★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

記憶のキャパ

2021年01月20日 12時09分57秒 | 徒然(つれづれ)
 世の中には絶対音感を持つ人間がいる。
 楽器や歌声の音の高さを聴き分ける、曲の耳コピに苦労する私からしてみたら、なんとも羨ましい能力だ。
 別にミュージシャンに限らず一般人にもいるらしい。

 また、その能力が度を越していると、音楽的な音に限らず、生活の中の雑音までもがドレミの音として聴こえるらしい。
 それが苦痛と言う絶対音感保持者もいるという。

 その絶対音感と種類は違うかもしれないが、記憶力の卓越した人間もいる。
 受験用の暗記やクイズ的なもの以外で、生活面における些細な物事まで記憶しているらしい。

 記憶というのは脳の海馬に蓄積されるらしいが、当然そのキャパには個人差、あるいは絶対的な限界があるはずだ。
 経験したすべてのこと、五感から入るほとんどのことが、消されることなく記憶として海馬に蓄積されると、人間はどうなるのだろう。

 別に覚えておきたいものだけでなく、忘れたいことまで自身の意思に反して記憶されるのだ。
 それこそ脳がキャパオーバーでショートして爆発するのだろうか。
 たぶん、どこかで保身本能のストッパーはかかるとしても、そこまで行くには相当な苦痛が伴うかもしれない。

 そんなある意味、超能力的な余計な能力は要らない。
 人間、普通が一番だ。


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SNSも適度が一番

2021年01月19日 20時13分43秒 | 徒然(つれづれ)
 SNS全盛の現在、一応、私もこのブログを始めとして、ツイッター、フェイス・ブック、インスタグラム、ユー・チューブのアカウントを持っている。
 まめに投稿するのはこのブログとツイッターで、フェイスブックは時々友人の投稿にコメントするくらいで、インスタグラムやユー・チューブには投稿したことがない。

 要は閲覧環境やフォロー、発信のハードルが低いほど投稿の頻度は高い。
 ブログは日記代わり、ツイッターは頭の体操を兼ねた、嘉門タツオの#atakowaへの替え歌投稿だ。
 ツイッターとフェイスブックは投稿より閲覧のほうが多い。

 閲覧して目につくのは、投稿に対する反論だ。
 真っ当な反論ならまだしも、度を越した反論、それがエスカレートした誹謗、中傷は日常茶飯事だ。
 部外者としてはそれも他人事で面白いが、当事者にとってはたまったものではないだろう。

 いずれにしても、ツイッターやフェイスブックにまめに投稿している人間は、普通の人間よりも自己顕示欲が旺盛だと思われる。
 商売柄とはいえ、芸能人がその典型だ。
 彼らはより注目度の高い、画像メインのインスタグラムや動画専用のユー・チューブが主戦場だ。

 芸能人に限らず、自己顕示欲ゆえの過激さや誇張が、アンチの反感を買い、誹謗、中傷の要因となるのだ。
 自己顕示欲の代償と割り切れる人間はそうはいないだろう。
 

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粉雪、初雪、ケンタッキー

2021年01月19日 11時41分17秒 | 徒然(つれづれ)
 朝のウォーキング中、粉雪が舞った。
 私にとっての初雪だ。

 ♪ 粉雪舞い散る~小樽の駅に~、と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」の一節が思い浮かぶ。
 私も歳をとったなあ。

 雪が舞っても、寒いことはない。
 レザーのライダースジャケットや恐るべし。

 ブランチは何にしようかとしばし迷い、テレビで宣伝していたケンタッキーの"クリーミーコロッケフィレサンド"なるものを食してみようと思いついた。
 ポンタカードのポイントが貯まっているのでタダでいけるはずだ。

