「地震、雷、火事、オヤジ」
この言葉、死語になってしまった感じがします。
昔は、地震と並んで恐れられていた「オヤジ」は、
今や甲斐甲斐しくこどもの面倒を看る優しいお父さんのイメージ。
むしろ、ガミガミ、厳しいお母さんをなだめるのがお父さんという家庭も多い。
ニートは、増加し、いつまでも子どもでいたいピーターパン症候群…
自立しない子ども、というか若者が多い。
オヤジが厳格でうるさいから、早く家を出て独立したいというのは、
少数派になってしまいました。
家で暴れてお母さんを殴るなど、問題行動を起こす子ども。
父性が足りない。
特に、やってはいけないことをするギャングエイジ以降に。
ギャングエイジとは、小学校後半くらいの年齢の子供が、同性だけの閉鎖的集団をつくって、いたずら・遊び・乱暴な行為などをする成長過程の一時期。徒党時代。
父性が必要なのは小学校~青年期にかけて。
父性とは、ルール、社会性や正義感などを身に付けるためにここまではやって良いけど、
ここからはやっていけないと叱るような厳格さのこと。
自分の感情に任せて怒鳴ったりするのではなく、
冷静に子どものことを思って冷静に叱るのがしつけであり、愛情です。
ルールの中で自由を与えると、子どもは、その中で、安定します。
ルールなく何でもやって良いと甘すぎたり、放任すると、
子どもは、精神的に不安定になるか、
なまけになってしまうことがあります。
一方、生まれてすぐから幼少期に充分与えられることで、
私たちが生きていく上で精神的な土台となる母性は、
「人の存在や価値そのものをありのままに受け入れ、愛し守る力」
母性も父性も、生まれつき備わっていると思われがちですが、
育った環境からの経験から育つ能力だと言われています。
父性とは、社会性を育てるために必要なもので、ルールを教え、
社会で生活するためのスキルを子どもが身につける援助の役割をします。
与える順番は、
幼少期に母性的なものが十分に伝えられた後、
学童期に父性的なものを加えて、初めて父性が伝わります。
これは、子どもに限らず、私たち大人も、
いったん自分を受け入れてもらってからでないと、
相手からの苦言は聞けないということです。
この言葉、死語になってしまった感じがします。
昔は、地震と並んで恐れられていた「オヤジ」は、
今や甲斐甲斐しくこどもの面倒を看る優しいお父さんのイメージ。
むしろ、ガミガミ、厳しいお母さんをなだめるのがお父さんという家庭も多い。
ニートは、増加し、いつまでも子どもでいたいピーターパン症候群…
自立しない子ども、というか若者が多い。
オヤジが厳格でうるさいから、早く家を出て独立したいというのは、
少数派になってしまいました。
家で暴れてお母さんを殴るなど、問題行動を起こす子ども。
父性が足りない。
特に、やってはいけないことをするギャングエイジ以降に。
ギャングエイジとは、小学校後半くらいの年齢の子供が、同性だけの閉鎖的集団をつくって、いたずら・遊び・乱暴な行為などをする成長過程の一時期。徒党時代。
父性が必要なのは小学校~青年期にかけて。
父性とは、ルール、社会性や正義感などを身に付けるためにここまではやって良いけど、
ここからはやっていけないと叱るような厳格さのこと。
自分の感情に任せて怒鳴ったりするのではなく、
冷静に子どものことを思って冷静に叱るのがしつけであり、愛情です。
ルールの中で自由を与えると、子どもは、その中で、安定します。
ルールなく何でもやって良いと甘すぎたり、放任すると、
子どもは、精神的に不安定になるか、
なまけになってしまうことがあります。
一方、生まれてすぐから幼少期に充分与えられることで、
私たちが生きていく上で精神的な土台となる母性は、
「人の存在や価値そのものをありのままに受け入れ、愛し守る力」
母性も父性も、生まれつき備わっていると思われがちですが、
育った環境からの経験から育つ能力だと言われています。
父性とは、社会性を育てるために必要なもので、ルールを教え、
社会で生活するためのスキルを子どもが身につける援助の役割をします。
与える順番は、
幼少期に母性的なものが十分に伝えられた後、
学童期に父性的なものを加えて、初めて父性が伝わります。
これは、子どもに限らず、私たち大人も、
いったん自分を受け入れてもらってからでないと、
相手からの苦言は聞けないということです。
母の一言一言にピリピリする私がいました。母は悪気はなく、素直な感想を言っているだけなのに「どうしてこの場でそんなことを言うかな?」…これって、私が主人によく言われること。私は母を非難しながら、実は無意識に自分を非難している、そんなからくりを感じました。母は私のきつい言葉、眼差しに小さく「ごめんね。でも、お母さんはそんなつもりじゃないとよ。」
13年前の脳梗塞の後遺症で、うまく言葉を喋れない父は、問いかけにニコニコ笑顔でこたえ、おいしそうにお弁当を食べ、ちょっとお昼寝。父のペースで運動会を楽しんでいるようでした。
私は幼い頃、両親から受け取った不安を、今も憎んでいます。
「私の心の軸がいつまでも不安定なのは、お父さんがしっかりしていなかったから。お母さんが私にしっかりすることを強要したから。私は私を生きることが出来ない」
母性と父性。必要な時に必要な量をもらえなかった。そういう「すねた」思いが私のなかに未消化で残っていて、両親を責めている気がします。
両親なりに私を愛してくれていた。頭では理解しているつもりなのに、「もっと、お父さん、お母さんがしっかりしてくれていたら、私はこんなに苦しい生き方をしなくてよかったのに」
私は、自分の弱さ、問題を、両親にぶつけているだけなのでしょうか。
両親への「ありがとう。元気でいてください」という気持ちと、未消化の思い。
両親が元気なうちに乗りこえたい、そう思います。
未消化の感情は、 ご自分もつらいですね。