「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

     「数独」 「ピカチュウ」 わからない世代

2008-07-11 05:38:36 | Weblog
たいがいの新語にはついて行けるつもりでいたが、昨日の新聞にわからない言
葉があった。「数独」と「ピカチュウ」の二つである。どうせわからないと思いながら
も老妻に聞くと,意外や意外知っており、普段のお返しとばかり僕を見下げた目
で見た。老妻は孫と遊んでいるが、僕は遊ばない、そのツケの結果である。

いつの時代でも新語、造語が多いと、社会の批判があるが、最近はとくにこの傾
向が強い。IT関係やその周辺言葉の洪水で、僕ら後期高齢者泣かせである。僕
は多少パソコンに触れているが、同年輩の旧友たちはまったくお手上げだ。パソ
コンはおろかFAXの扱いすらわからないのだから無理もない。

小ブログにコメントを頂く若い世代のブログを時々拝見している。老人にとっては世
代の違いを超越し社会参加が出来るようで楽しい。だが、ここでもわからない言葉
にのぶつかる。例えば”ジャンクフッドのマックでウィルの会”といった類。なんのこと
かわからない。

グルメには縁遠くなった年寄には、グルメの言葉もわからない。”イタ食”はなんとは
なくわかる。パスタ、スパゲッティも食べたことがある。が、カルボナーラ、ニョッキー、
ポルベッテイなどとなると、なんのことかわからない。僕は過去に二度もイタリア旅行
をしている。現地のリストランテで食事をし、バールでもビールを飲んでいる。でもこの
始末。だが、年寄は勝手なもの。好きな食後酒グラッペの名は知っている。



        小さく見えたサミットの福田総理

2008-07-10 05:19:02 | Weblog
北海道洞爺湖サミットの首脳記念写真を見て福田総理の写真が小さく見えたのは
僕だけであろうかー。会議は大枠では合意らしきものを得たが、具体的な成果はな
く終わった。福田総理のすべて先送り、"事なかれ”主義の面目が躍如としている。
でも、とにもかくにも無事、何事もなく閉幕したのはご同慶の至りだ。

サミットなんかこんなものさと、白けた言い方をしてはいけないが、もう少し何かがあ
ってもよさそうなものだ。今回は会場が北海道、しかもロシア大統領の初来日とあっ
て「北方領土」問題を世界に認識させる絶好のチャンスだったが何もせず、結果的に
は、おざなりに開かれた日露会談でも"若造”大統領にしてやられ、拿捕漁船の返還
すらできなかった。プーチン首相の来日など引き出しても意味はない。

福田総理は今年4月、就任前のメドベージェフ大統領を訪ねているが、その時の印象
を"自分より背が小さかった”と語ったという。福田総理は171㎝、メドベージェフ大統
領は162㎝だそうだが、二人の2ショットをみると福田総理の方が低くみえる。

戦後すぐの吉田茂元首相は、明治の人の中でも背の低い方で、恐らく150㎝台だった。
しかし紋付き袴姿の首相は威厳があり、実際より大きくみえた。小泉元首相は169㎝
で福田総理よりも低いのだが、靖国神社参拝の小泉さんは大きく見えた。

政治家は実際の背の高低ではない。政治ビジョンがあるかどうか、指導力や実行力が
あるかどうかである。小男だからといって見くびってはいけない。

        「空車」で走るタクシーが減った?

2008-07-09 06:10:47 | Weblog
このところ続けて車で都心へ出かける機会があったが、驚いたのはスイスイと行け
たことだ。6日は日曜日だったこともあるが、目黒から上野まで高速道路を僅か10
分たらず。7日は平日にもかかわらず、乗ったバスは渋滞なく走り、途中なんども時
間調整をするほどだった。ふだん、車に乗ることの多い、娘婿の話では、ガソリン価
の値上げで車に乗るのを控えているドライバーがいるのではないかという。

東京では、主要駅前やホテルなどの客待ちタクシーの長い列がめだつが、逆に「空
車」で走るタクシーが、心なしか減ってきたようにみえる。これも燃料価格の値上げに
関係があるのだろうかー。むやみに走っても燃料の空費だけなのは僕にもわかる。