 10時半の開店一番乗りでKFCに入店。
 件のサンドとオレンジジュースを注文。
 なかなか美味だ。

 腹ごしらえを終えて、駅の喫煙所で食後の一服をしてから帰途についた。


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ニュートラル思考

2021年01月18日 21時57分30秒 | 徒然(つれづれ)
 人間、何事もプラス思考が大切だ、などといわれるが、果たしてそうか。
 プラス思考があるならば、当然その対極のマイナス思考もある。
 サラリーマン時代もプラス思考の人間は確かにいたが、マイナス思考の人間のほうが圧倒的に多いように思われた。

 かく言う私も二択だと当然マイナス思考タイプだ。
 競馬予想を例に取ると、馬券を買ったあと、よし、当たれよ、多分当たるだろう、と考えるか、ハズレそうだな、ハズレたらどうしよう、などと考えるかだ。
 もっと突き詰めれば、高配当をゲットして欲しかったアレを買うイメージを想像するか、ハズレて翌日からの耐乏生活を想像するかだ。

 しかし、今までの経験から、プラス思考、マイナス思考いずれの時も、馬券が当たったためしがない。
 強気、弱気、どちらの感情も高配ゲットにはつながらないのだ。

 今までの高配当をゲットした時のことを思い返してみると、プラス思考でもマイナス思考でもなく、無心、無欲だったような気がする。
 高配予想だから、当然、当たる確率は極端に低い。

 いくらプラス思考しても、当たった時のイメージは湧かない。
 逆に当たらない確率が高いので、ハズレてもともと、大したショックはない。
 よってマイナス思考の入り込む余地もない。
 どちらの思考も入らない、要は無心、無欲の境地だったのだ。

 しかし、言うは易しで、なかなかその境地に到達することはない。
 相変わらず、マイナス思考から抜けきれない私です。


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究極のレトルトカレー

2021年01月18日 18時38分28秒 | 徒然(つれづれ)
 多くの日本人がそうであるように、私もカレーが好きだ。
 それも専門店のカレーよりも家のカレーのほうが好きだ。
 これといった理由はないが、子供の時から今に至るまで、母親や家内が作る、市販のルーを使った辛口のカレーが旨いと感じるのだ。

 メインのルーが市販品なので手作りの味というわけでもない。
 手作りという点では、ルーから作る専門店のほうがはるかに手が込んでいる。
 そしてそのカレーは種類こそ違え、スパイスの配合で店の特色を出している。

 それが家のカレーに負けるということは、そのスパイス至上主義にありそうだ。
 好き嫌いがハッキリしているスパイスは両刃の剣なのだ。

 家のカレーは具材も肉と玉ねぎくらいで、肉は安物だ。
 それが旨いということは、やはりメーカーの長年の努力の賜物だろう。
 ルーもメーカーは問わない。といっても、売り場に並んでいるのは、ほとんどがハウスとエスビーだ。
 これもその時々でセールをしている安物で十分だ。

 そんな家のカレーだが、そう頻繁に食べられるものでもない。
 家内の気分次第で、週イチから月イチくらいの間隔の幅がある。

 そこで食べたくなったらすぐ食べられるレトルトカレーが重宝する。
 しかし、レトルトカレーに旨いもんなし、というのはカップラーメンと同じく定説だ。

 それが、つい最近やっとこれぞというカレーに巡り会えた。
 その名も「LEEビーフカレー辛さ×20倍」だ。
 メーカーは江崎グリコ。
 子供の頃のワンタッチカレー以来のグリコカレーとの邂逅だ。

 辛さ×20倍と謳うだけあり、その舌を焼く辛さは半端ない。
 しかし舌の味覚を麻痺させるまでには至らないところがミソだ。
 その辛さのあとに、コクのある旨みが押し寄せてくるのだ。

 ほかのレトルトカレーにはない辛さと旨さのハーモニーだ。
 最近これにどハマリしている。



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さらばスーツと言おう

2021年01月17日 19時36分21秒 | 徒然(つれづれ)
 サラリーマンの象徴、それはスーツだ。
 私が初めてスーツを着たのは、就職活動の時だった。
 今でも覚えているが、それは当時アラン・ドロンのCMでお馴染のダーバンのスーツだった。

