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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

ジョン・レノン,ニューヨーク

2014年10月05日 01時48分00秒 | 洋画2010年

 ◇ジョン・レノン,ニューヨーク(2010年 アメリカ 115分)

 原題 LennonNYC

 staff 監督・脚本/マイケル・エプスタイン

    製作総指揮/スーザン・レイシー、スタンリー・F・バックタール、マイケル・コール

    製作/マイケル・エプスタイン、スーザン・レイシー、ジェシカ・レヴィン

    撮影/マイケル・チン 編集/エド・バーテスキ、デボラ・ペレッツ

 cast ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、エルトン・ジョン

 

 ◇1971年9月~1980年12月8日

 その9年間というニューヨークを中心にした日々は、

 さまざまな映像や音が残されているため、

 ぼくたちは、

 その場その場でのジョン・レノンの行動や発言を追いかけることができる。

 もちろん、ぼくはジョン・レノンについてまったくといっていいほど知らないし、

 ましてや、オノ・ヨーコについても同様だ。

 だから、ふたりの間にどんな亀裂が走り、どんな感情の果てに新たな絆が結ばれたのかも、

 ぼくにはわからない。

 映像を見るかぎり、

 ジョン・レノンは失われた週末の時代も結局はオノ・ヨーコの掌の上にいたのかしら?

 っていうような印象をちょっとだけ受けるけれども、

 そんなことは、ふたりにしかわからない。

 この作品は『PEACE BED アメリカ vs ジョン・レノン』のような明確さはなくて、

 アメリカっていう国家や1970年代っていう時代を真っ向から見つめ、

 そして戦った記録めいたものというのではなく、

 もう少し微妙な、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ、そしてふたりをとりまく人々の、

 その時代における心の葛藤と遍歴をつぶさに追いかけたもので、

 あまり政治的な臭さはないし、かといってジョン・レノン讃歌にもなってない。

 きわめて淡々と残された映像の整理がなされたんだな~っていうのが素朴な印象だ。

 それにしても、ときどきおもうことがある。

 どうしてぼくは音楽がわからないまま大人になっちゃったんだろうと。

 今もって、ジョン・レノンの曲だったらすべて知ってるとか豪語できないし、

 そんな人間がこのドキュメンタリーを観たところで、

 ジョン・レノンをよく理解している人からすれば、

 おまえなんかにはわからないんだよと冷笑されるのがオチなんだろうけど、

 でもまあ、ひとりの音楽家の生きた時代の息吹みたいなものは感じられたし、

 ジョン・レノンとオノ・ヨーコというカップルのとある時代を観、

 それなりの納得もできたような気がしないでもない。

 この映画の場合、それでいいんじゃないかしらね。

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明りを灯す人

2014年07月19日 12時53分44秒 | 洋画2010年

 ☆明りを灯す人(2010年 キルギス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ 80分)

 原題 Cbet-ake、Svet-Ake

 英題 The Light Thief

 staff 監督/アクタン・アリム・クバト

     脚本/アクタン・アリム・クバト、タリプ・イブライモフ

     撮影/ハッサン・キディラリエフ 音楽/アンドレ・マシアス

 cast アクタン・アリム・クバト タアライカン・アバゾバ アスカット・スライマノフ

 

 ☆Svet-Akeは明り屋の意味

 電気工でも電気屋さんでもない。

 Svetという単語は、明りとか光とかを意味する。

 まちがいなく明り屋さんなのだ。

 ただ、同時に、Svetは世間や社会も意味するらしい。

 つまりは、

 村のために光をもたらしてくれる人、という意味になるんだろう。

 最初、アクタン・アリム・クバトという監督が主演を兼ねてるとはわからず、

 素人のほんものの電気工をキャスティングしたんだな~とおもってた。

 そしたら、そうじゃなかった。

 リアリズムってのは、徹底してればしてるほどドキュメンタリーみたいになる。

 ほほえましさとせちがらさの同居する遊牧民の末裔たちの暮らしだけど、

 それが、ほんとに現代でもこうなんだろかとびっくりするくらいよく描けてる。

 物語はいたってシンプルで、

 村に中国人の投資家が現れ、それを接待するために灯りを入れることになり、

 そのついでに接待の場にも同座することになったアクタン・アリム・クバトが、

 踊り子が馬姦させられることに耐えられなくなり、

 彼女を逃がそうとするんだけど、彼女自身、それを拒否しただけでなく、

 面子をつぶされた村の顔役どもの手配した暴漢たちに殴られ、

 川へ棄てられるんだけれども、村にはふたたび小さな光が点り始める。

 つまり、明りを灯す人の話なのだ。

 でも、このシンプルさがまたいいし、実は物語はどうでもいいところがあって、

 美しい映像と音楽から、

 かれらの暮らしと心のさまを感じられればそれでいい。 

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屋根裏部屋のマリアたち

2014年06月16日 00時50分19秒 | 洋画2010年

 ☆屋根裏部屋のマリアたち(2010年 フランス)

