毎年この季節,僕にとって最高の楽しみは母校の高校野球の観戦である。おおげさに
いえば青春時代にかえって”血を涌かせ肉を踊らせて”応援する楽しみは至福のいっと
きである。今日も僕は60年来の友人たちと地下鉄を乗り継いで江戸川球場へ出かけた。
江戸川球場は東京メトロ東西線の西葛西駅の近くにある。僕の家からは私鉄とメトロ日
比谷線を乗り継いで約1時間かかる。いってみれば東京の端と端である。昔、地下鉄が
なかった時代には1日がかりの旅だった。
葛西の地名で想い出すのは、戦争中の昭和17年の夏、当時総武線の平井鉄橋の下にあ
った水泳道場で葛西橋まで遠泳をしたことだ。その頃の葛西橋は今の橋より上流の清洲
通りにかかっていた。平井鉄橋から葛西橋までどの位の距離があったのか覚えていないが、
橋は木造の粗末なもので、川岸には葦などが生えていた。
当時、葛西へ都心から行くには総武線の錦糸町から都電かバスで行った気がする。今は
地下鉄で15分もあれば行けるが、戦前は不便な場所だった。葛西の隣は千葉県の浦安で
作家、山本周五郎の「青べか物語」の舞台の漁師町であった。それが今や浦安は高層ビル
の並ぶ東京のベッドタウンに変容した。ここだけではない。東京は地下鉄網が整備されて
ぐーっと広まった。
いえば青春時代にかえって”血を涌かせ肉を踊らせて”応援する楽しみは至福のいっと
きである。今日も僕は60年来の友人たちと地下鉄を乗り継いで江戸川球場へ出かけた。
江戸川球場は東京メトロ東西線の西葛西駅の近くにある。僕の家からは私鉄とメトロ日
比谷線を乗り継いで約1時間かかる。いってみれば東京の端と端である。昔、地下鉄が
なかった時代には1日がかりの旅だった。
葛西の地名で想い出すのは、戦争中の昭和17年の夏、当時総武線の平井鉄橋の下にあ
った水泳道場で葛西橋まで遠泳をしたことだ。その頃の葛西橋は今の橋より上流の清洲
通りにかかっていた。平井鉄橋から葛西橋までどの位の距離があったのか覚えていないが、
橋は木造の粗末なもので、川岸には葦などが生えていた。
当時、葛西へ都心から行くには総武線の錦糸町から都電かバスで行った気がする。今は
地下鉄で15分もあれば行けるが、戦前は不便な場所だった。葛西の隣は千葉県の浦安で
作家、山本周五郎の「青べか物語」の舞台の漁師町であった。それが今や浦安は高層ビル
の並ぶ東京のベッドタウンに変容した。ここだけではない。東京は地下鉄網が整備されて
ぐーっと広まった。