「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

めでたく迎えられたのか70年前の新憲法

2017-05-03 06:25:47 | 2012・1・1
日本国憲法が昭和22年5月3日施行されて今年で70周年にあたる。亡父の残した日記帳は欄外に”民主日本の新出発、新憲法けふ(今日)より公布、雨の中、宮城(皇居)前広場で式典行われる”と書いてあるだけ。父が公布と記したのは誤りで、新憲法はすでに前年の11月3日、公布され、この日から施行されたのが正しい。

亡父は「憲法記念日」の5月3日の日記には、上記のように、おざなりの感想を述べているだけだが、憲法が公布された11月3日には皇居二重橋広場で催された祝典に参加、天皇皇后両陛下のお顔を遠くから拝見し、吉田茂首相の発声により万歳を三唱している。父は町内会から貰った招待券で祝典に参加しているが、会場の広場は人で埋まり、その中を進駐軍兵士が”わがもの顏”に整理に当たっていた。厳粛な式典にふさわしくなかったと、その日の日記に記し、さらに次の感想を書いている。

「新聞やラジオにとると、新しい日本に自由と平和をもたらす歴史的なめでたい日であると、吉田首相や色々な名士の話を載せているが、民主日本の前途を祝福しているが、われわれ大衆、なかんずく、私のように戦後の生活苦に悩みにく浪人者にとっては、何がめでたいのか感銘がない。インフレによる物価高、ゼネストといった事象がなくならない限り、新憲法の有難味も平和も自由もない。新憲法を祝うなら、本当の自由と平和の天地となってから、大いにやるべしだ」

ちなみに亡父は明治17年生まれ、当時62歳、明治23年2月11日の明治憲法公布の祝日、祖父に連れられて上野の「がん鍋」という料理屋の二階から憲法を祝う花車行列や夥しい人々の群れを見たと別な書に記してある。新憲法施行当時、僕は旧制中学5年生(16歳)だったが、何故か、特に感慨もなかったし、あまり記憶にもない。