「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

空襲経験者からみた幼稚なみっともないJアラートの対応

2017-08-31 05:21:18 | 2012・1・1
北朝鮮の弾道ミサイルの発射で12道県にJアラート(警報システム)が発動され、発射を告げるサイレンが鳴り響いた。その時の模様をテレビの画面で見たが、平和ボケしている住民には、あまり恐怖感はなく、戸惑いだけが見られた。戦争中の空襲体験者からみれば、こんな対応で果たして大丈夫かと思った。「北」が”日本中を、うろつかせた”と豪語しているが、みっともない。

専門家と称する人が新聞で”避難訓練を習慣づけること”とか、”シェルターを整備すること”とか言っているが、まるで幕末、開国を迫って来日した黒船騒ぎの時のようだ。無理もない気もする。戦争で空襲を体験した世代は、75歳以上の後期高齢者だけで、日本人全体の13.9%にすぎない。警戒警報も空襲警報も聞いた記憶がなく、防空壕に入ったことがない。各地でJアラートの訓練が行われているが、学童が背中を丸めて机の下に潜る姿は、昭和17年4月、ドウ.リットルの本土初空襲の後、当時小国民だった僕らがやらされた訓練と同じだが、これは僅か2年後、本格的な空襲でまったく役に立たないことが証明された。

旧友の一人が東京への空襲が本格化してきた19年24日の昼間の空襲で、池上線桐ケ谷(廃駅)駅前で空襲に会い、防空壕に逃げ込んだが、爆風で壕が崩れ、あやうく命を落とすところであった。当時東京では「防火用水」が義務づけれていたが、空襲の業火では役に立たず、主婦たちのバケツリレーも出来なかった。

内閣府の「ミサイル落下時の行動について」のポータブルサイトを読み直してみたが、まったく、その通りなのだが、航空機と違ってたった数分で到着するミサイルである。明治大学応援部の学生が、Jアラートを受け、落ち着いて迅速に行動していた姿をテレビ画面で見たが、安全な場所が近くにあったのであろうか。