東京は連続17日間、30℃を超す真夏日が続いている。テレビの画面には”熱中症注意 こまめに水を飲み、エアコンの調節を”というテロップが流れている。80半ば過ぎの老人は「みんなの体操」の時間なのに”参加”出来ず、ただただ元気な若い女性の溌剌とした姿に見入るだけだ。そんな毎日の生活の中で元気だった戦前昭和の少年時代の回想に耽った。
あの時代には熱中症という言葉は聞かなかった。代りに日射病があり、僕ら子供たちは日中、外へ遊びに行くたびに母親からこの言葉を聞き、ムギワラ帽子をかぶらされた気がする。僕らは駄菓子屋で、鳥もちと竿を買い、虫かごを持ってトンボとセミを追っかけまわした。水分補給をどうしたのか、ペットボトルなどなく、水筒を持参した記憶がない。まだ東京の区部でも湧水があったのだ。
熱中症という聞きなれない言葉を耳にするようになったのは、ここ10数年ではないだろうか。日射病との違いがよく解らないのでネットの辞書のお世話になったがいまだによく理解できない。僕の理解では日射病は”強い直射日光を長時間当たる”ことによって起きる発汗で脱水症、体調調節不能による倦怠感”で、一方の熱中症は”屋外屋内を問わず高温多湿の環境下で起こるもので、日射病は熱中症の一つとある。
だけど、戦前昭和の時代、僕の家もそうだったがエアコンはおろか扇風器のある家は少なかった。住宅環境は今より劣悪だったが、熱中症の話は聞いたことがなかった。熱中症は地球の温暖化による気温の上昇によって発生し始めたものなのだろうか。いずれにせよ、老人は逆らってはいけない。素直に水分を獲り、エアコンの調節に心がけよう。
あの時代には熱中症という言葉は聞かなかった。代りに日射病があり、僕ら子供たちは日中、外へ遊びに行くたびに母親からこの言葉を聞き、ムギワラ帽子をかぶらされた気がする。僕らは駄菓子屋で、鳥もちと竿を買い、虫かごを持ってトンボとセミを追っかけまわした。水分補給をどうしたのか、ペットボトルなどなく、水筒を持参した記憶がない。まだ東京の区部でも湧水があったのだ。
熱中症という聞きなれない言葉を耳にするようになったのは、ここ10数年ではないだろうか。日射病との違いがよく解らないのでネットの辞書のお世話になったがいまだによく理解できない。僕の理解では日射病は”強い直射日光を長時間当たる”ことによって起きる発汗で脱水症、体調調節不能による倦怠感”で、一方の熱中症は”屋外屋内を問わず高温多湿の環境下で起こるもので、日射病は熱中症の一つとある。
だけど、戦前昭和の時代、僕の家もそうだったがエアコンはおろか扇風器のある家は少なかった。住宅環境は今より劣悪だったが、熱中症の話は聞いたことがなかった。熱中症は地球の温暖化による気温の上昇によって発生し始めたものなのだろうか。いずれにせよ、老人は逆らってはいけない。素直に水分を獲り、エアコンの調節に心がけよう。