「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

”慰安婦”映画「主戦場」”の詐欺的手法と上智大学の責任

2019-09-20 04:50:32 | 2012・1・1
”慰安婦”問題を扱った上智大学院生の卒業記念映画「主戦場」(日系米国人ミネオ.デザキ監督)が今、全国各地で公開上映され話題になっているという。僕は見たわけではないが、知り合いからテキサス親父氏らからの批判のメールが転送されてきて、これを読み、内容もさることながら詐取的制作手法に驚き、腹が立った。

この映画は上智大学国際教養学部長の中野晃一教授の指導を受けて学生だったミネオ.デザキ氏が卒業記念に制作したドキュメンター映画(2時間2分)。映画には、日本会議の加瀬俊一氏や保守派の論客、桜井よしこ氏ら8人にインタビューするなど登場させているが、これは”従軍慰安婦””性奴隷”を支持する吉見義明教授ら18人の意見に対する”お飾り”に過ぎない。多分加瀬氏らは、大学の学術映画と思い協力したのであろう。

上智大学はカトリックのイエズス会修道会が経営する大学である。一般にはキリスト教というイメージから保守派と見られているが、2001年、天皇に有罪判決をくだした国際女性模擬法廷では、全国で10幾つを数える修道会が賛同している。インドネシアのカトリック系新聞「コンパス」は模擬法廷判決全文を掲載していた。こと、慰安婦に関しては誤解偏見がある

大学の卒業記念をうたって制作した映画なのに入場券をとって一般公開するのは詐取ではないだろうか。上智大学からの公式コメントは見ていないが、一端の道義的責任はあるのではないか。













通院リハビリと転倒予防にヌ.カ.ヅケ”

2019-09-19 05:39:33 | 2012・1・1
要介護2の認定を受けながら、そのサービスの恩恵を受けていなかったが、かかりつけの医師に足の甲のムクミを相談したところ、運動不足からくる血流の悪さによるものだと、介護施設を紹介され先月から「通所リハビリ」を週に1回受けている。基礎的な体操やボート漕ぎやサイクリングの器械体操など約1時間メニューにしたがって身体を動かすが調子がよい。

”友は持つべき”ものだ。僕の介護リハビリを知って、いつも最近のインドネシア情勢の資料を頂戴している関西在住の友人から”寝たきりを招く転倒リスク、ヌ.カ.ツケで消す”(日経Gooday)の資料が送られてきた。その資料の中で日本転倒予防学会の武藤会長がヌ.カ.ツケを提唱されている。老妻は早やとちりして糠づけが効果があると思ったそうだが、濡れた場所の”ヌ”、”カ“は階段などの傾斜な場所、“ツケ”は物を方づけるからきている。

転倒が引き金になって寝たきりになり、あの世行きの切符を手にされた方の話をよく聞く。先日も近所の同年齢の女性が毎日元気に近所を散歩されていたのに、家の中のちょっとした段差で転倒して亡くなられた。加齢とともに足腰が弱くなるのは仕方がない。昔から畳の上で死にたいと誰でもが望むが、畳㋨ヘリで転倒したくはない。


ボランティア 戦後 焼野原での勤労奉仕

2019-09-18 05:05:06 | 2012・1・1
台風15号による千葉県の災害被害は甚大で、発生から1週間たったの東京首都圏のNHK(第一)テレビは、依然として被害地の停電、断水などの「生活情報」を繰り返しテロップで流していが、やっと災害支援ボランティアの受け入れを開始した。時間があっても身体がついて行けない老人である。ご苦労さま。

日本のボランティアの始まりは1995年1月の関西淡路大震災だといわれているが、2011年の東北大震災の時の活躍も記憶に新しい、しかし、それ以前にもボランティアという言葉こそなかったが、災害支援の勤労奉仕はあった。1945年10月、東京の中学3年生だった僕らは空襲で焼け野原になった京浜国道の路肩で1か月勤労奉仕をした。戦争中は軍需工場へ勤労動員され、敗戦でやっと学園に戻ったばかりであった。

勤労奉仕という概念は戦前から日本の社会にあった、皇居外苑の松林も皇紀二千六百年(昭和15年)記念事業として市民が植樹、僕らの中学の先輩たちも奉仕に参加した。しかし、最近のボランテイア活動は、個人の意思での参加である。この点が戦前からの勤労奉仕と違う。しかし、個人参加のボランテイア では限界がある。大災害が起きては困るが、やはり、ボランテイアがいらない社会体制が必要だ。



 「敬老の日」「 老人週間」について考える

2019-09-17 05:21:12 | 2012・1・1
昨日9月15日は9月の第3月曜日、2002年の祝日法改正による「敬老の日」の祝日だが、もともと01年の老人福祉法で15日から21日までの1週間は「老人.老人週間」と決まっている。今でも内閣府はこれにより諸々の行事が行われている。ややこしい。”敬老週間”でなくて何故”老人週間”なのか。そう思うのは年寄りのヒガミからであろうか。