 しかしそれはあくまで就活のためのよそ行き着で、日常着ではなかった。
 当然、着慣れないのでしっくりこないし、肩も凝る。
 傍から見ると、スーツに着られているような、似合っていない感アリアリだったに違いない。

 入社してからは毎日スーツだ。
 3ヵ月もすると馴染んで、いっぱしのサラリーマンスタイルが完成した。

 以来、会社が完全フリーウェア制になるまで、30余年の長きにわたり一日の大半をスーツ姿で過ごした計算になる。
 フリーウェアになってからも、大事な商談や出張、会社の式典、たまには気分転換のためにスーツを着用した。

 ちなみに、当初は毎日着るものだからということで、安物を愛用していたが、バブルの頃はまわりのブランド志向にも影響されて、ブルックス・ブラザーズのメチャ高いスーツを着るようになった。
 高額なだけに、生地や仕立てもいいので、安物よりはるかに長持ちした。
 トラッドなスタイルなので、流行にも左右されない。
 アメリカの大統領も愛用するというフレコミも、まんざら嘘ではないようだった。

 役職定年の55歳以降は、経済的理由もあり、ワンランク下のJ.プレスに落ち着いた。
 そして定年退職後はスーツを着ることなど皆無になった。
 もしかすると、もう死ぬまでスーツを着ることなどないかもしれない。
 
 断っておくが、この記事はスーツに対するセンチメンタリズムなどではない。
 今や、ネット通販で気に入った服がメチャ安い価格で買えるので、サラリーマン時代には着ることのなかったスタイリッシュな服を、いろいろ着られるようになった。
 サラリーマン時代のフリーウェアとは意味合いが異なる、いわばスーツからの真の解放だ。


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チキンレース

2021年01月17日 16時22分55秒 | 徒然(つれづれ)
 競馬予想のためコンビニでスポーツ報知を買った。
 その一面にデカデカと東京五輪中止というセンセーショナルな見出しが躍っていた。

 よくよく記事を読んでみると、ニューヨークタイムズの電子版が、「東京五輪への希望が薄れてきた」、「計画が日に日に不確実性を増している」と、中止の可能性に言及しているだけで、確定ではないようだ。
 アメリカの有力紙だけにその影響は小さくない。

 日本の世論も8割方は中止や延期が占めている。
 それに対して当事者の森や菅、小池や橋本など、政治家各氏は開催へ向けた強気な発言一辺倒だ。
 立場上、口が裂けても中止などとは言えないのもわかるが、コロナ禍の感染拡大状況を踏まえると、少なくとも世論を意識して、KYな強気発言は慎むべきだろう。

 しかし見通しは悲観的で、誰が猫の首に鈴をつけるのか、もはや状況はチキンレースの様相を呈している。
 言い出しっぺは、政界、経済界からは総スカンだろうが、国民からしたら真っ当な政治家に見えるだろう。

 このコロナ禍は、オリンピックという世界的イベントはもちろん、庶民の間にもチキンレース的な決断の時を発生させている。
 会社では、誰が在宅勤務を提言するのか、会食の中止を言い出すのか、友人間では誰が旅行や飲み会の中止を言い出すのか、疑心暗鬼の様相だ。

 もちろんコロナに感染するのは嫌だが、万が一感染しても、重症化や最悪死亡の確率は極めて低い。
 そこにジレンマが生じる。まさにチキンレースだ。
 

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大阪だけ暖冬

2021年01月17日 14時24分59秒 | 徒然(つれづれ)
 朝のウォーキングはユニクロのヒートテックの長袖Tシャツと、レザーのライダースジャケットで十分いける。
 気候は真冬のはずなのに、一体どういうことなのか。
 現に、北陸や裏日本、北海道などは寒波の襲来で豪雪に見舞われているようだ。

