今日も3歳の子どもの虐待死のニュース。
新聞によると、生後3カ月の時に虐待が分かり、一時期、乳児院に保護されていたらしい。
子どもの悲鳴は、誰にも届かなかったのか!
お母さんを十分支援できないのならば、
子どもを養育的に看てもらう人に預けた方が子どものため、
子どもを看れない母親のためでもある。
何もおなかを痛めた子どもを殺したい人はいない。
だから、保護者の支援が必要。
子どもを養育的に看れないのには、理由があり、その問題を解決するまで
その親の元に返してはいけない。
以下、司馬遼太郎さんの遺言書と言われる
「21世紀の君たちへ」から
*********************
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
やさしさと言いかえてもいい
これらは似たようなことばである
この三つのことばは元々一つの根から出ているのである
根といっても本能ではない
だから 私たちは訓練をしてもそれを身につけねばならないのである
いつの時代になっても人間が生きていく上で
欠かすことができない心がまえというものである
*********************
私は、この司馬遼太郎さんの文章を読んで、違うと思う所があります。
本能だけど、その本能を阻害される養育スタイルによって
本能が発揮できないでいるのではないかと。
本能が発揮されるには、親や養育者から愛され、優しくされること。
それが上手く行ってない場合は、養育者を支援すること。
多くの大人が関わって子どもを愛して行けばいい。
新聞によると、生後3カ月の時に虐待が分かり、一時期、乳児院に保護されていたらしい。
子どもの悲鳴は、誰にも届かなかったのか!
お母さんを十分支援できないのならば、
子どもを養育的に看てもらう人に預けた方が子どものため、
子どもを看れない母親のためでもある。
何もおなかを痛めた子どもを殺したい人はいない。
だから、保護者の支援が必要。
子どもを養育的に看れないのには、理由があり、その問題を解決するまで
その親の元に返してはいけない。
以下、司馬遼太郎さんの遺言書と言われる
「21世紀の君たちへ」から
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「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
やさしさと言いかえてもいい
これらは似たようなことばである
この三つのことばは元々一つの根から出ているのである
根といっても本能ではない
だから 私たちは訓練をしてもそれを身につけねばならないのである
いつの時代になっても人間が生きていく上で
欠かすことができない心がまえというものである
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私は、この司馬遼太郎さんの文章を読んで、違うと思う所があります。
本能だけど、その本能を阻害される養育スタイルによって
本能が発揮できないでいるのではないかと。
本能が発揮されるには、親や養育者から愛され、優しくされること。
それが上手く行ってない場合は、養育者を支援すること。
多くの大人が関わって子どもを愛して行けばいい。