「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ペナン島の娼婦 英国所有のアンダマンの慰安婦写真

2017-08-07 05:28:45 | 2012・1・1
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(記憶遺産)へ中韓両国などと共同で申請中の英国戦争博物館の慰安婦資料30点が産経新聞(8月6日付け首都圏版1面)にロンドン発記事の中で紹介されていた。その中の一つ、アンダマン.ニコバル諸島の慰安婦の写真が、どこかで見たことがあると思ったら、10数年前、シンガポールの観光地セントーサ島で購入した「The Japanese Occupation 1942-1945」の写真と同じものだった。

アンダマン.ニコバル諸島はインド洋に浮かぶ島々(現在はインド領)で、戦争中は旧日本海軍第12根拠地隊が駐屯していた。文字通り孤島だが、昭和18年,インド独立の志士、チャンドラ.ボースが亡命中のドイツから潜水艦を乗り継いで、この地で自由インド仮政府を樹立している。しかし、戦局の悪化で外部からの補給路がたたれ、戦争末期には住民に餓死者も出て、戦後の連合軍裁判で刑死者も出ている。

日本軍にとってアンダマン.ニコバルは文字通り西の守りの最前線で、特に海軍は北スマトラのサバン島第9根拠地隊と並んだ重要拠点で、長期占領をにらんで、緒戦の勝利時にマレーのペナン島にあった娼家から華僑の娼婦を連行した。英国戦争博物館にある写真の女性もそうで、シンガポールの写真集には1945年10月25日撮影とある。おそらく戦後ペナンに送還するときに撮影されたものだろう。

僕の手元にサバン第9根拠地隊の戦友会誌があるが、その最終号に戦後スマトラからペナンへ慰安婦たちを送還するとき同伴した下士官の手記が載っている。韓国が主張する”性奴隷”の実態とはほど遠い。シンガポールの写真集には何故かアンダマンの慰安婦とは無関係な戦時中シンガポールにあった遊郭の朝鮮人娼婦が紹介されている。まさに歴史戦である。日本側も今からでも遅くない、戦友会誌など、当時の実態を発信すべきである。