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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

暗黒街のふたり

2019年09月25日 17時56分53秒 | 洋画1971~1980年

 ◎暗黒街のふたり(1973年 フランス、イタリア 100分)

 原題/Deux Hommes Dans La Ville

 監督・脚本/ジョゼ・ジョヴァンニ 音楽/フィリップ・サルド

 出演/アラン・ドロン ジャン・ギャバン ミムジー・ファーマー イラリア・オッキーニ

 

 ◎悪とはなにか?

 当時のフランス車はどれもこれも前後ともベンチシートなんだね。首を預けられないのは辛いだろうな。

 ポスターに使われてるスチールは後半、ギャバンが印刷所にドロンを訪ねたときのカットだ。この場面、上手にふたりを動かして、両方の表情をうまく捉えてるわ。

 しかし、ジョゼ・ジョヴァンニ、剛腕だな。裁判の場面で、ひとりだけ過失傷害致死に居合わせた恋人の証言を音声カットしてギャバンのナレーションだけで処理しちゃうとは。ちからわざだね。

 さらにうまいのは、ドロンの最初のカットは印刷所の輪転機の向こうに顔が見えてくるんだけど、それがラストのギロチンの断頭台に見立てられてるところだ。この伏線が上手すぎるのに、ラスト、ギロチンの模型とセットがおそまつなのがなんとも悲しいね。

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キャリー

2019年09月19日 23時18分14秒 | 洋画1971~1980年

 ☆キャリー(1976年 アメリカ 98分)

 監督/ブライアン・デ・パルマ 音楽/ピノ・ドナジオ

 出演/シシー・スペイセク パイパー・ローリー ウィリアム・カット ジョン・トラボルタ

 

 ☆汚れた娘

 封切りでは観られなかったけど、文芸座に落ちてきてすぐに観に行ったのが1979年。もう何年経ったんだろう。そして、もう何回観たんだろう。結局、続編も新作もさっぱり忘れて、鮮烈な印象と共に憶えてるのは、この第一作だ。

 それにしても、なんとまあ、おぞましくも下品な色気を漂わせた映画なんだろう。

 まるで忘れてたけど、ナンシーアレンのフルヌードがあったんだね。そうか、ナンシーアレンとトラボルタは車の中で尺八する関係の役回りから『ミッドナイトクロス』に至るのね。なるほど。

 あらためてびっくりしたのはやっぱりカメラで、ウィリアムカット舐めのシシースペイシクなんだけど、両方にピントが合ってる。ふたりに挟まれたマリオの女版みたいな格好の女子生徒はボケてる。なんつう出来のいい合成なんだ。

 まあ、磔にされたキリストのように殺されちゃうお母さんことパイパー・ローリーが元凶とはいえ、凄い話だね。

 スティーブン・キングにはある時期ものすごく凝ってて、すべての作品を読破しようとしてつぎつぎに購入してたけど、やっぱり『キャリー』は最高におもしろかった。そこへもって、絶頂期のデ・パルマだ。おもしろくないはずがないわな。

 ちなみに『おばけのキャリー』とかいったことでキャリーの最初の念力にスッ転がされる自転車少年にキャメロンデパルマとかあるんだけど、これは息子か?

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ジョーズ

2018年07月07日 00時02分55秒 | 洋画1971~1980年

 ◎ジョーズ(1975年 アメリカ 124分)

 原題/Jaws

 監督/スティーヴン・スピルバーグ 音楽/ジョン・ウィリアムズ

 出演/ロイ・シャイダー ロバート・ショウ リチャード・ドレイファス

 

 ◎才能の発露

 28歳の若者の演出とはおもえない。

 こんなに上手な映画だったかなっておもっちゃうくらい上手な演出だった。

 たしかに、最初の惨劇が起こる前、浜の砂丘をレール移動しながら一枚ずつ服を抜いでいく女性をワンカットで撮ったところや、鮫取り船が出港していくときに、窓辺に掛けられている鮫の顎がその船を噛み砕いていくような印象を与えるカットとかは憶えていたんだけど、海水浴場の点描とロイシェイダーのモンタージュはまったく忘れてた。見事だった。シャッターを入れ込んだカットの切り返しで、不気味な海と気持ちの焦りが徐々に高まってくる。その後、ホオジロザメが出たという情報で、波打ち際まで駆けていくスローモーションもやっぱり見事だった。

