「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        葛西の今昔 67年前の荒川遠泳

2009-07-14 04:51:53 | Weblog
毎年この季節,僕にとって最高の楽しみは母校の高校野球の観戦である。おおげさに
いえば青春時代にかえって”血を涌かせ肉を踊らせて”応援する楽しみは至福のいっと
きである。今日も僕は60年来の友人たちと地下鉄を乗り継いで江戸川球場へ出かけた。

江戸川球場は東京メトロ東西線の西葛西駅の近くにある。僕の家からは私鉄とメトロ日
比谷線を乗り継いで約1時間かかる。いってみれば東京の端と端である。昔、地下鉄が
なかった時代には1日がかりの旅だった。

葛西の地名で想い出すのは、戦争中の昭和17年の夏、当時総武線の平井鉄橋の下にあ
った水泳道場で葛西橋まで遠泳をしたことだ。その頃の葛西橋は今の橋より上流の清洲
通りにかかっていた。平井鉄橋から葛西橋までどの位の距離があったのか覚えていないが、
橋は木造の粗末なもので、川岸には葦などが生えていた。

当時、葛西へ都心から行くには総武線の錦糸町から都電かバスで行った気がする。今は
地下鉄で15分もあれば行けるが、戦前は不便な場所だった。葛西の隣は千葉県の浦安で
作家、山本周五郎の「青べか物語」の舞台の漁師町であった。それが今や浦安は高層ビル
の並ぶ東京のベッドタウンに変容した。ここだけではない。東京は地下鉄網が整備されて
ぐーっと広まった。


         都議選 予定通りの自民党の敗北

2009-07-13 05:09:47 | Weblog
新聞社には昔は予定稿というのがあった。締切り時間ギリギリの催しについて、あ
らかじめ原稿を書いておいて、予定通りだったら”go"のサインだけをデスクに伝える。
天候などが急変した場合は、その部分を差し替えるというものだ。昨日の都議選も
予定稿で書けたのではなかったのでは。

自民党の敗北は選挙前から予想されていた。問題は公明党を入れた"与党”の数が
総議席127の過半数を取れるかどうかだったが、結果は公明党が23人全員当選した
のに自民党は改選前より10議席を失った。これに対して民主党は54議席を獲得、第
一党に躍進した。自民党が第一党の座を失ったのは昭和40年以来だという。

敗因の一つは、やはり国政における自民党の迷走とKYだ。麻生総理の失政というより
この4年間に総理が2度も途中で辞任し、その後自分たちで選んだ麻生総理を"ぶれ”
があるなどとし”降ろし”にかかるのでは、国民はどうしたらよいのか。嫌気がさすのは
当然だ。

自民党の選対のKYも敗因の一つだ。千葉、横須賀などの市長選挙で”若者”風が吹き、
民主党が20代の候補を立てているのに、自民党はその選挙区の応援に古手の国会議
員を送り込んでいた。それが直接票につながるだろうかー。つながらいことは
僕でさえわかる。

麻生総理は,都議選の敗北は国政には関係ないとしながらも解散を決めた。21日解散し
8月30日が総選挙だ。暑い中での選挙戦で大変だが、この状況下ではベストの決定だと
思う。”待てば海路の日和もある”ということを自民党に期待しよう。



       オバマとエンクルマ 二人の大統領

2009-07-12 05:28:10 | Weblog
オバマ米大統領がサハラ以南のアフリカ初の訪問地としてガーナを選んだ。そ
の模様をBBCテレビでみたが、現地の熱烈な歓迎振りと、それに応えるオバマ
大統領の雄弁な演説に、黒人でない僕も胸を打たれた。ガーナが共和国に移行
した1960年は"アフリカの年”といわれ、アフリカで新たに17カ国が誕生した。その
当時、僕は新聞社の外信部に勤務しており、ガーナの初代大統領エンクルマの
横顔を新聞に書いた記憶がある。

エンクルマは「ゴールド・コースト」と呼ばれた英国植民地時代に鍛冶屋の息子と
して生まれ、苦学して米国に留学、戦後帰国してサハラ以南のアフリカでは初め
てガーナを独立させた脱植民地主義のの指導者であった。独立後も強力な指導
力で政治を動かし独立後混乱が続く他のアフリカ諸国の中にあって安定したガー
ナの基礎を築いた。オバマ大統領もエンクルマを"巨人"と呼び、ガーナの民主政
権を賞賛した。

