正確には38日間の入院生活だったが、痩せ衰えるほどの内部疾患重症患者ではなく、頭部とはいえ耳科の患者であるから、ほぼ原形を保って退院できたのは良かった。
頭部ということからか脳外科の患者と同室で、頭に包帯を巻いていたということが強いて言えば共通しているものの、脳外科の患者の方が病人らしかった。
肩身が狭いと思ったことはないけれど、耳鼻科の患者は2週間ほどで退院するのが普通らしく、そんななかでMRSAの私は特攻隊を見送るように、次々と先を越されていった。
けれど、前の日記に書いたように退屈しない日々を送れたのも事実である。
確かに若い娘の多いナースステーション(ここでは『スタッフステーション』と呼んでいた)の前を通る時は胸のときめきに似た華やかさが漂ってくるし、ディルームで食事をするときはお婆さんたちと短い会話を楽しんでいた。
そして暇さえあれば、ノートに日記を書きこんでいたのが、最も退屈しのぎになったと思っている。テレビを観ても、新聞を見ても、医師や看護師の所作を見ても、とにかくノートの中に閉じ込めてしまう。
『○○さ~ん、食事が用意されています』
看護師さんが病室まで呼びに来てから、腰を上げるのが常だった。
頭部ということからか脳外科の患者と同室で、頭に包帯を巻いていたということが強いて言えば共通しているものの、脳外科の患者の方が病人らしかった。
肩身が狭いと思ったことはないけれど、耳鼻科の患者は2週間ほどで退院するのが普通らしく、そんななかでMRSAの私は特攻隊を見送るように、次々と先を越されていった。
けれど、前の日記に書いたように退屈しない日々を送れたのも事実である。
確かに若い娘の多いナースステーション(ここでは『スタッフステーション』と呼んでいた)の前を通る時は胸のときめきに似た華やかさが漂ってくるし、ディルームで食事をするときはお婆さんたちと短い会話を楽しんでいた。
そして暇さえあれば、ノートに日記を書きこんでいたのが、最も退屈しのぎになったと思っている。テレビを観ても、新聞を見ても、医師や看護師の所作を見ても、とにかくノートの中に閉じ込めてしまう。
『○○さ~ん、食事が用意されています』
看護師さんが病室まで呼びに来てから、腰を上げるのが常だった。