「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「1942年のプレイボール」 8人も戦死してる「中京明石」の選手たち

2017-08-13 05:52:42 | 2012・1・1
甲子園の高校野球が今まっ盛りである。昨日も僕はテレビの前で、かって勤務していた北海道の北海高(南)と滝川西(北)に応援を送ったが、残念ながら二校とも善戦むなしく敗退した。若い人たちが元気溌剌、投げ、打ち、走る姿を見るのは好いものだ。それに戦争体験世代の僕らは改めて野球ができる平和の時代に感謝する。

昨夜NHKテレビの土用スぺシアル.ドラマ「1942年のプレイボール」を見た。戦中から戦後すぐの時代にかけて活躍した野口明、野口二郎ら四兄弟の野球人生を扱ったものだ。この時代、実際にプロ野球を見ている僕には懐かしかった。とくに二郎は戦中の昭和12年夏、13年春の中等大会(高校)優勝投手であり、プロ野球に入っても投げてよし、打っては4番の強打者であった。NHKのドラマは長兄の明が、戦時中応召され、手榴弾演習で肩をこわした話に触れていたが、明は昭和8年、25回の延長戦で明石中学(当時)に勝った中京商業(中京大学付属)の捕手だった。

この不滅の延長戦を戦った「中京明石」のベンチ入りしていた8人が戦争の犠牲になっている。明とチームメートであったセンターを守り、後にプロ野球入りした鬼頭数雄がマリアナで戦死してる。また25回を二人で投げた明石の中田武雄、楠本保両選手も犠牲になっている。

「北」がグアムに弾道ミサイルを撃ち込むと脅かせば、これに対応する用意はできているとトランプが応酬する。もう戦争だけはこりごりである。毎日、高校野球をテレビ観戦しながら平和の時代を享受できる幸せに感謝している。