オバマ大統領は演説の中で、欧州諸国がかって植民地時代、現地の実情を無視
して国境を線引きしたのが、今のアフリカ諸国の紛争の因になっていると述べたが、
これはアフリカ系大統領だからこその発言である。一方で彼は自分の祖先の地ケニ
アの国民総生産が昔は韓国より上だったのに今は抜かれてしまったのを例に引き、
アフリカ諸国の自助努力を呼びかけた。これもアフリカ系大統領ならではの発言で
説得力を感じた。

1960年代の米国では南部を中心にまだ黒人差別があった。その国の大統領にアフ
リカ系がなり、かっての奴隷貿易の地に、祖先が奴隷だったという黒人の夫人を
伴い訪れるー世界は変わってきた。



         昭和30年代 "三種の神器”の時代

2009-07-11 05:23:11 | Weblog
梅雨空の下、電気洗濯機が故障し老妻を困らせていたが、昨日やっと新しいのが
届いた。昔はタライに汚れ物をいれ洗濯板でゴシゴシ洗ってていたものだが、今の
世は、洗濯機なしでは不便で、一日たりとも人間らしい生活はできない。僅か半世
紀で変ったものだ。

昭和30年に結婚した僕ら夫婦は、いわゆる電化製品の"三種の神器"時代に新婚
生活を送った。老妻は両親と一緒に生活していた僕の家へ嫁いできたわけだが、
当時わが家には"三種の神器”は一つもなかった。新しい洗濯機をまわす老妻と僕
は当時の生活を振り返った。"三種の神器”どころではない。わが家にはまだ都市
ガスもなく、母親は台所の外のカマドでご飯を炊いていた。東京区部なのに下水道
も整備されていなかった時代だ。

半世紀以上も前のことだ。二人の記憶も薄れてきたが、昭和34年、今上天皇のご成
婚の年にテレビを買ったのは鮮明に覚えていた。白黒テレビである。電気洗濯機は31
年に長女が生まれているので、その頃買ったのだが覚えていない。ただ洗濯物を
絞るためのハンドルがついていたのを覚えている。"三種”のうち最後に買ったのは電
気冷蔵庫で、6万円もした。もちろん長期月賦であった。当時僕の月給は2万円たらず
であったから大変な買い物であった。

”もう戦後ではない”というのは昭和31年の経済白書であり、31年ー33年は神武景気
といわれているが、国民の生活はとてもとても今のように豊かではなかった。ただ将来
への希望や期待に明るい展望があった時代ではあった。

          「ナットウの日」 納豆雑感

2009-07-10 04:57:19 | Weblog
7月10日は語呂合わせから「ナットウ(納豆)の日」だという。もともと納豆を食べる
習慣がなかった関西地方の納豆業者が、その消費拡大を狙って1981年に制定
したのが始まりだという。すでに30年近くたっているのに、首都圏ではあまりしら
れていない。「ナットウの日」がなくとも毎日食べている人が多いからであろう。

今ではほとんど姿を消してしまったが、東京では戦前、納豆といえば稲わらで包ま
れたものしかなかった。朝早く納豆売りの”ナットウ、ナットウ”の声で目を覚ました。
といっても戦争中は納豆も食卓から消えていたから。もしかすると想い出は戦後のもの
かもしれない。

稲わら納豆が消えたあと暫くの間、三角形の経木に包まれて売られていた。この納
豆は今でも時々店でもみられるが、大半は四角のプラスチックの箱に入っている。

納豆の食べ方は全国各地で違うようだが、明治17年生まれの江戸っ子だった亡父
は、納豆に古漬けのおしんこを細かく刻んでいれ、糸を引くまで納豆をかき回 して食
べていた。老妻の実家の長野の兄嫁は砂糖をかけて食べていた。僕は大粒の納豆を
ごく普通にかき混ぜないで食べるのが好きだ。

"納豆売りの女郎買い”-という諺がある。貧乏人はムダ遣いをして余計貧乏になるー
といった意だが、多分、納豆や納豆売りは江戸時代から庶民の間にあったのだろう。
ブログの材料に困った「納豆の日」の納豆雑感。

