8月もあと数日、夏も終わりに近づいたが、今年は猛暑続きで、一向に秋の気配を感じない。しかし、気候とは関係なく九月の声で、なんとはなく人恋しさを感じるのは、僕だけであろうか。先日、仕事の上でお世話になっている先輩に無沙汰の詫びを兼ねて電話した。数年前から自宅で寝たきりの生活は存じていたが、留守番電話でをいれると、後から元気なお声でお声が返ってきた。ところが、今年はなく、どうなさったかと思っていたら昨日、先輩の名前(㈹で葉書を頂戴した。やはり”目、耳、手足が不自由で寝たきりの毎日、言葉も忘れてしまった”と書かれおり、最後に百歳と六か月と書かれてあった。
僕は暑中見舞い㋨習慣はないが、”目にはさやかに見えない”秋風が吹くこの季節になると、ごく親しい旧制中学時代の友人に電話を入れて、同期会開催につぃて相談するが、今年は、そのうちの一人が深夜脳梗塞を再発して救急車で運ばれ入院中だとのこと、もう一人は介護のデーサービスを週に何回か受けていてとても会に出席できる状態ではなかった。
日本人の男性健康寿命72・14歳を既に15歳も超えており、当然かも知れないが、寂しいものだ。親友の病気見舞いに出かけてよいものか、どうか。多少、認知症気味だというデイ.サービスに通う友人は、会いたくないのではないかと忖度してしまう。超高齢者社会である。昔の日本ではなかった社会的な新しい規律やきまりが生まれてきている感じがする。それにしても、百歳の方を自宅で介護されるとは大変なことだ。お察し申し上げる。
僕は暑中見舞い㋨習慣はないが、”目にはさやかに見えない”秋風が吹くこの季節になると、ごく親しい旧制中学時代の友人に電話を入れて、同期会開催につぃて相談するが、今年は、そのうちの一人が深夜脳梗塞を再発して救急車で運ばれ入院中だとのこと、もう一人は介護のデーサービスを週に何回か受けていてとても会に出席できる状態ではなかった。
日本人の男性健康寿命72・14歳を既に15歳も超えており、当然かも知れないが、寂しいものだ。親友の病気見舞いに出かけてよいものか、どうか。多少、認知症気味だというデイ.サービスに通う友人は、会いたくないのではないかと忖度してしまう。超高齢者社会である。昔の日本ではなかった社会的な新しい規律やきまりが生まれてきている感じがする。それにしても、百歳の方を自宅で介護されるとは大変なことだ。お察し申し上げる。