 しかし大阪は、ともすれば雲間から春を思わせるような日差しが覗く。
 天気予報では1桁気温なのに、体感温度はポカポカ陽気だ。
 雪が舞い、寒風吹きすさぶ、真冬の寒さにはほど遠い日々が続いている。

 大阪だけ暖冬なのか。
 寒波もそうだが、台風や大雨も不思議と大阪を避けて通る傾向があるようだ。
 街中に漂う、大阪人独特の気質や雰囲気には、季節要因も勝てないということなのか。

 生活する上においてはウェルカムなので、このままこの気候が春まで続いてほしいものだ。
 

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頑張れ、頑張るな

2021年01月15日 13時15分53秒 | 徒然(つれづれ)
 緊急事態宣言のメインターゲットにされた飲食店に、世論やネットでは励ましの声がしきりだ。
 曰く、「頑張って」、「負けないで」、「ファイト !」、「応援しています」・・・。
 応援メッセージの「頑張れ」がまたぞろ幅を利かせてきた。

 頑張れ、というのは精神論以外の何ものでもない。
 頑張って成果や効果が出なければ、頑張ったことにはならないのではないか。
 しかしその努力、その過程にこそ意味がある、将来の財産になる、などといわれるが、果たしてそうか。

 頑張ってもどうしようもないことのほうが、世の中には多い。
 また、頑張らなくても成果や効果が出ている人間もいる。

 一時期、頑張るな、頑張らない、がアンチテーゼとして喧伝されたことがある。
 頑張っている人間に、それ以上頑張れというのは酷だし、余命いくばくもない末期がんの患者に対しては、無駄な努力や苦しさを強いることになる。
 要は目いっぱい頑張っている人間に、頑張れというより、もうそれ以上頑張らなくてもいいんだよ、というほうが効果的だという考え方だ。

 私は人生において頑張ったと自負できるような経験はない。
 もしかして、つつがなくサラリーマン生活を終え、定年退職できたことが、他人から見たら、頑張ったという証なのだろうか。

 私は誰に対しても、頑張れ、とも、頑張るな、とも言わないし、言える立場でもない。
 少なくとも私に言えるのは、人生運まかせ、なるようにしかならないさ、明日は明日の風が吹く、気楽に行こうぜ、くらいだ。
 

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ああ、灰皿が消えてゆく

2021年01月15日 12時20分24秒 | 徒然(つれづれ)
 自宅隣のローソンの店頭の灰皿が撤去された。
 つい先日、ウォーキング途上でいつも煙草休憩していた、すき家の店頭の灰皿が撤去されたばかりだ。

 愛煙家の私にとって、コンビニや牛丼店の店頭の灰皿は、砂漠の中のオアシスのような存在だったのが、昨年の緊急事態宣言以降、右へ倣えのように姿を消してきた。
 そしてついに、一縷の頼みの綱だった、隣のローソンの灰皿までもなくなってしまった。
 呆然と立ち尽くし、滂沱の涙に暮れるしかなかった。
 
 これこそまさに、緊急事態宣言に便乗した喫煙者泣かせの暴挙にほかならない。
 買い物ついでの一服や食後の一服は、喫煙者ならではのささやかな憩いのひと時だ。
 それを無情にもなくしてしまうとは、人より余分に納税している喫煙者に対する権利の侵害も甚だしい。

 もうローソンやすき家は金輪際利用しないぞ・・・というわけにもいかず、トホホな気分だ。
 残された喫煙場所は駅の周辺や市役所に限られる。
 しかしそこへ行くのは遠まわりで面倒だ。
 あとは、エチケット違反を承知で、昭和の遺物、歩道橋の上しかない。


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出不精でよかった

2021年01月14日 22時21分51秒 | 徒然(つれづれ)
 定年退職して、念願の引きこもり年金生活になってから丸2年が経つ。

 昔から出不精だったものの、遊び盛りの年頃の大学生時代には、それを上まわる外出の楽しみがあった。
 外出しなければ、友達とも会えないし、麻雀やパチンコ、クラブやコンパにも行けない。

