昨日、老妻の付き添いでバスで二停留所先の大型スーパの七階にある格安理髪店に出かけてきた。昨年までは駅前の髭剃り洗髪つき4100円の馴染みの床屋さんのお世話になっていたが、ほとんど調髪する余地もない昨今である。ただ髪をバリカンで刈るだけでも格安店の老人割引1050円は魅力である。おしゃれ心が失せた老人だが、長く延びた白髪はうっとうしいし見る目にも不潔だ。
その僕がまだ若かかった1950年-60年代には、男の髪型としてGIカット、リーゼント、慎太郎刈りが流行した。GIカットとは占領軍として来日したGI(米国兵)のショートカットで、スポ―ティな感じが受けた。リーゼントは多分当時のロンドの真似なのだろう。長髪の後ろ毛を両側ピタリと撫でつけたのが特徴であった。「柳屋」のポマードと「丹頂」のチックがとぶように売れたものだ。慎太族刈りは、ご存知”太陽族”芥川賞作家の当時のスポーティな髪型。
石原慎太郎氏も小池百合子都知事への”中年女の厚化粧”発言以来、女性から嫌われ、マスコミの露出度が少なくなってきたが、たまにテレビの画面で見かける石原氏は86歳にしては髪も若々しい。過ぎさりし青春の日が懐かしい。老人用に第二の晋太郎刈りを考案されてはいかが。地毛では出来ないが、カツラなら真似ができる。馬鹿馬鹿しい閑話一席です。
茨城県八千代町の住宅で深夜老人夫婦が死傷され、近くに住むベトナム人の農業実習生(21)が逮捕された。青年は昨年11月、企業の実習生として来日、町内の外国人実習生共同住宅に住み、被害者の住宅近くでも作業をしていた。八千代町は茨城県の西部にあり、町ではあるが、白菜の生産量日本一という「農村」である。
事件んを知って僕は今年4月から実施された外国人労働者増を狙いにした入管法改正について思い起した、当時小ブログは”入管法改正、見切り発車で大丈夫なのか”(3月31日更新)と批判した。かってボランティアとしてインドネシア人の就労活動を援助したことがあり、多少この面で知識があった。僕の経験では外国人就労をめぐって最大の問題は就労ブローの介在であった。
やはり、僕が危惧した通りであった、それも政府のおえら方が介在していたというので驚いた。厚労省の政府NO3の政務官が、法務省入管管理庁への”口きき料”を取っていたのだという。私利私欲殻からの行為ではなそうだが、官庁間でこのような取引が行われていたとすれば、何のための入管法改正だかわっからない。
企業実習生にはなん種類かあって滞在許可年数も違うが、4月からの法改正で、将来的には最大20年も滞在仕事ができるという。八千代町の容疑者の青年は昨年11月来日したそうだがら、法的には滞在期間はあと2か月である。犯罪との間にこれが関係あるかどうかは不明だが、4月の法改正後,外国人労働者の間にどのような変化が出てきたのであろうか。
”膝の痛みは認知症も 国民病早めの診断を”という見出しで産経新聞(9月27日付首都圏版生活面)が変形性膝関節症(膝OA)の記事を載せていた。40歳以上の日本人の約三分の一、推定2500万人が膝OAといからまさに国民病であり、この病が引き金で認知症にもなりかねないというからゆゆしき問題である。
認知症かどうかは別として、僕のこの10年ほどは膝OAの痛みとの闘いであった。僕が左膝に違和感を感じて近所の整形外科医医の診断を受けたのは2009年、10年ほど前、78歳の時だ。医者の診断は半月板摩耗からくるものだった。当時あまり知識のなかった僕は冗談交じりに、スポーツ選手にありがちな損傷と勘違いし”名誉の負傷”などとブログに書いたりしていた。それでも医者の指示に従って電気療法を受けたり、マッサージを施術を受けた。しかし、痛みは治療を受けた直後は良いが一向に良くならない。2011年には、スポーツクラブへ通い水中歩行をしたりしたが、その場限りの療法であった。
結局、2013年、82歳の時。家人の勧告で近所の総合病院で診断を受け、入院して人工置換手術を勧められた。80歳を越えた高齢であり手術にはためらいもあったが、思い切って1か月入院入院した。昨年まで、手術後の事後経過の診断を受けていたが、5年間の経過問題がないので今は通院していない。痛みもなく、自分の足で歩行しているが、先月から週に一回、介護施設でリハビリを受けることにした。
自分の10年間の体験では、産経新聞の記事でも紹介しているが、膝OA患者の41.5%が”そのうち痛みは治まるだろう”と思い専門医の診断を受けていないことだ。考えてみれば、摩耗した骨が復活するわけはない。膝が痛ければどうしてお閉じこもりがちになり、認知症の引き金にもなる、早い時期での専門医の診断をお勧めする。
「9月1日」というと、僕ら昭和1ケタ生まれ世代は大正12年(1923年)9月1日、東京中心に起きた関東大震災の日が思い浮かぶ。実際に体験したわけではないが、もの心つく頃から、この日が来ると父母をはじめ周囲の大人たちから地震の体験談を耳にしてきた。その関東大震災も発生して96年、実際に地震を体験し記憶にある人はほとんどいなくなった。しかし、「防災の日」として国民の間で定着してきたのは良いことだ。
毎年、最近は8月は戦争を想起する月なっててきた感じで、マスコミ戦争特番が多い。たまたまその一つNHKラジオの深夜便のコーナー「あちこちのスズさん」をきいた。スズさんとは若い人に人気の主人公だそうで、そのスズさんが戦争について感想をのべ合う番組のようであったが、ほとんどが祖父母から聞いた話であった。祖父母とは僕らの世代であり、戦争も伝承の時代になってきた。
関東大震災は伝承の歴史的な出来事になってきたが、たった百年前の惨事なのに現在、隅田区横網町の横網公園が陸軍の被服廠跡で、大地震後発生した強風で火災を避けて逃げ込んだ3万8千人が焼死した慰霊堂が建っていることなどどれだけの都民が知っているだろうか。地震という自然災害が「防災」という形で引き継がれたのは結構だが、犠牲者への「慰霊」が忘れられている気がする。地震発生の午前11時58分から1分間でも黙祷を提唱したい。