「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

街路樹の躑躅(ツツジ)の花に”戦後”の時代を想う

2017-05-07 05:52:24 | 2012・1・1

自宅から近くの私鉄沿線の駅へ行く途中横断する目黒通りの街路樹の躑躅の花が真っ盛りだ。(写真)つい最近桜の花を楽しんでいたのに季節の移り変わりは早い。僕は今の地に戦時中の昭和20年3月から住んでいるが、戦後数年間、まだ目黒通りは完成しておらず、道路予定地に外地から引揚げて来た人たちのバラック建ての住居兼店舗があった。低地で大雨が降れば、たちまち洪水になるような劣悪の地であった。

引揚者マーケットと僕らは呼んでいたが、昭和39年の東京五輪近くまでマーケットはあった。とくに食糧難、衣類など物のなかった時期には、僕ら付近の住民は、配給外の”ヤミ物資”と知りながら購入、役だったものだった。当時、全国各地に生活に困った引揚げ者救済用のマーケットや飲食街が建てられた。

この時代(昭和21,22年)なぜか、銀座の街路樹、柳を歌った流行歌が二つヒットしている。”青い芽をふく柳の辻に花をめしませ花を”で始る「花売り娘」(21年)。そして”柳青める日、燕が銀座を飛ぶ日”の「夢あわき東京」(22年)である。当時、銀座の柳は空襲でほとんど壊滅し、歌のような柳の街路樹はなかった。

洪水が出るたびに水浸しになった引揚者マーケットの横を流れていた「呑川」は、今は暗渠にされ桜並木が植えられている。躑躅の街路樹をみると、あの国全体が貧しかった時代が、いとおしく想い出される。