「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「にほんのれきし」とは僭越ではないか FNNの28時間テレビ

2017-09-11 05:29:12 | 2012・1・1
昨日放送されたフジテレビ恒例のFNN28時間テレビを時々”拾い読み”してみた。案の定、総合司会のビートたけしのくだらないギャグと鼻もちならぬマニヤックな内容にウンザリして、すぐ他チャンネルに切り替えた。

28時間のテレビの番組で日本の歴史をどう切るか関心を持っていたが、案の定、学校の歴史時間みたいに明治以降の戦争については意識的に避けて通っていた。看板番組アニメの「さざえさん」で、戦前の生活は紹介出来たとしたのか、戦前戦中の時代を僅か数分のナレーションで済ませていた。「さざえさん」は確かに今の日本人の生活を描いたアニメではないが、戦前いつの時代か不明である。

これにひき控え戦後の1965年―72年時代を池上彰とたけしを使って夜のGHで長々と放送していたが、たけしは昭和23年、池上は25年の団塊世代で、学園紛争時代のことばかりしゃべっていた印象を受けた。。長い日本の歴史の中では、この時代はたいした時代ではない。僕ら昭和1ケタ世代にとっては、満州事変から昭和20年8月の敗戦までの15年間のほうが重要である。タイトルに「にほんのれきし」を名乗るのは僭越だ、

今年の28時間テレビはこれまでの娯楽バライテイ路線から歴史物に切り替え、ナマ放送にして製作費を節約したのだそうだが、年に1回、ネット局をあげてのお祭りだ。華やかさも必要だ、ウソか本当か知らないが、参加者のTシャツを何枚削ったという問題ではない。しかも昨日は大相撲の初日,プロ野球も終盤にきて盛り上がっている。この種の番組を組む日として適切かどうかである。

小ブログ「老人タイムス」トータル閲覧数300万人を突破

2017-09-10 05:17:12 | 2012・1・1
小ブログ「老人タイムス」のトータル閲覧数(PV)が10日、300万人を突破した(3,000,600人)。訪問者数(IP)も数日中に60万の大台に乗るのは確実だ(599,803)。11年前の2006年1月、75歳の誕生日を前に、ボケ防止のため娘の勧めで始めたものだが、やはり”継続は力なり”である。今では、大げさにいえば、僕の生き甲斐でもある。

閲覧数のPVはPage Viewerの略で、小ブログを読んでくれている人の数。IPはInternet Providerで、小ブログのプロバイダーの接続回線数のようだが、いつまでたっても、IT技術用語に弱い、僕にはよく解らないが、小ブログに目を通して頂いた数が300万、60万人とは驚きであり有り難い。

僕は原則として、毎日、朝刊をみてからブログを更新する。30年近いマスコミ生活のサガで、出来るだけ新しい「ニュース」に触れたいのである。この11年間、僕は大腸ガンなど4回の入院生活、3回の海外旅行、それに何回かのPCの故障の日を除いて駄文を書き続けた。駄文は「私説」とお断りしているように、時には勝手違いもあるのだが、嬉しいのは、10年前からほとんど毎日のようにコメントを頂戴しているchobimameさんの存在だ。まだ、お会いしたこともない若い女性だが,この機に改めて感謝する。

加齢と共に、残念ながら物忘れがひどくなってきた。とくに人の名前である。名前を想い出しても、正確かどうか自信がない。そのたびにネットのお世話になるが、それだけでもブログ書きがボケ防止の約に立つ。周囲の友人たちから”お前は認知症は大丈夫だ”と励まされるが、もしかすると、そうかもしれない。

看板倒れ 記録がない三横綱そろって初日からの欠場

2017-09-09 05:44:41 | 2012・1・1
大相撲9月場所が10日から始まるが、四横綱(白鵬、日馬富士、稀勢の里、鶴竜)のうち日馬富士を除く三横綱が初日から欠場する。昭和33年、年6場所になってからは、むろん初めて。明治まで遡ってみてもない。およそ百年前の大正7年5月場所,1場所10日時代、4横綱(鳳,西ノ海、大錦、栃木山)のうち、優勝した栃木山を除き、2横綱が初日から休場、1横綱が1敗8休みという記録があるが、それ以来の異様な場所だ。

大相撲は最近、人気が出て、ここ数場所は大入り満員、札止めの場所が続いている。9月場所もすでに前売券は全部売り切れだという。双葉山69連勝地代からのオールドファンの僕にとってはご同慶の至りだが、なんとはなく、4横綱の看板に偽りありのような感がないでもない。横綱は休場しても成績に関係なし、の不文律に胡坐をかいているのではないか。

