「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦中、日本軍が建てたメダンの絋原神社の写真

2018-08-08 08:06:23 | 2012・1・1
連日の猛暑のなか、よりによって書斎の資料整理をしていたら、二階の天井裏に仕舞い込んでいたと思っていた10年ほど前のスクラップ帖が出てきた。この中に探していたスマトラ.メダン(インドネシア)に戦時中、日本軍が建てた絋原(ひろはら)神社の写真4枚(コピー)が出てきた。写真は当時NHKのメダン局長であった仏文学者の高橋邦太郎氏が撮影されたもので、結婚式を挙げたsさん夫妻を中心に媒酌の中島鉄蔵東海岸州長官(中将)や直木賞作家、小山いと子さんの顔も見られる貴重なものだ。

絋原神社は戦争中う日本軍が海外各地に造った神社の中で、いまなお建物の一部が現存している数少ない一つだ。僕は20年前、メダンに長期滞在中、北スマトラ大学の歴史学者で、昔あったセルダン首長国のサルタンの末裔,ルクマン氏から、この話を聞き、当時、メダンの高級クラブになっていた一室でご馳走になった。絋原神社の”絋”は、戦時中のスローガンであった「八紘一宇」の”絋”とインドネシア語のMedanの意味”原”を取ったものである。

7年前まで東京に「メダン会」という集まりがあり、戦前メダンに住んでいた人、戦時中メダン駐屯の近衛師団の兵士だった人、それに戦後アサハン計画でメダンに居住していた人などの親睦団体だった。僕は、この写真コピーを「メダン会」で知り合ったSさんから頂戴したのだが、大変失礼ながら、その後、Sさんとはお付き合いがなく、どういう方なのか聞き忘れてしまった。関係者もみな高齢になり、この種の会がみな解散してしまったのは残念である。