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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

アンノウン

2015年10月15日 00時46分17秒 | 洋画2011年

 ◎アンノウン(2011年 アメリカ、ドイツ 113分)

 原題 Unknown

 監督 ジャウム・コレット=セラ

 

 ◎リーアム・ニーソンの「おれは誰だ」

 物語を作る者なら誰でも一度や二度は「ぼくは誰だ?」という出だしを書いたことがあるんじゃないか?

 それほどポピュラーになってるアイデンティティの肯定あるいは捜索すなわち自分探しの物語なんだけど、これを哲学的な物語にするのか、あるいはエンターテインメントにまとめるのかという方向で、すべてがちがってくる。もちろん、サスペンスの得意なジャウム・コレット=セラが演出すれば当然、こうした探偵活劇になるだろう。

 現実世界の探偵物はどうしたところで納得のゆく結末というかトリックの解明が求められる。また、それが納得のゆくものであるのは当然だし、まんまと観客をだましていたりしたら喝采を受けられる。さて、この作品はどうかといえば、途中まで見事なものだった。ていうより、大丈夫かこれだけ徹底して謎めかしちゃってもと心配すらした。つまりは、それだけ物語に惹き込まれたわけだから、いや、たいしたもんだ。

 ただまあ、車の運転が抜群だったり、格闘の心得が明らかにあったり、咄嗟の判断と推理の速さが出てくれば、当然、リーアム・ニーソンが只者じゃないことはうすうす感じ取れるし、奥さんのジャニュアリー・ジョーンズをはじめすべての関係者がなにもかも承知の上でニーソンを抹殺しようとしているのもわかるし、さらには東ドイツの秘密警察シュタージの腕っこきだったブルーノ・ガンツとかが出てきちゃったりすれば、これは暗殺者や間諜の入り乱れるずいぶんと硬派な展開になるなとわかってくる。こうした観客に謎解きさせる筋立てはよいね。これはこういうことなんだっていきなり突きつけられるのは好きじゃないし。

 ま、ハリウッド作品よろしく派手な格闘と爆発はあるものの、ボスニアの不法移民になってるダイアン・クルーガーとの恋もあったりして満腹感は充分にあった。

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ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル

2015年09月04日 14時52分41秒 | 洋画2011年

 ◎ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル(2011年 アメリカ 132分)

 原題 Mission:Impossible-Ghost Protocol

 監督 ブラッド・バード

 

 ◎ジェレミー・レナーは敵役じゃなかったのか

 なんでもトム・クルーズは「この映画の見どころはチームワークだ」とかインタビューで答えたらしい。なるほど、そういうところかすれば、ジェレミー・レナーは敵役にはなりにくい。まあ、複雑な筋立てを追うよりも活劇を愉しんだ方がいいわけで、そのいかにもハリウッド的な醍醐味をトム・クルーズはちゃんとわかっているらしい。

 にしても、いつものことながらトム・クルーズが走るときの指先は、ぴしっと延びてて、なんだか運動神経抜群かつ生真面目すぎるほどに几帳面なちょっと背の低いおじさんが必死になって運動会で走っているような感じがして、たとえば、最初のあたりでクレムリンの地下に仕掛けられた爆弾が爆発してクレムリンが崩壊していくところとか、おもわず、がんばれっとか声をかけたくなってしまうのはぼくだけだろうか。

 ただ、かれらの所属するIMFなるちょっと得体の知れない秘密諜報組織は前にもぶっ壊れてしまったような印象があるんだけど、いつのまにか復活して、ジェレミー・レナーのような情報分析官まで雇われているにもかかわらず、いとも簡単に長官が殺され、またもや瓦解して、生き残ったトム・クルーズとそのチームだけが、核兵器で世界を亡ぼしちゃえっていうようなブラックゴースト団みたいな連中と戦う羽目になるわけだけど、いったい、アメリカという国はどのようにしてIMFを管理しているんだろう。

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花嫁と角砂糖

2015年08月08日 18時48分39秒 | 洋画2011年

 ☆花嫁と角砂糖(2011年 イラン 114分)

 原題 Yek Habbeh Qand

 英題 A Cube of Sugar

 製作・監督・脚本 レザ・ミルキャリミ

 

 ☆小津へのオマージュ?