 原題 LES FEMMES DU 6EME ETAGE

 staff 監督/フィリップ・ル・ゲ

     脚本/フィリップ・ル・ゲ、ジェローム・トネール 撮影/ジャン=クロード・ラリュー

     美術/ピエール・フランソワ・ランボッシュ 音楽/ホルヘ・アリアガータ

 cast ファブリス・ルキーニ ナタリア・ベルベケ サンドリーヌ・キベルラン

 

 ☆1962年、パリ

 家政婦役のナタリア・ベルベケが妙に美しい。

 つい垣間見てしまったシャワーの場面でのスタイルも、

 これまた美しい。

 着痩せするたちなのねってことがわかる分、

 ファブリス・ルキーニの胸のときめきが増すんだな、これが。

 憎い脚本だわ。

 ただ、有閑マダムのサンドリーヌ・キベルランが、

 まあ、財産と対面もあるんだろうけど、

 意外に旦那のことが好きだったんだよね?

 ファブリスがナタリアの裸を観てしまったことで興奮して誘いかけたときも、

 まんざらでもないまま誘いに応じてセックスしちゃったり、

 ファブリスが屋根裏に住んだ理由を自分なりに解釈して、

 自由や生きることの大切さについて旦那の主張を認め、

 おたがいにゼロからやりなおそうといってセックスに誘うのは、

 自分の気持ちが旦那にまだあるっていうことの証なはずでしょ?

 ところが、そのとき、

 旦那におもわずナタリアがもう辞めたと告げてしまい、

 ファブリスが自分の肉体を捨てて屋根裏へ急いだときに、

 自分はもう愛されていないのだと自覚したことで、

 離婚に踏み切り、画家と出会ったっていう解釈でいいんだろうか?

 まあ、そんなことはいいとして、

 ラスト、スペインのバスク地方へファブリスが行くとき、

 それまでのシトロエンじゃなくて真っ赤なオープンカーで行くのは、

 かれの昂揚ぶりをあらわすのに恰好の車だし、

 さらに、

 ナタリアが、

 生んですぐに別れさせられて寄宿舎に入れられていた息子を取り返しただけじゃなく、

 あらたに娘を生んでいたという事実がそっと聞こえてくるあたり、泣かせる。

 家政婦の仲間たちで、

 ナタリアの家のすぐ近くに移住していた連中が、

 ファブリスの問いに口を濁すあたりのナタリアの気持ちを重んじる心情も、

 実によく描けてる。

 また随所に挿入され、最後にも奏でられる音楽もいい。

 たしかに夢物語ではあるし、

 登場人物に悪者はおらず、それどころか美容院のオーナーにしても、

 みんながみんな好い人ぞろいなのは、好かない向きの観客もいるだろうけど、

 ぼくは、とっても安心できて、おもしろかった。

 こういう観ていてほっとする映画に久しぶりに出会った気がするわ。

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ジョナ・ヘックス

2014年06月02日 00時00分48秒 | 洋画2010年

 △ジョナ・ヘックス(Jonah Hex 2010年 アメリカ)

 昔から、

 顔に深い傷のある主人公っていうのは一種のジャンルなんだけど、

 旗本退屈男にしても柳生十兵衛にしても丹下左膳にしても、

 たいがい、心根が好くて、見てくれも悪くない。

 ところが、この作品はそうじゃないんだよなあ。

 ジョシュ・ブローリンは、

 たしかに実物はアクが強いけども、

 こうまで醜くする必要があったんだろか?とおもっちゃう。

 あんまり正視できないのは、主人公としてどうよ。

 そりゃあ、死者と話ができたり、蘇らせたりできるっていう、

 尋常でない能力を身につけちゃうくらいだから、

 よほどの傷を負わないと駄目かもしれないけど、

 もうすこしなんとかできたんじゃないのかと。

 それと、

 ミーガン・フォックスの印象がやけに薄いとおもったら、

 全体を通じてそんなに出てないんだね。

 娼婦っていうのは彼女にはもってこいの役どころなんだから、

 もうすこし脚本を考えればよかったんじゃないかな。

 原作のはちゃめちゃぶりと今回の作品とが比較されてるけど、

 これについてはぼくは原作をまったく知らないから、

 なんともいえない。

 まあ、西部劇という世界を逸脱しないようにしながら、

 かなり破天荒なものにしたいという制作者側の意図は買うけど、

 グロさのただよう派手な怪奇西部劇って感じになってるだけなのが、辛い。

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黄色い星の子供たち

2013年11月23日 20時44分09秒 | 洋画2010年

 ◎黄色い星の子供たち(2010年 フランス、ドイツ、ハンガリー 125分)