タクシー業界は、規制緩和で大都市中心に"車あまり”現象にある。ところが、車は増
えても客は増えない。そのしわ寄せがタクシー乗務員にきて生活を圧迫している。乗務
員の給料は時給に換算すると500円だという。法人だけでなく、個人タクシーも苦しく例
の"居酒屋タクシー”まで登場してくるるわけだ。

燃料価格の値上がりにあわせて禁煙。後部座席のベルト着用などここへきてタクシー
業界には逆風が吹いている。この逆風で乗務員の転退職が増え、運転手は年金を貰
っている"紅葉マーク”だけだという極論も聞こえる。

ドイツではガソリン価格の値上がりで、生活が成り立たないとタクシー業界がストをして
いるそうだ。僕らみたいな年寄はタクシーに乗る機会がそれほどないからよいが、やはり
なくてはならない交通機関である。国交省の対策を望みたい。



      ”可哀そうな”サラリーマンの昼飯

2008-07-08 05:21:45 | Weblog
このところの物価高がサラリーマンの昼食をも直撃しているようだ。NHKテレビ
が昼食時、公園で一人握り飯をむさぼっているサラリーマンの姿を映していた。
定食弁当やラーメン代の値上がりで、握り飯に切り替えたのだという。なんとも
せつなく痛ましい。

「東洋経済」のHPが”GE Money”の調査として伝えるところによると、サラリーマ
ンが使える昼食代は一日平均570円だという。2001年には710円だったが、毎年
減り続けており、今年に入っての輸入小麦や食用油の値上げが、さらにこれに拍
車をかけた。ファースト・フードを初め個人経営の店まで軒並み値上がりだ。

一日平均570円の昼飯代ではろくなものは食べられない。せいぜいラーメン定食
やカレーライスの類だ。それも休み時間を気にしての慌しい食事だ。それよりは、
奥方がつくってくれた”愛情弁当”のほうがずっとよい。ある調査では”愛情弁当”
の食材は平均250円だという。

東急ハンズでは、最近、弁当箱の売行きが好調で、前年比15%も延びているとの
こと。サリーマンの可処分小遣いは46200円だというネットがあった。この小遣いか
ら昼食代を捻出するよりは、サラリーマンにとっては持参の”愛情弁当”のほうがよ
いに決まっている。

バブル時代は比較的、小遣いに余裕があって”豪華”な昼食を食べていたサラリー
マンも再び昼飯”氷河時代”だ。昭和20年代、僕が駆け出しのサラリーマン時代は
マーガリンをぬったコッペパンだったこともある。それからみれば、はるかに贅沢
なのだがー。

           母の三十三回忌に思う

2008-07-07 05:13:29 | Weblog
母の三十三回忌法要を昨日、身内だけで済ませた。三十三回忌は弔上げといって
直接,故人を知る人による最後の感謝報恩の機会だという。三十三回忌の後は五
十回忌だが、高齢者社会になって、五十回忌を弔う人も増えてきたのではー。僕も
心の隅のどこかでそんな期待感を抱いた。

母は昭和51年7月7日、七夕の日、当時僕が勤めていた北の都、札幌で84歳で天に
召された。母は東京生れ、故郷以外、外で生活したことがなかった。それだけに異
郷で埋葬されるのは可哀そうに感じ、東京に持ち帰った。しかし、母の葬儀は、当時
僕が勤めていた仕事の関係で、わが家としては多分、空前絶後の盛大さで変なとこ
ろで親孝行が出来た。

人生五十歳の時代と異なり、仏教、陰陽道を中心に組み立てられていた日本の伝統
行事も”見直し”の時にきたのではー。例えば「厄年」である。男の最後の「厄年」は数
えで61歳、女性に至っては37歳である。その後は「厄年」がなく、高齢者にとっては、
こんなによいことはない。

都会では、残念ながら古来の仏事にうとくなってきた。仏教の説くご先祖さまに対する
感謝謝恩の気持ちが薄くなってきている。人生最後の葬儀でさえ、形式だけで済ます
傾向にある。これでは、わが国の道徳律の基準の崩壊である。”後期高齢者医療制度”
の底流にある年寄り蔑視も、この反映かもしれない。