 もしも小津安二郎が現代のイランに出かけて撮ったらこんな感じの映画になるのかもしれない。そんな印象を受けた。いやまじな話、レザ・ミルキャリミは日本へ来たとき小津と黒澤の墓に詣でたそうだし、たぶん、小津の墓に掌を合わせて「観てくださいね」とでも伝えたのかもしれない。それほど、しみじみとした小津調の作品だった。

 ただ、これはおじいちゃんの映画なんだよね。小津だったら笠智衆の役どころだろう。でも僕としては佐分利信か三船敏郎にやってもらいたいけど。ま、それはともかく、おじいちゃんとしては目に入れても痛くないほど可愛がっている孫を、いくらお金持ちだとはいえ、その結婚によって一族が豊かになるかもしれないとはいえ、結婚式が近づいても挨拶にすら来ないような男のところへ、しかもどこかもわからないような海外へ嫁がせたくないわけですよ。けど、おじいちゃんはとっても好い人だから、わしゃ反対だがや、とかはいわない。あくまでも好々爺に徹してる。で、黙って、披露宴のときに使う砂糖を切り出して角砂糖を切り出してる。

 家の中は、まあうるさいことうるさいこと。花嫁のナガール・ジャワヘリアンはとても素朴で優しげな美人なんだけど、彼女の結婚の支度を臍に祭りのような騒ぎだ。たぶんこれがこの家の日常なんだろね。いろんな人が出たり入ったりしてる。でも、おじいちゃんは角砂糖を作ってる。ところが、紅茶を呑もうとしたとき、おじいちゃん、この角砂糖が喉にひっかかって、死んじゃうんだよね。それも、淡々と死ぬんだな。

 で、結婚前夜がいきなり葬式にがらりと変わるんだけど、結婚のお祝いには来ないけれど葬式にはやってきたナガール・ジャワヘリアンの昔なじみの男がいる。かれは、おじいちゃんの壊れたラジオを直してやるんけど、このラジオから流れてくるのが恋の歌なんだな、これが。おじいちゃんはナガール・ジャワヘリアンの花嫁姿なんか観たくなかったし、孫娘がほんとうが誰を好きで、かれもまた孫娘を好きだってことを知ってたんだろうね、たぶん。映画はなにも語らずに終わるけど、こののちの話を充分に予感させる。いやあ、しみじみした好い映画だったわ。

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ミッドナイト・イン・パリ

2015年05月02日 12時06分25秒 | 洋画2011年

 ☆ミッドナイト・イン・パリ(2011年 アメリカ 94分)

 原題 Midnight in Paris

 staff 監督・脚本/ウディ・アレン 撮影/ダリウス・コンジ 美術/アン・セイベル 衣裳デザイン/ソニア・グランデ 音楽/ステファン・レンベル

 cast マリオン・コティヤール レイチェル・マクアダムス オーウェン・ウィルソン キャシー・ベイツ エイドリアン・ブロディ カーラ・ブルーニ マイケル・シーン

 

 ☆真夜中の1920年

 生きる上にはあれこれといろいろなことがあって、ちょっと疲れちゃったりする。

 ぼくなんざ、毎日そんなことの繰り返しだ。で、そういうとき、ふとおもうのは旅に出たいな~とかってことだ。もちろん、現実には旅なんてなっかなかできないし、毎日どうしようもなく忙しい。で、さらにおもうのは「いきなりタイムスリップとかしちゃわないかな~」てことで、できれば、過去のいちばん興味のある時代に行きたいっておもったりする。で、そこで過去の映画人や芸術家や文学者たちと知り合いになって、当たり前の話だけど恋のひとつもしちゃったりできないかな~とかおもうんだ。

 そんな希望というか夢想が映画になったのがこの作品なんだよね。

 だから、パリであるという必然性はどこにもない。上海だっていいし、京都だっていい。1920年じゃなくたっていいし、1939年だっていいし、1582年だっていい。でもまあ、いちばんお洒落で粋な時代と場所がいいよね、やっぱり。そういう点、さすがにパリは筆頭で、あの町の右に出るところはないんじゃないかと。ただ、もしもぼくが行くとしたら、ひとつだけ問題がある。日本語が通じるんだろうかっていう一点だ。あ、でも、ファンタジーなんだから、そんなことを考えても仕方ないか。

 それにしてもウディ・アレンの知識というより教養の高さにはいつものことながら脱帽せざるを得ない。背景に流れる音楽の選曲についてもさすがだ。ただ、今回の場合、上に書いたようなことをさすがのウディ・アレンも夢想してたのかっておもうと、ちょっとだけ安心しちゃったりもするんだよね。

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秘剣ウルミ バスコ・ダ・ガマに挑んだ男

2014年11月24日 12時13分21秒 | 洋画2011年

 ◇秘剣ウルミ バスコ・ダ・ガマに挑んだ男(2011年 インド 160分)

