合は、何故、もっと早く知らせてくれなかったのかと、遺族に恨み言の一つも言いたくなる。
社会全体が疎遠化している。戦中戦後の中学(旧制)時代、勤労動員や焼け跡校舎で苦難を共にした同期会の幹事役を買って出て、古い住所録を便りに、返信用の葉書を入れて20人ほどに通知を出したが、3人からは、まったくの音沙汰なしである。1通は”宛先人不明”で返却されきているから、手紙が届いているのは間違いない。病床にあるのか、介護施設に入っているのか、あるいはすでに鬼籍に入っているのか判らない。
来年度の新年葉書が売りに出されたが、今年は28億枚、前年比マイナス10.4%で、ピークだった2003年度の44億枚に比べれば激減である。PCやスマートホンの出現で、新年の挨拶の仕方も変わってきたが、確実に疎遠社会が到来している。僕の場合は、加齢もあるが、長年賀状を交換してきた友人、知人の中に、賀状は”今年限りで”という方が多くなってきた。たった年に1回の挨拶だと僕は思うのだが、賀状の交換がなくなれば、相手方との関係は切れてしまう。人生は一期一会である。もっと縁を大切にしたいと思うのは僕だけなのだろうか。
社会全体が疎遠化している。戦中戦後の中学(旧制)時代、勤労動員や焼け跡校舎で苦難を共にした同期会の幹事役を買って出て、古い住所録を便りに、返信用の葉書を入れて20人ほどに通知を出したが、3人からは、まったくの音沙汰なしである。1通は”宛先人不明”で返却されきているから、手紙が届いているのは間違いない。病床にあるのか、介護施設に入っているのか、あるいはすでに鬼籍に入っているのか判らない。
来年度の新年葉書が売りに出されたが、今年は28億枚、前年比マイナス10.4%で、ピークだった2003年度の44億枚に比べれば激減である。PCやスマートホンの出現で、新年の挨拶の仕方も変わってきたが、確実に疎遠社会が到来している。僕の場合は、加齢もあるが、長年賀状を交換してきた友人、知人の中に、賀状は”今年限りで”という方が多くなってきた。たった年に1回の挨拶だと僕は思うのだが、賀状の交換がなくなれば、相手方との関係は切れてしまう。人生は一期一会である。もっと縁を大切にしたいと思うのは僕だけなのだろうか。