 仏題 La Rafle

 英題 The Round Up

 staff 監督・脚本/ローズ・ボッシュ 撮影/ダヴィッド・ウンガロ

     美術/オリヴィエ・ロー 衣装デザイン/ピエール=ジャン・ラロック

     挿入歌/エディット・ピアフ『Paris』

 cast メラニー・ロラン ジャン・レノ ガド・エルマレ ラファエル・アゴゲ アンヌ・ブロシェ

 

 ◎1942年7月16日、ヴェル・ディヴ事件

 正式には、ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件っていうんだけど、

 どうやら、近頃のフランスでは、この事件を知らない若者が増えているらしい。

 嘆かわしい話だけど、ちょっと驚いたのは、

 フランス政府がナチスへの加担を1995年まで正式に認めてなかったことかも。

 ナチスに占領されていた時代のできごとは関係ないという姿勢だったらしく、

 まあ、そういいたくなるのはわからないではないけど、

 実際にヴェル・ディヴ事件は起こってるわけだからね~。

 で、どんな事件かっていえば、

 ユダヤ人の大量検挙を目的とした「春の風作戦」により、

 パリ市内および郊外在住のユダヤ人1万3152人を一斉に検挙して、

 市内にある冬季競輪場ヴェロドローム・ディヴェールに強制収容し、

 そのあらかたを絶滅収容所へ送りつけたのが、それだ。

 黄色い星の子供たちは、ここに4115人、いた。

 メラニー・ロランはそこで赤十字から派遣された看護婦をつとめ、

 ジャン・レノはユダヤ人ながらも医師だったために収容所への移送が送らされていた。

 このふたりの目撃するという形になっているのがこの映画で、

 主役となるのは、ユダヤ人のガド・エルマレ一家だ。

 実はこの一家は実在している。

 たったひとり、長男のジョゼフ・ヴァイスマンだけが逃げ、生き延びた。

 この役をやったのはユーゴ・ルヴェルテという11歳の少年で、

 知的な目をして、必死になって役になりきり、物事をしっかり見つめようとしている。

 いや、ほんと、いい表情だった。

 ジョゼフ・ヴァイスマンは、このたびの撮影にも参加したらしい。

 孫の手をひいてヴェル・ディヴに収容された役を演じ、

 メラニー・ロランと対話した。

 メラニーは、経由先であるロワレ県ボーヌの収容所までかれらに付き合うんだけど、

 食事もかれらとおなじものを食べたことで痩せ細り、倒れる。

 実際、彼女はそのときのストレスと栄養失調が元で帯状疱疹になり、倒れたとか。

 なんだか、デ・ニーロ・アプローチみたいだけど、

 この6人しか派遣されなかった内のひとりで実在する看護婦の名前は、アネット・モノ。

 人権について生涯訴えた人らしい。

 その看護婦の魂がのりうつったように、メラニー・ロランはがんばってる。

 帯状疱疹の薬によるものか、

 それとも、

 役に入れ込みすぎて子供たちを列車から引き摺り下ろさんばかりに怒り、

 それが頂点に達したためか、

 ともかく、ぎらぎらと光る瞳のまま痙攣を起こして倒れ込んだらしい。

 凄い話だ。

 正義感があって、同時にとってもやさしい女性なんだろう。

 そうした心の美しさが、そのまま容姿に満ちてるみたいで、

 だから、メラニー・ロランが好きなんだよな~。

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ザ・タウン

2013年10月14日 17時04分41秒 | 洋画2010年

 ◎ザ・タウン(2010年 アメリカ 劇場公開版124分 未公開場面追加版150分)

 原題 THE TOWN

 staff 原作/チャック・ホーガン『強盗こそ、われらが宿命』

     監督/ベン・アフレック

     脚本/ベン・アフレック ピーター・クレイグ アーロン・ストッカード

     撮影/ロバート・エルスウィット  アレクサンダー・ウィット

     美術/シャロン・シーモア 衣装デザイン/スーザン・マシスン

     音楽/デビッド・バックリー ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ

 cast ベン・アフレック ジェレミー・レナー レベッカ・ホール ジョン・ハム

 