今年令和元年の「老人の日.老人週間」の内閣府のスローガンは”みんなで築こう活力ある安心で健康長寿社会”である。幸い、僕ら夫婦は合計年齢、175歳で、国から介護認定を受けているが、二人とも他人の世話は受けず健康に生活しているが、周囲をみると必ずしもそうではない。

先日、厚労省から今年全国で百歳以上の日本人が初めて7万人が越えたと発表があった。半世紀少し前の1963年のはわずか153人に過ぎなかった。これから先の超高齢化社会の到来は確実である。しかし、超高齢化が進んでも健康社会でなくてはならない。

「敬老の日」”カステラ”や”銀杯”を頂くのもうれしいが、年に一回ぐらい、周囲の老人を囲む色々の問題に国民全体が目を向けてもよい。老人週間中、東京では”60歳”以上の年寄りには都内の庭園や動物園が無料で開放されるが、問題はそんなことではない。

「9.30」-「3.11」事件 外交官、小嶋敏宏氏ご逝去

2019-09-16 04:25:10 | 2012・1・1
”スカルノ”から”スハルト”時代にかけてインドネシア問題の専門家として活躍された、外交官、小嶋敏宏氏(元ガーナ駐在大使)が亡くなられた。ご葬儀はご家族と近親者だけで執りおこなわれる。87歳のご長寿であった。

僕が初めて小嶋氏とお会いしたのはスカルノ初代大統領が事実上失脚した「3.11」政変(1966年)前夜であった。当時、ジャカルタは、前年のクーデター未遂事件(9.30事件)後の政治混乱で、連日市内はスカルノ打倒デモゆれ夜間外出禁止令が出ていた。僕ら報道関係者は、治安の悪化で単身、ホテル住まいをしていた。

小嶋氏はジャカルタ駐在日本大使館の文化担当の三等書記官で、同時に僕らプレス担当であったが、公私ともにお世話を賜った。治安の悪化から白昼でも強盗が頻発していたが、週末になると、小嶋氏は車の窓ガラスに日の丸のステッカーを張った私用車で僕らを自宅にに招き私費で奥様手造りの日本食を御馳走してくれた。市内には日本食レストランは一軒もなかった。

半世紀以上ものご交誼を頂戴してきたが、一番の想い出は外出禁止令でホテルに帰れず、一晩小嶋邸でローソクの下で麻雀を楽しんだことだ。暗闇の中で小嶋氏が大声をあげて満貫を積もったのが昨日のようだ。小嶋さん、あの世でも満貫を!合掌。




横綱不在 出ると負けの大関 大荒れの秋場所

2019-09-15 07:02:55 | 2012・1・1
大相撲9月場所が大荒れだ。中日を待たずに役力士の全勝は一人もいない。今場所は1横綱、鶴竜、2大関、豪栄道、栃ノ心で初日をあけたが、6日目、この3力士がそろって負け、続いて7日目も鶴竜、栃ノ心が連続して土俵にはい、鶴竜は3連敗の上、8日目から休場、豪栄道は8日目も負けた。

双葉山の69連勝時代からの相撲ファンだが、あまり、こういった無様な場所は記憶にない。今年引退した稀勢の里が1月場所、横綱8連敗という記録があるが、場所をまたぎ,不戦敗を含んでものだ。昨年、同じ稀勢の里が11月場所で4連敗を記録しているが87年ぶりの記録、鶴竜はこれに並ぶものだ。

今場所は大荒れの相撲だけでなく、お茶の間ファンとっては珍しい場面を見ることが多い、6日目の土俵では立行事、木村玉次郎が貴景勝と遠藤との激しい相撲についてゆけず土俵から転落ケガをした、それでも軍配を上げたのはアッパレであるが。7日目、前頭3枚目の友風が先場所についで横綱鶴竜を破り金場所をあげ、テレビ会見に臨んだが嬉しさで男泣きしていた。これもあまり見たことはない風景だ。..