 まいっちゃうな、ほんと。

 あ、ちなみに、この映画のサウンドトラックだけど、オリジナルと完全盤の二枚ある。ぼくの趣味としては、最初に出たオリジナルの方が好いな。完全盤は、時が経ってから別なテイクが発見されたとかっていうんだけど、なんだか無理矢理に使用されていないテイクをぶちこんだような気がするんだよね。そうじゃないのかな。

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バニシングin60″

2018年03月24日 13時50分26秒 | 洋画1971~1980年

 △バニシングin60″(1974年 アメリカ 98分)

 原題/Gone in 60 Seconds

 製作・監督・脚本・主演・スタント/H・B・ハリッキー

 音楽/ロナルド・ハリッキー フィリップ・カチャトリアン エブ・ジャンセン

 出演/マリオン・ブシア ジェリー・ドージラーダ 1973年型マスタング「ELEANOR」

 

 △LOCK YOUR CAR OR IT MAY BE GONE IN 60 SECONDS

 ぶっ壊した車は93台らしい。

 車好きにはこたえられない約40分間のカーチェイスなんだろうけど、どうにも、ぼくには何度観ても飽きちゃう。

 もともと車のことはほとんどわからないし、そもそも運転することもめったにないから、カーチェイス自体にそれほどこだわりはない。だからマスタングが徐々に見る影もなくなっていくのをまのあたりにしていても、なるほどな~としかおもえないのは自分ながら不幸な野郎だな~とおもったりするのだ。

 

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スコルピオ

2018年03月13日 22時25分18秒 | 洋画1971~1980年

 △スコルピオ(1972年 アメリカ 114分)

 原題/Scorpio

 監督/マイケル・ウィナー 音楽/ジェリー・フィールディング 

 出演/バート・ランカスター アラン・ドロン ポール・スコフィールド

 

 △で、結局、スコルピオって誰?

 とでもいいたくなっちゃうほどに、どうってことのないCIA物だったわ。

 殺し屋稼業ってのはゴルゴ13でもないかぎり疲れて嫌になっちゃうものなんだろうけど、なんだかこれじゃあCIAが暗殺集団のような印象になっちゃってて、スパイ物っていうよりスナイパー物って感じだったね。

 でも、人間、老いてくると生活の安定を求めたくなるもので、そういうことでいうと、その安定した生活の中にはやっぱり異性が入ってないとダメなんだね。そんなことをぼんやりとおもいながら、CIAを裏切って逃げ続けるバート・ランカスターと、CIAに弱みをにぎられて育ての親を標的にせざるを得なくなるアラン・ドロンとの追跡劇なんだけど、だれる。

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サタデー・ナイト・フィーバー

2018年01月30日 01時20分58秒 | 洋画1971~1980年

 △サタデー・ナイト・フィーバー(1977年 アメリカ 118分)

 原題/Saturday Night Fever

 監督/ジョン・バダム 音楽/ビー・ジーズ デヴィッド・シャイア

 出演/ジョン・トラボルタ カレン・リン・ゴーニイ ジョセフ・カリ、ドナ・ペスコウ

 

 △フィーバーの語源

 当時、このペンキ屋の若造の青春劇はちょっとした評判だった。

 ぼくは実はあんまり好きじゃなくて、友達がやけに凝っててそれを見るのもちょっと横目で見てたりした。ディスコなるものに行ったのはこの映画が出来てから2年も後のことで、結局、これまでに数回しか行ったことがない。

 実際、ぼくの口から「フィーバー」なんて台詞は一度も発されることはなかったし、これから先もないだろうけど、いやまじな話「フィーバーしちゃおうぜ」みたいな台詞を口にする奴とは友達になりたくなかったし。

 そんなことはさておき、映画も、最後の輪姦と自殺は気分が悪いな。トラボルタは若くてもうなんだか嫌になっちゃうようなポーズをとらされてるし、悲しかったんじゃないかっておもうんだけど、そんなことなかったんだろうか。いずれにせよ、やり場のない若い連中のはすっぱな物語なんだけど、つまりはいい奴になることがちょいと恥ずかしくて、でもどうしてもいい奴にしかなれないじれったさというかジレンマというか、そんなものを出そうとしてうまくいったんだかいかなかったんだかよくわからない出来栄えになったって感じがするなあ。