父の五十回忌はあと10年で弔うことが出来る。五十回忌の後の法要はない。せいぜい
長生きにつとめ、五十回忌を弔上げの法要にしたいと思っている。

      心配なインドネシア人の”助っ人”制度

2008-07-06 05:40:33 | Weblog
インドネシアから福祉の”助っ人”として早ければ、今月末、看護師、介護師300
人が来日する。彼らは現場に出る前に半年間、日本語を中心に導入研修を受け、
そして、看護師は3年、介護師は4年の間に日本の国家試験を受け、これに合格
しなければ、帰国してもらう制度である。これをめぐって色々な意見が出ている。

僕は1980年代から90年にかけて約10年間、JICA(国際協力事業団=当時)の
研修現場で働いた。直接、日本語を教えたことはないが、外国人研修員が6か
月、日本語を勉強すると、どの程度上達するか、よく知っている。漢字圏と非漢
字圏とでは異なるが、多分、福祉現場で患者と日常的な会話はかわせるほどに
はなると思う。

問題はそれからである。日本の国家試験に合格しない限り、彼らは”一人前”の
看護師、介護師としては認められない。おそらく待遇賃金面で日本人とは格差が
あるに違いない。彼らは母国では、看護師、介護師の資格をもっている。来日し
て日本の事情になれてきたとき、果たして彼らはそれに我慢できるだろうか。

わが国には、すでにインドネシアとの間に15年の歴史を持つ研修生受け入れ制度
があり、インドネシア労働省から直接研修生を受け入れているが、いまだに受入
企業と研修生間のトラブルが絶えない。原因は、インドネシア人”研修生”は、先進
国、日本での”研修”を期待しているのに、日本側企業は低賃金の”労働力”として
雇用している。

今回の看護師、介護師制度も研修制度の二の舞にならなければよいのだが、知イン
ドネシアの一人として心配している。

        ”からゆきさん”の貴重な記録

2008-07-05 05:47:24 | Weblog
”からゆきさん”を専門に研究されている大場昇さんから新刊の「世界無宿の女
たち」(文藝春秋発売)を頂戴した。明治、大正、昭和の70年の間、体をはって海
外でたくましく生きてきた女性たちの記録である。昔の唄風にいうと、彼女らの足
跡は”北はシベリア、南はジャワ”西はザンジバル島(タンザニア)にまで及んでい
た。

大場さんの推定によれば、彼女たちの累計は30万人にも上るという。僕は10数年
前、スマトラのメダンに滞在した関係で、同地の”からゆきさん”のことを調べていた
大場さんと知り合った。僕が滞在した頃のメダンには日本人居住者は100人ぐらい
しかいなかったが、大正6年には299人もいた。その大半は”からゆきさん”とその
関係者であった。明治時代の終わりには500人もの”からゆきさん”がいたという古
文書もある。シンガポールの日本人墓地には戦前の”からゆきさん”の墓がずらりと
並んでいる。

大場さんは、この本の中で、8人の女性を扱っているが、そのうちの一人、出上キク
さんは大正8年の「シベリア出兵」のさい、軍の諜報活動に従事、その功績により、第
二歩兵連隊長から感謝状と金一封を授かっている。

他の7人の記録もそうだ。苦界に身をおいた女性の記録ではない。大和撫子のたくま
しい記録である。このような記録は歴史の表面には出てこないが、明治、大正、昭和
のあの時代の側面史であり、貴重である。

            「蟹工船」の時代

2008-07-04 05:22:43 | Weblog
小林多喜二の「蟹工船」が若者中心に時ならぬブームで、3か月に36万部も売れ
る騒ぎだという。この現象を識者が色々分析し、現代のワーキング・プアーに訴
えるものがあるからだろうと、言っている。僕もあえてそれを否定しない。が、ブー
ムが「蟹工船」だけで、他のプロレタリア文学に波及していない。「蟹工船」というタ
イトルが、今のグルメ時代にマッチしたのにすぎない、という説も聞く。これも一理
あるように僕には思われる。

敗戦後の焼跡時代、若者の間でプロレタリア文学がもてはやされた。大學に入学し
たばかりの僕も人並みに小林多喜二や宮本百合子の作品を夢中になって読んだ。
当時、東京の新宿や渋谷の駅前広場では、日本共産党が”革命近し”と火炎ビン
闘争を展開していた。