 ◎ボストン、チャールズタウン

 ベン・アフレックは、怖いほどでかい。

 常に強烈なオーラを発散させてるんだけど、

 それが知的であったり、暴力的であったり、感傷的であったりと、

 ひとつにまとまっていない分、かえって始末が悪い。

 どんなふうに対処していいのかさっぱりわからないからだ。

 オーラをぐっと堪え、おさえつけていたのは『アルゴ』だった。

 それは単に長髪で髭面という、

 傲慢不遜であつかましさを前面に出しながらもどこか気が優しい特徴的な顔を、

 なんとか印象を薄くさせていたからかもしれないんだけど、

 今回は、いつもどおりのベン・アフレック、全開だ。

 銀行強盗の仲間から抜け出したいともがくアフレックが、

 目撃者となってしまうレベッカ・ホールを連れ出してしまい、

 いったんは解放したものの、彼女が証言されるのを恐れたために、

 正体を隠して付き合う内に、抜き差しならない関係になっていき、

 そのために自分の身が危うくなってゆくという皮肉な物語は、

 非常に合ってる。

 アメリカという国家が、超大国でありながらも、

 若者たちは、

 自分の置かれている世界でもがき苦しみ、

 幸せを求めて旅立とうする。

 アフレックは、

 そうした若者たちの代弁者のような存在になってるのかもしれないね。

 アメリカの若者たちにとって、

 タウンは、そこらじゅうにあるんだね。

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クリント・イーストウッドの真実

2013年08月21日 11時35分05秒 | 洋画2010年

 ◇クリント・イーストウッドの真実(2010年 アメリカ 90分)

 原題 The Eastwood Factor

 staff 製作・監督・脚本/リチャード・シッケル

     撮影/ジャイク・ゾートマン 編集/フェイス・ギンズバーグ               

     ナレーション/モーガン・フリーマン

 cast クリント・イーストウッド

 

 ◇1930年5月30日、イーストウッド生まれる

 実をいえば、ぼくはクリント・イーストウッドの映画が苦手だった。

 暴力的な映画がそもそも好きじゃなかったから、

 拳骨と拳銃に男らしさと渋さが凝縮されたような、

 イーストウッドの立ち位置がなんともいえない敬遠の対象だった。

 団塊の世代の人達は、

 こういうイーストウッドを、

 社会に風穴を開けるような存在として観ていたかもしれないけど、

 それよりひとまわり下の世代のぼくにはなんとも男臭すぎた。

 だから、ずっとイーストウッドの映画は観なかった。

 ところが社会に出てから、

 会社の同期と『ファイヤーフォックス』を観に行き、

 そいつがあんまり「クリント・イーストウッドは凄い!」とかいうもんだから、

 そういうものなのかな~と、ぼんやりおもったくらいだった。

 けど、それからあとはなんとなく封切作品を観るようになり、

 レンタルビデオの時代が到来してからは過去の作品も観るようになった。

 で、わかったことなんだけど、

 ぼくはどうやらイーストウッドの監督作品が性に合ってるらしい。

 このドキュメンタリでは出演だけだった初期の作品から、

 当時、公開される直前だった『インビクタス/負けざる者たち』まで、

 まあ、いろいろと語られ、

 イーストウッドの衣装のあらかたが保管されてるワーナー撮影所の倉庫まで撮られ、

 イーストウッドみずから、いろいろと語ってくれるんだけど、

 そのとき、やっぱり、年食ってからの方がいいな~と再確認した。

 ま、人間、誰でも年食ってからの方が味が出るし、好い感じになるんだけどね。

 イーストウッドはこんなことをいってる。

「思いどおりにならないことがあっても一歩ずつ前へ進めばいい」

「天才に出会ったことなんて一度もないよ。

 天才っていうのは、

 嫌いなことでも得意な奴のことだからね。

 好きなことなら誰でも得意になれるんだ。

 問題はそれを見つけられるかどうかなんだ」

「これからも前へ進むのみさ」

 けだし、名言である。

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この愛のために撃て

2012年11月25日 21時25分49秒 | 洋画2010年

 ☆この愛のために撃て(2010年 フランス 85分)

 原題 À bout portant

 監督 フレッド・カヴァイエ

 出演 ジル・ルルーシュ、エレナ・アナヤ、ジェラール・ランヴァン

 