9月場所の優勝争いは、番付け上は独り横綱の日馬富士に三大関(高安、照の富士、豪栄道)が絡むことになるが、大関陣は高安を除き、二大関が先場所負け越し、今場所がカド番で期待できない、むしろ三横綱の欠場で、負け越しを免れると、ホッとしているのかもしれない。僅かに期待が持てるのは、関脇御嶽海と幕内上位の北勝富士、貴景勝,阿武咲、宇良などの若手力士の活躍だ、四横綱といっても4人ともすでに30歳代長くは活躍は出来ない。とくに鶴竜は、今年になってから5場所のうち4場所も休場している。なんのための「横綱審議会」なのだろうか。

人を見る目がない民進党の前原代表

2017-09-08 06:52:46 | 2012・1・1
船出したばかりの民進党の「前原丸」は、幹事長に名が上がっていた山尾志桜里.元政調会長の”不倫”問題でケチがついてしまった。よほど前原誠司氏という政治家は運のない政治家だ。2006年、民主党の代表に選ばれた時も、堀江メール問題をめぐる永田壽彦議員の国会質疑が発端でで、僅か6か月で代表の座を去っている。

この時の国会混乱を収拾したのが、民主党の渡部恒三議員だった。渡部議員は衆院副議長まで経験した党の長老議員で、歯に衣をきせぬ発言から”黄門さま”と呼ばれていた。渡部氏は国会の混乱収拾のため推されて国対委員長に就任したが、自らの党の代表の前原氏をを指して”人を見る目がない”と永田議員に国会質問をさせた前原氏を批判した。

今回の山尾志桜里議員の”不倫”問題もそうだ。週刊誌の報道がなければ、恐らく山尾氏は幹事長に就任していたであろう。まさか、山尾氏の”保育園落ちた、日本死ね”の国会質問で、山尾議員の発信力を買っていたとは思わないが、やはり”人を見る目がないと言われても仕方がない。

当時の渡部”黄門さま”の話にはこんな落ちがつく。前原氏が代表辞任後の”ご苦労さん”の会で、渡部氏は、党の再建を祈願して、郷里会津の”起き上がり小法師”人形を贈ったが、何故か前原氏の人形は起き上がらなかったという。以来、”黄門さま”は、前原氏には頭が上がらなうそうだ。渡部氏らしい話だが、山尾志桜里議員のスキャンダルを見ていると、前原氏にはやはり”人を見る目がない”よううだ、

バリ島殺人事件 老後を海外での悲劇

2017-09-07 06:32:51 | 2012・1・1
インドネシアの観光地、バリ島の高級住宅の火災跡から、日本人の70歳代、老夫婦の焼死体が発見された。首にきり傷があり、二階の寝室から1階の浴室までひきずった血痕があって、現地の警察は殺人事件として捜査しているようだが、僕の購読している新聞は一向に続報がない。半世紀以上のお付合いの国であり、老人という同じ境遇もあって、僕は現地で発行されている日本語新聞「じゃかるた新聞」で事件の詳細、背景などを読んでみた。

僕は半世紀以上前の1966年以来、2006年までバリ島を9回、訪れたことがあるレピーターだが、最近のバリへは行きたいとは思わない。知人、友人の中にも老後をバリで送ろうと家や土地を買った人もいるが、観光として短期間滞在するにはよいが、永住地としてはどうだろうか。最初に訪れた頃のバリは自然豊かな”神々の島”であり”天国に一番近い国”と思った。そのなかでも、この島には犯罪がないと聞いて感激したものだ。

犯罪に日本人が巻き込まっることなど考えられなかったが、今世紀になってから二度のテロ事件を初め女性観光客殺人など事件、事故が多発している。2006年、最後に1週間バリを訪れた時の感想を僕は小ブログに書いているが、原因は開発による自然と伝統文化の破壊、それに、他島からの住民の出稼ぎによる犯罪の増加である。

「じゃかるた新聞」によると、遺体で発見された二人は10数年、西ジャワで自営業をしていた後、老後をバリ島でと移住されてきた。記事には、二人の住んでいた地域の環境や、日常の生活ぶりが書かれているが、高級住宅地ではあるが、新開地で余り隣近所の付き合いがなく、交際範囲も”日本人社会”を中心にした周辺であったようだ。

バリ島に限らず、老後の海外生活は元気なうちは好いが、病気になった場合は、海外での医療費は高すぎる。結局、”皆保険”の祖国へ帰国する人が多いと聞く。それぞれの人生とはいえ、自分勝手で、老後に無責任な日本人が多くなってきた感じがするが、どうだろうか。