 音楽は、別格だけどね。

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ロビンとマリアン

2018年01月15日 13時03分01秒 | 洋画1971~1980年

 ◎ロビンとマリアン(1976年 アメリカ、イギリス 106分)

 原題/Robin and Marian

 監督/リチャード・レスター 音楽/ロビンとマリアン

 出演/ショーン・コネリー オードリー・ヘップバーン ロバート・ショウ リチャード・ハリス

 

 ◎ロビンフッドの晩年

 獅子心王ことノルマンディー公リチャード一世は、ロビン・フッドの物語では支援者の側に立ってるんだけど、この物語では冒頭から十字軍の遠征をひたすら続ける戦いの象徴として扱われる。当然、ロビンフッドとは相容れなくなり、老人や女だけのシャリュ城を攻撃しろと強引に命じたところで敵方に矢を射られて崩御することになるんだけれど、そこから年表をひもとけば、この物語は1199年の春ということになる。

 それはともあれ、この映画が公開されたとき、ぼくはまだ高校生で、キネマ旬報を毎月取り寄せてて、そこで封切りを知った。

 でも、まだまだがきんちょだった僕は「おじいさんとおばあさんの恋物語なんて観たくもない」っていうのが正直なところで、映画館に足を運ぶ気にもならずにいた。当時、ヨーロッパの中世の物語はときどきあって、世界史になんの興味もなかった僕は見向きもしなかった。

 そんな自分の過去をおもえば、今、あまり観る気のしない青春物を観ている人達に僕の観たい映画の話をしたところで仕方ないんだろうね。

 で、物語なんだけど、シャーウッドの森に帰ったロビン・フッドがかつての恋人だったマリアンを訪ねてみれば、ロビンの帰りを待ち切れずに修道院に入ってしまってて、それをなんとか取りやめさせてふたたび恋を語るようになるのも束の間、宿敵の代官が攻め寄せ、その戦いの果てに勝利を得るもののロビンも深手を負い、これではもう一緒に死ぬしかないとマリアンは毒を仰ぎ、めざめたロビンもまた死を覚悟し、矢を射って「この矢が落ちたところに一緒に埋めてくれ」といいのこすっていういかにも定番の物語が展開されるんだけれど、でも年を取ってから観てみると、これはこれで充分に鑑賞できた。

 つまりは、そういう年回りになってきたってことだね。

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カプリコン1

2018年01月13日 23時25分14秒 | 洋画1971~1980年

 ◎カプリコン1(1977年 アメリカ 129分)

 監督・脚本/ピーター・ハイアムズ 音楽/ジェリー・ゴールドスミス

 出演/エリオット・グールド ジェームズ・ブローリン サム・ウォーターストン O・J・シンプソン

 

 ◎幼い頃の記憶

 この有人火星探査宇宙船「カプリコン・1」の物語は、いまさらあらすじを書いたところで仕方ない。

 だって、あまりにも知れ渡ってるからだけど、ただ、ちょっとだけ書いておかないといけない。

 というのも、これは結局のところ「空想科学サスペンス映画」という変わったくくりの内容になってて、火星にむかうロケットの生命維持装置が壊れたことから乗組員が内緒で下ろされ、スタジオ撮影によって全人類に嘘をつくっていう話で、みそになってるのは帰還してきたロケットが大気圏で燃え尽きてしまったため、乗組員たちはこの世に存在してはならなくなってしまったことから暗殺されそうになるっていうところで、で、ラストのほんとうの帰還がスカッとするわけだけれども、この逃亡の物語と並行して語られるのが巨悪を暴こうとする新聞記者の奮闘なんだよね。

 実は、こちらが好いんだ。関係者が隠密裏に行方不明にされ、その存在すらもなくされ、自分もまた何者かに命を狙われる。国家という巨大な存在を相手どって戦わざるをえなくなる筋立ては、どうしようもなく好きなものだから。

