東京五輪のマラソン競歩種目が札幌で行われることに決まった。まさに小池百合子都知事が言うように”合意なき決定”である、だが、最終決定権がIOC(国際オリンピック委員会)にあるのなら仕方がない。都民の一人として東京開催を強く望んでいた僕としては残念だ。決まった以上は、開催の成功を望むだけだ。
僕は1972年の札幌冬季五輪の前年の11月、東京から札幌に転勤、約10年在勤したが、11月初めには近くの手稲山に冠雪があり、翌年4月、完全に雪が消えるまでの約半年間、ゴルフもできず、長い冬に東京生まれの僕はうんざりした。しかし、これに引き換え、夏は短いが、東京に比べて涼しく、10年間,わが家ではエアコンなしに暮らした。
参加選手の健康面の配慮というのなら止むをえない。緑濃く自然の多い札幌のコース楽しんで貰いたい。問題は開催まで10か月、そのうち半分以上は冬将軍が居座っている。準備は大丈夫なのだろうか。47年前の札幌の町には、すっかり、準備整って、トワエ.モアの五輪讃歌「虹と雪のバラード」が流れていたのを想い出す。
冬将軍の居座りで準備が大変だが、あの冬季五輪の”日の丸飛行隊”の金銀銅メダル独占の感激を大通り公園のゴール地点で再現させて貰いたい。