     ”虐殺”などなかった東チモールのコーヒー 

2009-07-09 05:38:16 | Weblog
先日小ブログで東チモールの国造りに協力して同国産のコーヒーの生産販売を
しているNPO「ピースウインズ・ジャパン」(PWJ)を紹介したが、早速、知人への
お中元としてこれを使った。そして、ついでにわが家にも一品取り寄せたが、宣伝
どおり素朴で美味しい味だ。

僕は東チモールへは行ったことがないが、大学時代の友人の一人が戦争中、約3
年間兵士として駐屯していた。その関係もあって平成14年、同国が独立した年の
9月、ある雑誌に、戦争中同地にいた第48師団の方4人に集まってもらい「東チモー
ル4万人虐殺の虚妄」という誌上座談会を開いた。

東チモールは戦時中中立国のポルトガルの植民地だったが、開戦と同時に中立を
破り、オランダ軍とオーストラリア軍が同地に進駐した。対抗上、日本軍も昭和17
年2月、同地を攻めて占領した。以来終戦まで第48師団が駐屯していたが、地上戦
はなく、日本軍は荒れた土地を耕しながら自活していた。

ところが、戦後日本のあるキリスト教団体が、オーストラリアの誤った情報を鵜呑みに
して「朝日新聞」に東チモールで戦時中4万人が虐殺された、と投書した。この団体は
その後情報が誤っていたとして、第48師団の戦友会に謝罪し「朝日新聞」にも訂正を
申し入れたが、そのままである。

この誤報が東チモール独立時にも独り歩きしていて、日本の何も知らない団体の中に
はわざわざ現地まで行き自衛隊派遣反対を叫んでいた。座談会出席の一人はインドネ
シア語で"habis"(なにもない)という文字通り何もできない荒地に駐屯していて自分たち
が生きてゆくのが精一杯。虐殺どころではなかったと証言していた。宗主国のポルトガル
はこの悪条件の地で植民地農業を放棄していた。これが逆に幸いして東チモールのコー
ヒーは無農薬、無改良のまま残っていたわけだ。





        民主党の”同じ柳の下の泥鰌"作戦

2009-07-08 04:38:44 | Weblog
東京都選挙管理委員会から「選挙公報」が配られてきて驚いた。僕の住む選挙区の
立候補の中に民主党から一人女性の新顔の名前と写真が載っていた。今まで新聞
などの立候補予定者の中にはなかった人だ。言ってみれば、公示前の”駆け込み”
立候補だ。

今度の都議選には民主党からのこのような”駆け込み”立候補者が目に付く。僕の選
挙区だけではない。ざあっと調べてみると”駆け込み”立候補者、それも20台から30代
の新人が15人もいる。明らかに、最近話題になった千葉、横須賀の若い市長誕生を意
識した民主党の戦術だ。果たして”同じ柳の下の泥鰌”になるかどうかー。

都心の一人区には20代の新人をぶつけてきた。自民党の金城湯池区だが、立候補者
は70歳。話題つくりとは思うが、案の定NHKが首都圏ローカルで扱っていた。カメラは
応援の自民党古賀選対委員長を追っていたが、先日東国原知事の立候補懇請で話題
になったばかりの人物。これが凶とでるか吉とでるかー。

公職選挙を「ドラマ」に例えるのは不謹慎だが、民主党の選対には演出者がいるが、自民
党にはいないように見える。20代、30代の若い新人候補を急遽たてたのは”演出”である。
良い悪いは別にして空気を読む力がある。昨日、老妻が外出して一人で留守番をしていたら
二人の民主党からの立候補に危機感をもった政党支持者が3人も”よろしく”と挨拶にきた。
自民党の支持者からの挨拶ではない。











             パチンコの犯罪

2009-07-07 04:44:17 | Weblog
大阪此花区のパチンコ店が放火され3人の客と女性従業員が焼死した。客の3人は
みな60歳を越えた老人である。痛ましい事件である。事件後41歳の多重債務者の
男が”人生に嫌気がさした”と自首してきた。男は何回かこの店に来たことがあり多
分パチンコで負けた腹いせもあったに違いない。それにしても他人まで巻き添えにす
るなんて乱暴な目茶苦茶な事件である。

僕も若い頃パチンコに凝った頃がある。東京では戦前パチンコは“ガチャンコ”と呼ば
れ子供の遊びであった。デパートの屋上や盛り場などにあったが、せいぜいタマが穴
に入ると賞品のキャラメルなどが貰えた程度のものだった。戦後パチンコが全国に流
行しだしたのは、まだ街に焼け跡がある頃で、店からは景気よく「軍艦マーチ」が流れ
ていた昭和21,2年だったと思う。でもその頃のパチンコはタマが穴にはいっても3個か
5個で”オール10”や”オール15”の器械が出てきたのは30年代だ。