あれから半世紀、高度成長でいつか日本の社会から”貧しさ”が消え、プロレタリア
文学など読む若者もいなくなった。第一次、第二次安保闘争の時代でも若者はあま
り「蟹工船」や「貧しき人々の群れ」などには関心がなかった。

「蟹工船」が世に出た昭和の初期の日本は本当に貧しく、社会の格差はひどかった。
戦後もだいぶ経った昭和41年「よいとまけの唄」(作詞・作曲 美輪明宏)が流行した。
”父ちゃんのためならエンヤコラ!”と女土方が建築現場で、綱を引っ張って力仕事
をした時の唄だ。美輪明宏が少年時代を回想して当時の貧しさを歌ったものである。

日本人は豊かさにひたりすぎて、貧しかったあの時代を忘れかけていた。その意味で
は「蟹工船」ブームは、昔を知るよい機会である。

        ゛輪”に入らない人、入りたい人

2008-07-03 05:48:05 | Weblog
梅雨の季節、僕のラジオ体操も休みがちだが”雨にもまけず風にもまけない”で
頑張っている熱心な人たちがいる。その中に2,3人ほどラジオ体操の”輪”に入
らず”輪”の外で一人でラジオ体操をしている人たちがいる。理由を聞いたわけで
はないが、多分、リーダーが前にたち、それに随って体操をするのが嫌いなのだ
ろう。僕り年上の従軍世代には、時々戦争体験からか、団体行動を嫌う人はいる
が、みたところそんな年代ではない。

昨日は僕にとって忙しい一日であった。早朝のラジオ体操のあと、区主催の老人
会の”みんなで歌おう”の催しにも参加した。みんなで昔の小学唱歌や叙情歌を
思い切り歌ったあと、参加者で昼飯を食べながら雑談しようという会だ。区から少
し補助が出ているのだろう。食事代は400円と経済的には負担とは思わないが参
加しない人がいる。

都会の高齢者は孤独である。昼食時、街の蕎麦屋へ入ると、お年寄が隅の方で
一人寂しそうに食べている姿を見かける。老妻の話だ。先日娘と寿司屋へ入った
ら、老妻より高齢のおばちゃんが隣の席に座ってきた。”どうぞ”と手をとり席に招
き世間話をしたら、帰り際に”名刺がわりです”とビール券二枚を頂戴したという。
”輪”に入りたくない人もいれば、入りたい人もいる。

話はとんでしまうが、洞爺湖サミットでは地球規模の環境問題が主要議題である。
究極の目的は人類の生存である。この大きな”輪”には大国も参加して貰いたい。

         落書きと国民性の違い

2008-07-02 05:07:23 | Weblog
東京新幹線車両センター(北区)で車両ボディに”hack" など変な横文字が
落書きされており、東京発越後湯沢行の上越新幹線が運休となった。多分、
先日来のイタリア・フィレンツェ大聖堂の日本人観光客による落書き事件が
触発した連鎖反応かもしれない。

日本全国におかしな横文字や絵の落書きが流行してからかなりになる。19
99年秋、僕はイタリア観光旅行でフィレンツェからピサの斜塔の近くの駅ま
でローカル線に乗ったが、どの列車の横腹にも、この変な落書きがしてあっ
た。当時、すでに東京や大阪などの都会でも、この落書きが問題になってい
たので、僕は、そのとき、国際的な落書団が存在するのかと本当に思った。

イタリアのマスコミは、今回の日本人の落書き事件について日本社会が下し
た処罰は厳しすぎるという報道がある。落書きした学生が停学処分になった
り、高校の野球部監督が解任されたりするのは厳罰すぎるというのである。
やはり国民性の違いである。かりに落書きされた新幹線列車が走行されたと
すれば、日本ではJRの担当者のクビはとんでいたかもしれない。

何事にも関心がある小ブログ子は、落書きにあった”hack"をネットで調べた
ら”ネット世界と現実の世界の二つの舞台を楽しめる”がうたい文句のテレビ
ゲームの名前もあった。”hack"のもともとの意味は、辞書によると”たたき
きれ”という意味もある。大和魂の持主の僕としては、いくらイタリアの世論が
寛容であっても、落書き犯人の首は”たたききって”貰いたい。