「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「東京.戦後ゼロ年1945年―46年」庶民の生活

2017-08-20 05:51:57 | 2012・1・1
”もはや戦後ではない”というのは昭和31年(1956年)の経済企画庁の「経済白書」に出てくる言葉で、当時の流行語となった。しかし、一般庶民の「戦後」のとらえ方は人によって違う。NHKのスぺシアル番組「東京.戦後ゼロ年1945-46年」の予告を見たが、僕にとっては、やはり「戦後」は、このゼロ年である。

亡父が昭和21年8月15日に書いた「敗戦一周年」という随筆があるが、この「戦後ゼロ年」の庶民の生活をうまくまとめているので紹介したい。父の目から見た、この一年間で一番変わったのは日本の軍隊がなくなったことだ。「カーキ色の軍服に長短剣をガチャつかせ、都大路を闊歩していた陸海将兵に代わって、今や進駐軍の兵士が銀座の通りをジープで恰好よく乗り回し、空襲のB-29爆撃機ではなくて輸送機が空からDDT{殺虫剤)をまいているご時世だ」。

「空襲で一面焼け野原になった町にはトタン屋根のバラックが建ち始め、上野、新宿、新橋の駅前には青空の闇市が出現、予科練くずれの若者でにぎわい、一人前千円から何百円と言われる高級料理店もある」「日常物価の値上がりは天井知らずで、湯銭(公衆浴場料金)が20銭から一挙に50銭に値上がり、5銭の葉書が15銭、氷水が一杯3円から5円、カボチャが一つ20円から30円、と、まったく戦慄的な値上がりだ」「食糧事情もだいぶ好転してきたが、連合国司令部の好意によるもので、小麦粉と缶詰によるもので、主食のコメの欠配、遅配で三食トーモロコシの粉だけの日もまだある」

「3月の”旧円封鎖”措置制度で1か月500円生活となったが、依然としてインフレは収まらず庶民の生活は苦しくなる一方、「思想政治の面からは、超国家主義的愛国主義者は公職追放され、民主主義を標榜する新しい顔ぶれになったが、食料危機に便乗した共産党などの不逞の輩も出てきた」

当時僕は旧制中学3年から4年だったが、敗戦で勤労動員から解放された後の「戦後」の、10月一杯、都内の焼跡整理に動員され授業がなかった。その後も食糧難で授業は午前中だけ、教科書もなく、先生が黒板に書く、板書の授業だったが、それでも戦争が終わった喜びの「戦後」を実感していた。