「親が亡くなる前に、
感謝の気持ちを伝えたい」
「親が亡くなったら、
と考えると親に感謝しなければと焦ります」
私の母の死を知り
それぞれの方が、
いろいろな事を考え、
感じられたようです。
身近で大切な人が
亡くなる覚悟なんて
辛いです。
思い残すことのないように
気持ちを伝えること
してあげたいことを
してあげること
出来る時に
しておくといいと
つくづく思いました。
ただし、決して焦らずに。
感謝の気持ちを伝えたい」
「親が亡くなったら、
と考えると親に感謝しなければと焦ります」
私の母の死を知り
それぞれの方が、
いろいろな事を考え、
感じられたようです。
身近で大切な人が
亡くなる覚悟なんて
辛いです。
思い残すことのないように
気持ちを伝えること
してあげたいことを
してあげること
出来る時に
しておくといいと
つくづく思いました。
ただし、決して焦らずに。
父方の祖父は、意識を失う2日ほど前に新年会で元気な姿を見たばかりでした。
それが「喘息が出たから、用心のために入院する」との連絡の次の日、意識を失い、その一週間後に延命装置を止めました。
私はその時、「何ですぐにお見舞いに行かなかったんだろう」と悔やみました。
母方の祖父の時は、そのことがあったので、時間ができるたびに家にも病院へも行きました。
特にこの祖父に可愛がられていた私。
危篤の連絡を受けた時にたまたま病院の近くに居たので、意識のあるうちに会えましたが、危篤を繰り返していたので、「またか…」という感じで、真剣に話をしていませんでした。
居なくなることを予想してたくさん会うようにしても、やはり後悔はある…
「おじいちゃんに曾孫を見せたかった」「花嫁衣裳を見せたかった」など、今だにさまざまな後悔がよぎります。
私は『お別れがわかっていても、後悔はするんだ』と思います。
「もっとこうしていたら…」等と思うのは、仕方のないことだと思います。
でも、その人が生きている間にできなかったことでも、亡くなってから報告はできると思います。
自分の今の幸せを報告すること…
それが、亡くなった方への生前できなかった恩返しになるのではないかと…
すみません、うまく言葉がまとまらなくなってしまいましたが、時にはお母様のことを思い出して、心の中で会話をすることもいいのではないかと思います。
というはかなさ。
ずっと続くと思ってしまう命。
だから、せつない
命あるものは、それが有限だからこそ美しいのでしょうか。
人間も深い部分ではそれを知っているから、何かに没頭したり一生懸命になり、その打ち込んでいる姿はとても美しいのでしょうか。
日々を元気に過ごしていると、そのことを忘れてしまうことがあります。
そんなとき、命には限りがあるという事実を思い出させてくれる出来事が起こると、はっとして、そして自分を振り返ります。
いまを一生懸命。それしかないのかな…。
大切な人たちに伝えたい言葉は、いつか、ではなく、思ったときに伝えよう。