ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

大河の一滴

2015年05月07日 | 行ってきました
瞑想10日目の朝 草むらに数しれない光を見た。

それは まるでダイヤモンドのように美しく輝く無数の朝露だった。

毎夜、見上げる夜空の星々にも劣らぬ輝き。

しばし ピントを外したまま
あちらこちらから放たれるキラメキに見とれた。

草の匂いが身体中に朝のシャワーとなり

静けさの広がる頭の中は 音のない穏やかな世界…

テレビも インターネットも 携帯電話も 本もペンもノートも
人との会話も 接触もなく
薄灯りの瞑想部屋で9日間 過ごした

この何気ない景色に宿る儚くう光たちの 何と美しいことか

覗き込めば 大小さまざまな朝露が、大きい草、小さい草に住まうかの様に身を寄せ合っている。

小さなクローバーは、小さなお家。

大きなクローバーは、少し大きなお家。

クローバーの群れが町。

隣の立派なピンクのツツジに住む朝露は、少し威張っていて、さしずめ大金持ちのお城といったところだろう。

どんなに大きい家に住まおうが
飛び抜けた才能があろうが
朝露に偉い、偉くないという優劣はない。

どれも同じく美しい。


朝露は、いつ生まれ、いつなくなっていくのだろうか…


ちょんと 手で触れてみると、たちまち壊れて
輝いていた朝露は、葉から落ちてしまった。

はかない命。

人間もやはり、この朝露と同じ生成物に過ぎない。

いつかは、死んでいく生成物なのだ。

そして、私たちは 自然の摂理によって生かされている生き物。

決して自分で壊してはならぬ。

葉を潤し、輝き続け
ようやく水蒸気となり、雨となり、大河の一滴となるのだ。

人間もまた同じ。

決して自分で壊してはならぬ。

生きとしいけるもの、生かされている間は、それに感謝し
辛くても生き続けなければならぬ。

辛くても、生きて行ける。

辛さは、乗りこえられる。

辛さは、過ぎて行く。

こうして、私たちは、生きてきた。

そして、再び、乗り越えては

前に進み、生きていくのだ。

私たちは、生かされている。

そのかけがえのない時間を共に生きている。


共に生きる皆 幸せでありますようにと願う。

だいじょうぶ…私たちは こうして人の幸せを願うキラメキに守られているから。

こうして光る朝露のごとく 人の幸せを願う心は 誰の中にも宿っている

そして、人の幸せを願う心が 大河の一滴となり 人々を潤し、

人々の苦悩を押し流す大きな流れとなりますように。
コメント (2)
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