考えてみると、僕はもう半世紀もパチンコしたことがない。知人のパチンコ通に聞くと今の
パチンコは、ギャンブル性が強まり昔のような一回100円、200円で遊べる娯楽ではなく
なってきたようだ。この結果パチンコ依存症も出てきて、年金や生活保護費まで注ぎこみ
多重債務者も多いと聞く。

同じギャンブルでも競馬競輪などの公営ギャンブルは国や自治体に多少寄与しているが
パチンコの収益は北朝鮮の国家資金源になっているのは、周知のことだ。なぜテロ国家
に利するようなギャンブルを許認し、放火殺人事件の現場を許可するのか。パチンコ団体
のカネが政治屋の懐に入っていることも国民周知のことなのだが。



          「アオジ」の神秘的な巣立ち

2009-07-06 04:55:16 | Weblog
隣家の軒下に巣籠りしていた「アオジ」の雛4羽が昨日、無事巣立っていた。朝早く
僕がラジオ体操から帰ると、雛4羽と親鳥のつがいの計、6羽が近くのテレビのアン
テナの上に止まって”キャーツ、キャーツ”とけたたましく鳴いている。そして眺めると
雛鳥が5mぐらいある間隔の2本のアンテナの間を行き来して飛翔の練習をしており、
これを親鳥がじーっと見守っているように見えた。

日曜日の静かな住宅街は、それから2,3時間今まで経験したことのない「アオジ」の
異様な鳴き声の合唱だ。そのうち、この騒々しさが一段と激しくなった。あまりのうる
ささに驚き、あわてて僕は家の出窓を見ると、どこから集まってきたのか数十羽の「ア
オジ」が2本のアンテナの上に群集している。

「キャーツ、キャーツ」という鳴き声と「チッチッチッ」という地鳴きが入り混じり周囲はま
るで”せみ時雨”みたいな騒ぎだ。「アオジ」の生態は知らないが,ウイキぺデイアに
よる繁殖期はつがいで行動するが、普段は群れをなして生息するとある。もしかすると
わが家の近くの「アオジ」は新しい仲間の誕生を待って騒いでいたのかもしれない。

70余年の人生で見たこともない風景だった。僕は野鳥の巣立ちは誰にも気がつかれな
いで行われるものと勝手に想像していたが、この「アオジ」の不思議な神秘的な巣立ち
を初めてみて感動した。多分、昔は都会の真ん中では観察できなかった情景だろう。
(写真はアンテナに群集している「アオジ」)

          予防で節約を!後期高齢者医療費

2009-07-05 05:59:36 | Weblog
「長寿医療制度(後期高齢者医療制度)の保険料通知を送付します」との区の広報
が入ってきた。そして、相変わらずくどくどと制度の仕組みを説明している。発足当
時ネーミングの悪さから「長寿医療」と名前を変えたが、中味はほとんど変わらず実
施されているようだ。"のど元すぎれば”-の喩えのように政治家も前のように騒が
なくなった。

ところで、僕ら後期高齢者の医療費は、年齢で区別するほど特別なのであろうかー。
先日国民健康保険中央会から後期高齢者医療費が発表になった。それによると75
歳以上の加盟者数は1323万人で、医療費総額は11兆2935億円という巨額である。
と、いっても数字が大きすぎて理解しにくいが、年平均で一人、85万3391円,月に直
すと約7万円、さらに日に直すと約2300円もかかっている。

こういった後期高齢者医療の実態について、僕を含めてよく理解していない。厚労省
や関係医療機関のPR不足は否めない。僕の提案は医療費の削減のために関係機
関は、もっと病気にならないよう予防医学に力を入れるべきである。僕の周囲にもいま
だに喫煙したり、医者から貰った薬を捨てたりしている者もいる。

それより一番頭にくるのは、手術もせずに公的医療費を不正に受け取ったり、聴力が
正常な患者なのにインチキな証明書を書いてカネ儲けしている医者がいたりすること
だ。少子高齢化の傾向は今後大きくなるばかり、後期高齢者医療費対策について、も
っと抜本策を講じないと「日本丸」は沈没しかねない。