 サラリーマン時代も、特に初めて勤めた会社では、外まわりのルートセールスだったので、一日中車で京都、滋賀の得意先まわりをしていた。
 必然的に出不精などとは言っていられない状況だった。

 そのおかげで、京都市内全域の道路網は細かい抜け道まで頭に入っていたものだ。
 府下や滋賀の特定の地域も同様だ。
 5年半の期間だったが、よくも終日車で走りまわれたものだ。

 転職して35年勤めた会社では、たまの出張以外はほとんど内勤だったので、出不精の性質が甦ってきた。
 そして退職後は出不精を満喫している。

 他人から見れば出不精など非生産的な負のイメージしかないだろうが、私にとっては外出の徒労や緊張に比べると圧倒的に楽チンだ。
 健康維持や刺激を得るために外出は必要というが、今でも毎朝7~8kmのウォーキングは欠かさないし、インターネット経由の刺激は受けている。
 まあ、コロナ禍の現在は引きこもり生活が推奨されているので、誰にも批判されずいうことなしだ。
 


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コロナ禍ではなくコロナ後

2021年01月14日 15時29分52秒 | 徒然(つれづれ)
 政府のコロナ対策が後手後手、中途半端との声が多いが、もうすでに政府は現在のコロナ禍よりも、コロナ後の対策に舵を切っているように思われる。
 止まない雨はない、といわれるように、コロナもいつかは終息するだろう。
 コロナ禍で業績を伸ばした企業やメディアはまだしも、ここぞとばかりに名を売った評論家や自称専門家は表舞台から消えていくに違いない。

 今の政府が見据えているのは、コロナ後の、コロナ禍で多大なダメージを被った経済の復興だろう。
 そのための唯一で手っ取り早い手段が増税だ。
 いかに増税するかが政府の一番の懸案事項だ。

 その税収は福祉政策や失業者対策など国民への還元は後まわしで、政治家の利権獲得のための支持業界へと流れていくのだろう。
 年金生活の私にはほとんど影響はないものの、コロナで廃業や失職した人間にはなんともやりきれないものになるだろう。

 医療体制の整備も、喉元過ぎれば、また元の木阿弥に戻ってしまうのだろう。
 忘却が旨の日本人はすぐにコロナ禍のことなど忘れてしまうに違いない。
 コロナ後には、コロナ禍を教訓にする未来ではなく、歴史は繰り返すを地で行くような未来が訪れようとしている。
 

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コロナの多面性

2021年01月13日 13時42分08秒 | 徒然(つれづれ)
 緊急事態宣言に大阪、兵庫、京都、愛知、岐阜、栃木、福岡の2府5県が追加された。
 政府の小出し感を批判する声が多く見られる。

 果たしてそうだろうか。
 コロナで一番怖いのは死亡率だ。
 1月6日現在、日本での対陽性者死亡率は、80代以上で12.3%、70代で4.5%、60代で1.4%、50代で0.3%、40代以下で0.03%だ。
 これを多いと見るか少ないと見るかは、個人の判断だが、少なくとも40代以下だと客観的に見ても微々たるものだ。

 20代や30代だとそれをはるかに下回る。
 私は60代だが、それでも1.4%と、100人に1人か2人だ。
 競馬で万馬券を当てるより低い確率だ。

 新型インフルエンザや他の病気と単純比較はできないとしても、明らかに恐怖を感じるほどの率ではないと思われる。
 メディアや専門家は死亡者数の合計や感染者数しか見ていないのではないか。

 医療の逼迫と言うが、その原因は軽症者や中等者の入院にあるのではないか。
 コロナを想定した医療体制ができていなかったのだ。
 平時ではそれで充分事足りた。下手をすると余剰といわれるくらいの医療体制だったのかもしれない。