まだ後半、7日間が残っている。土俵がどう展開してゆくか予断は許さないが、横綱大関が怪我や病気を理由に次々休場し一人もいなくなる事態にならなければよいのだが。



お化けススキ

2019-09-14 09:44:52 | 2012・1・1

介護施設の巡回バスで、旧都立大学跡地の桜修館中高校高庭横を通ったら、ススキのお化けといわれるパンパス.グラスが背高く伸びていた。3年前には杖をつきつつでも写真を撮りに来られたのだが、月日の移り変わりを感ずる。写真2017年9月14日撮影。


十五夜の名月 ウサギのロマン ものの哀れ

2019-09-14 05:41:38 | 2012・1・1
昨夜は旧暦8月の中秋の名月だった。残念ながら東京では雲間に隠れていたが、老人は老人なりの秋のものの哀れを感じた。秋のお月見というと、僕らの世代は、戦前昭和だった子供の頃を想い出す。庭に面した広い縁側、ススキを飾り、三宝にお団子を供して童謡”ウサギウサギ”を歌った情景だ。# うさぎうさぎ(小学校唱歌)「うさぎうさぎなにみてはねる 十五夜お月さん見てはねる」

十五夜お月さんにはもう一つ童謡がある。# 十五夜お月さん(野口雨情作詞、本居長世作曲)「十五夜お月さんん御機嫌さん 婆さんはお暇とりに 妹は田舎に貰われてゆく 母さんにもう一度会いたいな」1920年(大正9年)発表の歌だが、詩をよく読んでみると、時代を反映してか、もの悲しい歌だ。

子供のころ、月面の模様をみて、ウサギが餅つきしているように見え、ロマンを感じたものだ。竹取物語にも夢がった。今の子供たちはどうだろうか。1969年アポロ11号が月面着陸してからすでに半世紀、月の上でウサギが跳ねたり、餅つきしたりしているとは誰も思わないだろう。

▽ 月みればちじに物こそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど(大江千里)作者が歌を詠んだ心境はわからないが、僕は最近の自分の子供を虐待するおかしな狂った時代が思い浮かぶ。月にロマンを感じる時代が懐かしい。





千葉の停電長期化.生活インフラの見直し

2019-09-13 04:23:31 | 2012・1・1
千葉県を中心とした首都圏の台風15号による影響が発生から4日も経っても完全回復せず26万戸世帯が停電(13日現在)、それによる断水、ガソリン不足が発生、住民の日常生活に深刻な影響を与えている。NHKテレビ(1ch)は終日画面テロップで住民に給水。充電などの生活情報を流していたが、僕の記憶では大震災以外あまりない。

東京での長期停電というと。平時では戦後すぐの昭和21年夏から秋にかけての頃を想い出す。亡父の日記には毎日「停電」の字があり、夜7時半に就寝とある。僕も定期試験の準備に用事もないのに電車に乗ったりした。隣家のお通夜もローソクの下で行われた。数日か連続して続いた停電が終わり,灯がともった時には近所一帯から一斉に拍手がわいた。

72年前のすべてが欠乏していた時代と今は違う。最近では僕が知る限り、東京首都圏では広範囲にわたる長期停電は経験したことがない。”空気”と同じよな存在である。それが何故今回なようなことになるのか。東京電力は君津市内にある送電線の高い鉄塔が二基、強風で倒壊したり、倒木が道を塞いだりしたからだという。

しかし、日本の技術力からみて、一般国民は納得しないのではないだろか。どこか日本の国全体に緩み、弛みが出てきたのではないか。これを機会に周囲を総点検してみよう.

第四次阿倍再改造の安定と挑戦

2019-09-12 05:48:08 | 2012・1・1
第四次阿倍晋三再改造内閣が昨日スタートした。全閣僚17人のうち13人が新閣僚というちから大改造だが、その割に新鮮味に欠けるのは、総理の補佐官や官房副長官っ経験者が多いからだろう。短期政権だった第一次(2006年9月ー07年8月)の時は政治経験の浅い友人を官房長官にすえたりして、野党から”お友達”とそしられ閣僚人事で失敗した。今回も野党は”お仲間”内閣と批判しているがどうだろうか。

阿倍総理の総理として通算任期はこの8月、大叔父の戦後の記録だった佐藤栄作の2798日を抜き、11月には憲政史上最長の桂太郎の記録を抜き去るが、その佐藤栄佐は、総理在任中100人以上の大臣を任命しているが、特筆すべきは、そのうち田中角栄、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、三木武夫、宮沢喜一と7人も後年の総理を輩出していいることだ。

組閣後の記者会見安倍総理は新内閣のスローガンとして安定と挑戦をあげていた。麻生太郎副総理と菅義偉官房長官二人の不動の軸に、将来をみすえた実力派の閣僚布陣が僕には伺える。確かに安定した内閣である、この中から将来、誰が次の日本の指導者になるのであろうか。

しかし今の安倍長期政権をみると安定の上に胡坐をかいている心配がある。総理の記者会見を伝える首都圏のテレビの画面には、3日前の台風15号の影響で停電が続く千葉県の市町村での飲料水の配布、バッテリーの充電情報がたえずテロップで流れている。完全復旧までは明日までかかるという。やはり、どこかに安定からくる弛み、緩みがあるのでは。

都市部でこんなに長期に広範囲にわたって停電が続くのは国家災害である。どかに長期政権による緩み、弛みが出てきているのではないだろうか。