「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

アジア大会女子マラソン 半世紀前のジャカルタ郷愁

2018-08-27 04:43:32 | 2012・1・1
昨日、ジャカルタ.アジア大会の女子マラソン大会をテレビの生中継で見た。高温多湿、2年後の東京五輪の参考にもなると注目されたが、日本勢は野上恵子さんが、ケニヤ出身のバーレーン選手についで二位に入賞、銀メダルを獲得した。僕個人的には、半世紀以上前の1966年(昭和41年)、この町に1年半滞在したことがり、中心部を二周するコースに郷愁を感じた。

正直言って画面を見る限りでは、選手たちがどこを走っているのか特定できなかった。アナウンサーが競技説明の合間に、あれが独立記念塔(MONAS)だといわれ初めてわかり、ここが中心街のタムリン通りだと聞き、ああそうかと思う変わりようであった。半世紀前、ジャカルタの中心部にはベチャ(自動三輪車)が走っており、タムリン通りのランドマークは、日本の賠償引き当てで建てられたホテル.インドネシアの建物であった。が、今はもうない。

マラソン選手たちが走り抜けたコースの沿道には当時,超高層ビルは一つもなく、タムリン通りには夜になるとサテ(焼き鳥)の屋台が並んだ。今は何十軒ともある日本料理店は当時一軒もなかった。マラソン選手が走ったかどうか分からないが、和蘭時代の運河では住民たちがマンデイ(水浴」したり、洗濯したりしていた。

マラソンコースはお世辞にも観光的には魅力あるように僕には見えなかった。半世紀前にはなかった超高層ビルが林立し、高速道路網は整備されたが、テレビ画面は歩道橋や立派な高速ジャンクションを見るだけだ。ジャワ原人が展示されてある、国立博物館前を通ったかどうか説明はなかった。東京五輪の海外向けテレビ中継の参考までに。