 ちなみに、小学生だった頃の記憶がある。

 アポロが月に着陸したときのことだ。ぼくは夜、近所の屋台へお使いに出ていた。どて焼きを買うためだ。その屋台は昔軍人だった人が曳いていて、とても顔だちの好い人だったんだけど、串焼きのお店で、そこのどて焼きがとても好きで、ぼくはときどき晩ご飯のおかずにしてもらって、お使いに出ていた。で、どて焼きができるのを待っていると、そこで串をつまみにお酒を飲んでるおじさんがいて、ちょうどアポロが月面着陸したばかりで、こんなこと口走った。

「あんなもん、おめえ、月なんかじゃなくて、どこかの撮影所で撮ってんだよ。月なんか行けるわけねえわ」

 ぼくはどて焼きを抱えて屋台を出たとき、ふと空を見上げた。満月だった。あの日の満月は忘れられない。

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カサンドラ・クロス

2017年11月11日 23時35分39秒 | 洋画1971~1980年

 ◎カサンドラ・クロス(1976年 西ドイツ、イタリア、イギリス 129分)

 原題 The Cassandra Crossing

 監督 ジョージ・パン・コスマトス

 出演 エヴァ・ガードナー、アリダ・ヴァリ、イングリッド・チューリン、マーティン・シーン

 

 ◎カサンドラ大鉄橋

 この映画は、個人的な思い入れが強くて困る。

 ジュネーブ発パリ・アムステルダム経由ストックホルム行きの大陸横断鉄道なんて聞いただけで、当時のぼくはもう気がそのままヨーロッパに飛んじゃってた。田舎の高校生だった僕は、ちょっとしたことからヨーロッパと縁ができて、この映画の冒頭で銃撃戦が行われるジュネーブの国際保健機構にも行った。で、それから4か月後に日本でこの作品が公開された。もう大宣伝が展開されて、応募した人の中から抽選で20名だったかをヨーロッパの横断鉄道にご招待とかいうチョー太っ腹な催事まであった。応募したさ、もちろん。応募する場合はひとりにつき往復ハガキ一枚を厳守のこと、とかいう条件なんざまるきり眼中にないまま、200枚の葉書を出した。結局、抽選からは洩れた。行きたかったな~。誰が招待されたんだろう?その人、どこかにいないかな?ぜひとも会いたいな。

 てなことだから、もう年末の封切りが待ち切れなくて、ともかく観に行った。おもしろかった。いまさら内容について書きとめる気にもならないけど、でも、当時のぼくはあまりにも舞い上がってた。だから、そのときはリチャード・ハリス、ソフィア・ローレン、バート・ランカスターの3人にしか目がいかなくて、列車をニュルンベルクに誘導して、そこから医療チームを乗車させてポーランドの隔離施設で乗客に精密検査を受けさせるなんて場面が展開していったにもかかわらず、まるでナチスの亡霊について想像もおよばなかったし、乗客の中にいるユダヤ人リー・ストラスバーグの思い出しくない思い出を思い出してしまう場面がいまひとつ胸にこたえなかった。情けない話だ。

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さらば愛しき女よ

2017年11月10日 15時02分29秒 | 洋画1971~1980年

 ◇さらば愛しき女よ(1975年 アメリカ 95分)

 原題 Farewell My Lovely

 監督 ディック・リチャーズ

 出演 ロバート・ミッチャム、シャーロット・ランプリング、ジョン・アイアランド、シルビア・マイルズ

 

 ◇ロサンゼルス、1941年

 なるほど。当時はヤンキースのディマジオが大活躍で、フィリップ・マーロウもその56試合連続安打に耳を傾けていたってわけだ。でもその時代は決して好い時代じゃなくて、ヨーロッパではアドルフ・ヒトラーが欧州一円を席捲し、はるかロシアにまで進攻し始めてた。そのあおりもあってか、砂糖1ポンドが6セントに高騰して、世界は陰鬱な雲に覆われていた。そんな頃、マーロウはとある女を探してくれという、なんとも簡単な安仕事を請け負うことになるんだけど…っていう物語だ。渋いね。