 ☆警察署内での筋はやや無理ぽ

 とはいえ、全編を通じて疾走感たっぷりで、臨月の妻を誘拐された看護師見習いの凄い行動力を上手に描いてる。

 エレナ・アナヤが好い。とっても綺麗だし、初産の妊婦らしさに満ちてるし、容疑者も女性刑事も悪徳刑事も揃って緊迫感あり。

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王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件

2012年10月27日 17時47分13秒 | 洋画2010年

 ◎王朝の陰謀 判事ディーと人体発火怪奇事件(2010年 中国、香港 122分)

 原題 狄仁傑之通天帝國

 英題 Detective Dee and the Mystery of the Phantom Flame

 監督 ツイ・ハーク

 出演 アンディ・ラウ、リー・ビンビン、カリーナ・ラウ、ダン・チャオ、レオン・カーフェイ

 

 ◎ディー・レンチェ(狄仁傑)は実在した

 則天武后の即位に合わせた完成間近の通天仏から始まれば、もうそれだけでラストは嫌ってくらい察せられる。それどころか、真犯人もその予定調和を裏切らない。けど、そんなことは些細な問題だ。なぜなら、火炎虫、化身術、神鹿、降龍杖、溶鉱炉、亡者の市とわくわくするような設定がきわめてよく練られているからだ。

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ザ・ウォーカー

2010年07月03日 00時35分46秒 | 洋画2010年

 ◎ザ・ウォーカー(The Book of Eli)

 

 鑑真と西遊記の聖書版用心棒みたいな作品だな。原題の『イーライの聖書』の方が良い。

 カーネギーなる町の顔役ゲイリー・オールドマンになんでみんなが従うのかちょっと説得力がない。

 アルカトラズに行けという神の意志があったっていうんだけど、でもそれで30年間も頭の中を本のみに集中して歩いていくってのは至難の業だわね。ミラ・クニスとジェニファー・ビールスが出てるはずなんだけど、デンゼル・ワシントンの印象ばかりが残る。まあ、それほど強烈なラストだったってことなのかもしれないね。

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アイアンマン2

2010年06月19日 19時30分44秒 | 洋画2010年

 ◇アイアンマン2(Iron Man 2)

 

 ラストの場面は3の予告なのか?

 役者陣は、適役ながらも、スカーレット・ヨハンソンの殺陣はマトリックスみたいで、ミッキー・ロークはロシアの天才化学者には見えなくてやっぱりプロレスラーだな、笑。とはいえ、妙ちくりんな演技陣のおかげもあってか、ロバート・ダウニー・ジュニアの好色と難病が複雑にからみついた主役像ができあがってる気はするね。

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プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂

2010年06月02日 19時19分01秒 | 洋画2010年

 ◎プリンス・オブ・ペルシャ 時間の砂(Prince of Persia: The Sands of Time)

 

 ジェイク・ギレンホールもジェマ・アタートンもご贔屓の役者だから、なんとなくうれしい。

 毛利元就の三本の矢の故事みたいに、兄弟の軋轢と末っ子の奮迅と恋、そして身内の裏切りで危機を乗り越え大団円へと加速っていうなんのてらいもない真っ向勝負の物語は、いかにもハリウッド的筋立てなんだけど、映像と音楽は凄い。ジェイクにいたっては、ほんとにペルシャ人に見えてくるから、まじ、たいしたもんだ。

 とはいえ、砂時計に剣を突き立ててからの佳境は、なんともご都合主義なんだけどね。

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タイタンの戦い(2010)

2010年05月16日 23時49分50秒 | 洋画2010年

 ◇タイタンの戦い(Clash of the Titans)

 

『七人の侍』のギリシャ神話版。

 メドゥーサの所まで旅をしていくのは、7人。まあ、この映画だけの話じゃないし、王道の筋立てなんだろう。ただ、案内に立つイオ役ジェマ・アータートンは語り部なんだし、もう少し知的な印象を醸していた方がいいような気もする。まあ、矛盾は多々あれ、蠍、呪術師、三魔女、天馬、クラーケンともに見事なCGだったけどね。

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ウルフマン

2010年05月04日 16時38分17秒 | 洋画2010年

 ◇ウルフマン(The Wolfman)

 

 狼男は放浪の民の伝説というだけで、呪いの理由もわからなければ解ける方法も結局わからない。

 意味不明な父の行動、剃刀をもって死んだ母の復讐、惨殺された兄の復讐とその婚約者への横恋慕、そして自己の肯定と否定が混ざり合い中途半端だ。

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