東京23区の私大の定員抑制よりも

2017-09-06 05:29:52 | 2012・1・1
東京23区内の私大の定員を抑制すべきだとする閣議決定に対して、東京都の小池百合子知事が梶山弘志地方創生相に再考を申し入れた。閣議決定は文科省の有識者会議を経て全国知事会議でも了承を得ているが、小池知事にいわせれば、”こんな姑息な決定で、東京の一極集中の問題は解決されないというのだ。

新宿から私鉄の特急で36分の所に八王子市がある。東京都内の市では人口が一番多い(57万人)中核都市であるが、市内に通信学部を入れればなんと17大学もある。この中には東京都立の首都大学が入っている。1990年代に僕は5年間、八王子の市のはずれの集合住宅に住んだことがあるが、地元では”こんなにゴマンと大学があうのに恩恵がない”と嘆いていた。学生や教員などのほとんどが23区や他の市からの通学通勤者で、地元にカネが落ちないというのだ。

なんでも”ひとこと”言いたくなる小池知事だが、この私大定員抑制反対には僕は賛成だ。地方創生の一環とするのは”お門違い”ではないだろうか。例えば、大学改革して、地域の産業に密着した大学にし、全国から学生を集めたらどうだろうか。戦後の大学改革前までは、全国に旧制の高等専門学校があった。帯広畜産、秋田鉱山、盛岡農林、上田繊維といったように特色があり、全国から学生を集めていた。

戦後の学制改革で、全国の県庁所在地に同じような”駅弁大学”が誕生、今に至っていう。特色がない。これでは若い人たちは東京の大学へ行きたがりたくなう。東京には勉学だけない、プラスアルファ―がある。政府が口を出すべき問題ではないと思うのだが。


小室圭さんのお辞儀の角度

2017-09-05 05:27:00 | 2012・1・1
天皇陛下の初孫の秋篠宮眞子さん(25)とご学友だった小室圭さん(25)とのご婚約が先日発表になり、お二人の記者会見の模様をテレビで見た。皇室に限らず若い人たちの婚約はめでたく華やかでよい。僕ら老不婦も65年前の昔を振り返った。記者会見で僕が印象的だったのは、小室圭さんの礼儀正さであった。特に、お辞儀の角度が最敬礼に近いのに感心した。

僕ら日本人のお辞儀は自分たちでは思わないが、外国人の目に奇異に映るらしい。頭を下げる角度と繰り返しがおかしいらしい。知り合いの外国人から何回も指摘されたことがある。逆に僕らから見れば、外国人のお辞儀は、なぜかぎこちない。先年、米国のオバマ大統領が来日、天皇陛下に拝謁したさいの”最敬礼”の姿は今でも目に残っている。昭和18年秋、インドネシアからスカルノ、ハッタ(初代正副大統領)が昭和天皇にお会いする前、何度も予行練習させられたと、スカルノ自伝に書いてある。

そのお辞儀を含めて日本人の挨拶の仕方が、戦後変ってきたようにみえる。日本人同士が日常的に挨拶するときにもお互いに手を差し出しのべて握手する。そして、そのあと、その手を外国人みたいに胸に当てる。サッカーの選手が国歌斉唱の際のあの姿である。モノの本によると、女性に対して男性は先に手を出してはいけないらしい。しかし、テレビの画面で、トランプ大統領が、大げさのゼスチャで女性に握手を求めていた。

僕ら昭和1ケタ生まれの男性は、まだ握手にも抵抗があり、いわんやハグなどできない。小室圭さんの丁寧なお辞儀をみて、やはり日本人同士では、昔ながらのお辞儀は好いなあと思ったりした。

不法滞在の外国人の犯罪

2017-09-04 05:46:00 | 2012・1・1
13年前に起きた茨城大学女子大生殺人事件の容疑者としてフィリピンの男(35)が岐阜県瑞穂市で逮捕された。男は茨城から遠く離れた瑞穂市内で妻や子供、義母など6人と一緒にアパートに住み工場で働いていたという。僕が瞬間的に疑問に思ったのは、男の滞在ビザである。10年余りの間、どうして日本に滞在、働いてこられたのか不思議だ。

この事件を伝える同じ日の新聞にはベトナム人の男(31)が群馬県大泉町で警察官に咬みついた後、上半身裸、片手に手錠をはめられた逃走したが、やっと逮捕された記事があった。男は不法滞在者のようだが、捕まった時には長袖のシャツを着て、現金12万円も所持していた。犯罪後誰か男を匿っていたらしい。3年前、埼玉県熊谷市で、ペルー人の男(30)が、6人を殺した凶悪犯罪があったが、最近不法滞在外国人の犯罪がめだつようになった。