 でもまあ、なによりなのは、ロバート・ミッチャムの眠たそうな眼つきじゃなくて、なんといってもシャーロット・ランプリングの妖艶な登場だよね。もうはなっから「ああ、悪いのはこいつじゃん」としかおもえないような階段の上のシルエットで、ドレスから覗いたその長い脚でおりてくる様を眺めた途端、悪いのは彼女の性格じゃなくて、彼女があまりにも魅惑的に育ってしまったことなんだよね、その薄幸さが輪を駈けたんだよねっていう同情までひきおこされちゃうんだから、実はこの映画はそれだけでいいんだな、たぶん。

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愛の嵐

2017年10月26日 00時11分30秒 | 洋画1971~1980年

 ☆愛の嵐(1974年 イタリア 117分)

 原題 Il Portiere di notte

 英題 The Night Porter

 監督 リリアーナ・カヴァーニ

 出演 シャーロット・ランプリング、ダーク・ボガード、フィリップ・ルロワ、ガブリエーレ・フェルツェッティ

 

 ☆1957年、冬、ウィーン

 リリアーナ・カヴァーニの演出が凄いのかシャーロット・ランプリングの演技が凄いのかわからないけど、この倒錯した性愛劇のリアリティは並大抵なものじゃない。それはなにもシャーロット・ランプリングが騎乗位になったときの腰の使い方があまりにも官能的すぎるとかいう些細なことではなく、画面から饐えた匂いが漂ってくるような全体の雰囲気のことだ。

 まあ、ここでいまさらあらすじを追いかけたところで仕方がないけど、なんとも皮肉というか偶然というか、ダーク・ボガードのことだ。

 ダーク・ボガードが演じてるのはかつてのナチスの将校で、こいつが収容所でシャーロット・ランプリングを奴隷人形のように扱い、性愛の妙を骨の髄まで染み込ませてしまった張本人で、そのせいでシャーロット・ランプリングは性愛の奴隷と化し、異常な性愛がそのまま深層心理にこびりつき、さらにそれが自分にも相手にも苦痛と屈辱を与えることに死と引き換えにしてもいいとまでおもえるような官能の極地へ堕とされてしまうわけだけれども、そのダーク・ボガード本人、戦争を経験している。

 ただし、枢軸軍ではなく、連合軍の将校としてだ。ただ、皮肉か偶然かわからないけれど、ダーク・ボガードが進軍していった先は、アンネ・フランクが最期を迎えたベルゲン・ベルゼン強制収容所だったってことだ。なんか見えない糸に絡みつかれているような、そんな感じを受けちゃうなあ。

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スローターハウス5

2017年08月13日 13時21分32秒 | 洋画1971~1980年

 △スローターハウス5(1972年 アメリカ 104分)

 原題 Slaughterhouse-Five

 監督 ジョージ・ロイ・ヒル

 出演 ヴァレリー・ペリン、ロバーツ・ブロッサム

 

 △1945年2月13~15日、ドレスデン空襲

 時間を超越してしまう能力を身につけてしまっている主人公ととある女優がつがいとなって宇宙人に拉致されてゆく必要性をまるで感じないし、もっと目まぐるしい場面と時間の展開があるのかとおもえば、ほとんどそんなことはなくドレスデン空襲に終始してた。こんなことなら空襲に巻き込まれた米兵捕虜の回想というだけで充分ではないのか。あ、ところで、ゴルトベルク変奏曲はとっても合ってたね。

 ちなみに、この捕虜というのが原作者のカート・ヴォネガットで、かれはこのドレスデンでの体験をもとにしてこの小説を書いたそうなんだけど、ぼくは原作を読んでないからその面白さはわからない。ただ、この作品、カンヌ国際映画祭で審査員賞をとってる。う~む。

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ラスト・ショー

2017年07月31日 16時00分39秒 | 洋画1971~1980年

 ◎ラスト・ショー(1971年 アメリカ 118分)

 原題 The Last Picture Show

 監督 ピーター・ボグダノヴィッチ

 出演 シビル・シェパード、ティモシー・ボトムズ、ジェフ・ブリッジス、ベン・ジョンソン

 

 ◎1950年、テキサス州アイリーン

 青春っていうやつは誰もが経験するものだから、たとえば、その町の人々にとっては終わったものではなく、自分はもとより自分の子供や周りの連中もひっくるめて次なる青春をもとめて暮らしていくものなんだよっていうのが、もしかしたらこの作品の主題かもしれないね。