 コロナを2類感染症に指定している限り、それに対処できる病院は限られる。
 2類から外せば、普通の病院に感染者をまわして、医療体制の逼迫は解消されるはずだ。
 
 確かに感染の拡大は深刻だが、それが死亡率の急増を意味するのではない。
 現に高齢者との接触がない若者は、コロナや恐るるに足らず、コロナはただの風邪、程度の認識だ。
 外出するな、会食するなと言われても、どこ吹く風の又三郎だ。

 政府もそれがわかっているので、のらりくらりの対応をしているように思われる。
 感染拡大しても、大半が若い世代で、彼らは無症状か悪くても軽症で治癒する。
 死ぬのは80代以上の高齢者か基礎疾患保有者だ。
 それでもその死亡率は10人に1人ほどだ。

 緊急事態宣言が奏功しなかった時は、コロナを2類から外すことだ。
 このままでは、コロナの死亡者によるダメージより、中小や個人の経済的ダメージが大きすぎる。
 

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初心忘るべからず

2021年01月12日 11時26分46秒 | 徒然(つれづれ)
 毎年1月の競馬はプラス計上している。
 金杯こそ当たらないが、そのあとのシンザン記念や日経新春杯、およびオープン特別などで思わぬ当たりをゲットして、月間トータルではプラスになっている。
 前年の年間マイナスを顧みて、これではアカンと、三連単や三連複から馬単や馬連にハードルを下げるからだろう。

 去年はGⅠをはじめ、重賞レースやオープン特別は本命筋の決着が多かった。
 ということは、今年は荒れる年で高配当が期待できる。
 しかし三連単や三連複でそれを当てるのはなかなか難しい。
 よって、今年は初心に戻り、まずは当面、枠連と馬連で勝負をすることにした。

 思い返せば、大学時代に悪友に誘われて競馬の道に足を踏み入れて以来、京都祇園の場外馬券売り場に月に1、2回程度通っていた。
 競馬場の敷居を跨ぐには、まだまだ場数が足りなかったのだ。

 当時は単勝、複勝、枠連の3種類しか発売されていなかった。
 当然、私は配当の高い枠連中心に馬券は買っていた。
 三連単や三連複が当たり前の今日から考えると枠連など見向きもしないが、それでさえ当たるのはまれだった。

 今でこそ馬券は100円単位で買えるが、当時、場外での枠連の発売は確か500円単位だったので、貧乏学生には相当絞り込みが必要だった。
 万馬券など夢のまた夢で、麻雀で役満を上がるより難しかった。
 初めて万馬券を当てた時など、人目もはばからず小躍りしたものだ。

 そんな競馬初心者の頃の気持ちを思い出し、まずは春のGⅠシリーズ開催まで、枠連で今年の当たり癖をつけようと思った次第だ。


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日本人よ、今こそ休め

2021年01月10日 14時39分07秒 | 徒然(つれづれ)
 日本人にとって、休むということには多少なりとも罪悪感が伴うようだ。
 私もサラリーマン時代、たまに有休や代休で休むと、その日は家にいても外出しても、仕事をしている同僚に申し訳ないような気分になったものだ。
 土日は当然そんな気分にはならないが、月曜からの仕事のことを考えると、無駄に時間が過ぎてゆくのがもったいなくて、焦りにも似た気分になったものだ。

 定年退職して毎日が休日の生活になると、そんな過去の日々が懐かしく覚えてくる。
 誰にも気兼ねすることもなく、休日の終わりの切なさややるせなさとも無縁だ。
 人間関係の煩わしさもなくなり、自分のやりたいことをやり、やりたくないことは一切しなくていいようになった。

 従来だと暇を持て余し家の中でゴロゴロしていると、非難めいたことを口にしていた家内も、このコロナ禍の現状では何も言わなくなった。
 プチ我が世の春だ。

 こんなことを言っていると、働きバチや失業者から白い目で見られそうだが、曲がりなりにも定年までそれなりに働いて、その報いとして年金生活を勝ち取ったのだ。
 誰にも文句を言われる筋合いはないよね。
 

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