法務省によると、今年1月、日本に不法滞在する外国人の数は韓国人を筆頭に6万5270人もおり、その数は前年比3.9%増2452人と増加している。その中で最も多いのは、短期滞在ビザで来日して、そのまま居残るケースが67.7%だが、問題なのは技能研修制度で来日しながら、研修先からいなくなるのが10.0%、次いで留学ビザの悪用が5.8%もいることだ。

在日外国人も多様化してきている。先日、ニャンマーの少数民族、ロヒンギヤ虐殺事件が伝えられると、東京都内でもロヒンギヤ人たちの抗議デモがあった。彼らの在留資格が何なのか知らないが、たしかに僕の家の周囲にも外国人が増えてきている。入管でも厳しい審査を行っていると思うが、不法滞在は厳しく取り締まってほしい。



杖を突きつつ富士山五合目日帰り旅行

2017-09-03 05:21:26 | 2012・1・1

昨日、老妻が娘と一緒に富士山五合目まで日帰りのバス旅行へ出かけてきた。あいにくの天気だったが、二人にとっては初めての”富士登山”、無事楽しんで帰ってきた。実は、老妻は先月、家の中で転倒、膝と腰を痛めて、医者通いをしている。登山どころではないと思っていただけに一安心である。

戦前昭和の時代、東京の区部でも、富士山登山を目的にした「富士講」が盛んで、、わが家にもその登山記念の杖があった。母親の実家の庭には富士をかたどった小さな築山があり、僕は意味も解らずに”六根清浄お山は晴天”と唱えながら、杖をついて遊んだものだ。六根とは視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚、意識を指し、昔の登山客は山に登る前、麓の浅間神社で、この六根を浄め「六根清浄」と烙印された杖をつきながら登山した。

平成の富士登山は五合目までなら、杖などなしで、ハイヒールでも行ける。老妻は安心のため杖を持参したが、ほとんど使用しなかった。帰宅した二人から聞いた話では、五合目までの観光客の半数は外国人だったそうである。ユネスコの文化遺産に指定されて以来、人気は、さらに高まったようである。

江戸時代、庶民にとっては生涯に一度は富士山に登るのが夢だったそうだが、今は世界中の人が簡単に五合目までなら簡単に行けるようになった。五合目に50分滞在する旅だったが、カメラのバッテリが切れて、現地の富士山らしい写真を披露出来ないのは残念である。お札と富士山の型をしたメロンパンで、御勘弁を。

8月の異常気象 19年前の日記

2017-09-02 05:55:14 | 2012・1・1
今年の8月は、関東、東北、北海道にかけて各地とも日照時間が少なく異常気象だった。気象庁は9月になってから、一時発表していた東北地方の梅雨明け宣言を撤回した。降雨がだらだらと長く続き、いつ明けたのか判らないという意味なのだろう。テレビの気象番組をみていたら、これは19年ぶりの事だという。梅雨のない北海道だが、今年は8月”梅雨”みたいな日が多く、その影響だろうか、季節の花、コスモスがまだ咲かないという。

首都圏では8月の連続降雨日が21間続き、40年ぶりの記録、今さら19年の記録で驚きはしないが、何故か19年前がどんな年だったのか気になり、1998年(平成10年)の僕の日記帳を調べてみたが、やはり、エルニーニョ現象による異常気象の8月であった。僕の日記帳に「晴れ」と記載された日は9日しかなかった。関東地方の梅雨明けは8月2日と、当時としては2番目に遅い。31日の日記には”数日間続いた長雨やっと上がる。終日ワープロと手紙書き”とあった。

改めて想い出したのは、まだ本格的なIT時代ではなかった。もちろん、僕もPCを持たず、もっぱらワープロで資料整理、知人友人との連絡は電話、手紙だった。日記帳を見ると、僕もまだ67歳と若かったこともあり、電話を頂いたり、手紙を頂戴した方の名前が記載されている。月給取りの仕事は”卒業”していたが、アルバイトで、北九州まで半月も出張して仕事していた。

十年一昔といい、19年前は二昔である。80歳代半ば過ぎると、二昔前でも、ついこの間のように思えるのだが、周囲の生活環境は大変わりしてきた。その中で最も変わったのは自分の心身体力である。19年前の日記には”異常気象”についてあまり触れていない。あまり、異常気象など気にならなっかた。