 でなければ、年増の人妻クロリス・リーチマンが、ラストカットで、ジェフ・ブリッジスの出征とサム・ボトムズの信じられないような無責任な轢殺に絶望して自分の過ちを謝りにきた不倫相手ティモシー・ボトムズの手をにぎって「もういいのよ」というはずがなく、またベン・ジョンソンとその昔に不倫していたエレン・バースティンがしみじみと町と自分たちの過去を回想する場面が印象的なはずがない。

 子供を生むのは親だけど育てるのは町なんだぜっていう感覚がよくわかるな~。

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チャイナタウン

2017年05月31日 01時22分43秒 | 洋画1971~1980年

 ☆チャイナタウン(1974年 アメリカ 131分)

 原題 Chinatown

 監督 ロマン・ポランスキー

 出演 ジャック・ニコルソン、フェイ・ダナウェイ、ジョン・ヒューストン、バート・ヤング

 

 ☆娘と寝たのか?

 1930年代のロサンゼルス、といわれても行ったことがないからよくわからない。そんなに水の乏しいところなんだろうか。砂漠の中に人工的に造られた都市なんだろうか。ダムの建設がこれほど利権を生み、複雑な人間関係にまで発展しちゃうんだろうか。それにしても当時17歳の自分の娘を犯して孫娘を生ませてしまう父親ってなんだよ。みたいなことを、20歳のときだったか、初めて観たときにおもった。

 ものすごく印象的な映画で、以来、機会があるごとに何度か観た。おもしろいことにいちばん印象に残っているのはラストシーンのフェイ・ダナウェイの片目もそうだけど、それよりロマン・ポランスキーの出演場面の片鼻のところだ。片目、片鼻、なにかの暗喩なんじゃないかっておもうんだけど、ちがうのかな?

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風とライオン

2016年03月24日 20時27分17秒 | 洋画1971~1980年

 ◇風とライオン(1975年 アメリカ 119分)

 原題 The Wind and the Lion

 監督・脚本 ジョン・ミリアス

 

 ◇風はルーズベルト、ライオンはライズリ

 1904年に実際に起こった遊牧民族ベルベル人のリフ族の族長による在モロッコの米国人誘拐事件がモデルになってるらしい。で、ベルベル人とアメリカとの間にごたごたがあり、誘拐されたペデカリス氏は生還したとかって話なんだけど、映画ではその紳士が夫人に置き換えられて、キャンディス・バーゲンが演じてる。族長のライズリはもちろんショーン・コネリーだ。

 この映画が封切られた当時、ぼくはまだ高校生で、実をいえばこの映画を初めて観たのはテレビだったんじゃないかな?たぶん、大学のときだったとおもうんだよね。だって封切られたときはぼくの住んでた田舎町まで降りてこなかったし、ということはつまりそれほど大ヒットしたわけじゃないんじゃないかっておもうんだよね。でも、ぼくがこの作品を観るのを楽しみにしていたのは、なんといってもジョン・ミリアスが監督だったからだ。

 あの頃、ぼくは妙にミリアスに親近感があった。黒澤明を信奉しているってところがとっても好きで、コッポラやルーカスの仲間だって印象が強かったから、なおさらだった。そんなこともあって、この『アラビアのロレンス』のモロッコ版みたいな作品にはずいぶんと入れ込んでいたんだけど、やっぱりっていうか、恐れていたとおりっていうか、なんだか雑な仕上がりだな~とおもった。

 でも、それは当時のことで、今あらためて観直すとその荒々しさもわざとだったのかもしれないね、だってベルベル人の人生や誇りみたいなものを表現するには、きわめて野蛮な印象を観ている者に与えるには荒々しい演出と編集と絵づくりが必要なんだって、ミリアスはおもったかもしれないなって気がするからだ。

 いずれにせよ、誘拐される貴婦人という気丈な役どころはキャンディス・バーゲンはよく演じてたし、ショーン・コネリーもまた粗暴ながらもイギリスやフランスの介入を上手に利用してモロッコとその族長を守っていこうとする矜持をちゃんと表現できていたかもしれないなっておもうんだよね。

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