 原題 Urumi

 マラヤーラム語題 Padhinaitham nootrandu uraivaal

 英題 Urumi: The Warriors Who Wanted to Kill Vasco Da Gama

 staff 監督・撮影/サントーシュ・シヴァン 脚本・原案/シャンカール・ラマクリシュナン 製作/ポール・ハーダート、サントーシュ・シヴァン、キョウコ・ダン、スリ・ゴパラン、シャジ・ナテサン、ムビーナ・ラットンセイ、プリトヴィーラージ、ミリンド・ベラケール 美術/スニル・バブ 衣装デザイン/エカ・ラクハニ 視覚効果/ニール・カニンガム 編集/シュリー・プラサード 音楽/ディーパク・デーヴ

 cast プリトヴィーラージ プラブ・デーヴァ ジェネリア・デソウザ ヴィディヤ・バラン

 

 ◇16世紀、インド南部ケララ州

 胡椒に目が眩んだバスコ・ダ・ガマの侵略によって両親を殺されて故郷を焼かれた男プリトヴィーラージが、成長するかたわら剣の修行を積み、ふたたびインドへ上陸してきたバスコ・ダ・ガマに一矢報いるという物語で、もちろん、歴史上の真実を探ろうとするものではなく、ひたすら活劇に徹してる。とはいえ、冒頭とラストは現代にされ、プリトヴィーラージとプラブ・デーヴァのコンビが現代でも登場する。学校に提供していた自分の土地に鉱山の価値があると知って、それを求めた土地開発会社に売るかどうかというせちがらい話とバスコ・ダ・ガマの侵略とが掛けられてるわけだ。でもまあ、それも構成上そうなってるだけで、大切なのはやっぱり恋と歌と踊りなんだよね。

 ちなみに、題名にもなってるウルミなんだけど、これは実在する武器で、鋼鞭剣っていう。アジア武術の元祖ともされるドラヴィダ武術をもとにするカラリパヤットっていう武術で使うものらしい。このカラリパヤットはケララ州の発祥らしいから作品の舞台にも合致してるし、動きのあるヨガともいわれるほどで、医療や薬草マッサージも含み、関節を柔らかくしたりする身体の鍛錬法としても伝えられているそうだから、インド映画のモチーフとしてはもってこいの武術なんだろね、たぶん。

 ただ、みずからウルミを作り、それを手にして戦うのはいいんだけど、もうすこしウルミがらみの話っていうか、ウルミの凄さがきわだつ戦い方というか、そういうものが出てればタイトルと違和感もないような気がするんだけどな~。

 ところで、プリトヴィーラージは新進気鋭の役者らしいんだけど、ちゃっかり製作も兼ねちゃってるし、単にたれ目で濃いめの顔をしてるってわけでもないらしい。まあ、男優には興味がないので、ジェネリア・デソウザやヴィディヤ・バランのことだ。どうしてこうも綺麗なんだろう。スタイルも抜群だし、もう、インドに行って人生やりなおしたいくらいにおもっちゃうわ、いやまじで。

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グリーン・ランタン

2014年09月24日 20時53分18秒 | 洋画2011年

 △グリーン・ランタン(2011年 アメリカ 114分)

 原題 Green Lantern

 staff 監督/マーティン・キャンベル

    脚本/グレッグ・バーランティ、マイケル・グリーン、

       マーク・グッゲンハイム、マイケル・ゴールデンバーグ

    原案/グレッグ・バーランティ、マイケル・グリーン、マーク・グッゲンハイム

    撮影/ディオン・ビーブ 美術/グラント・メイジャー

    衣装デザイン/ナイラ・ディクソン SFX・VFX監修/ケント・ヒューストン

    音楽/ジェームズ・ニュートン・ハワード

 cast ライアン・レイノルズ ブレイク・ライブリー ティム・ロビンス ジェフリー・ラッシュ

 

 △1940年にコミック初出

 てことは、昭和15年じゃないか!

 なるほど、だからランタンなのかってあらためてうなずける。

 でも、アメリカっていう国はたいした国で、

 ランタンを掲げた古色蒼然SFヒーローがいまだに新作の主役になる。

 それもCGを駆使した大作の主人公だ。

 これって、

 宇宙少年ソランや遊星仮面やキャプテンウルトラが実写でリメイクされるより凄い。

 日本の場合、ヒーローやヒロインは常に入れ替わり、ちょっとでも古いと捨てられる。

 カビ臭さの中から復活を遂げた金田一耕助や明智小五郎は特異な例といっていい。

 けど、さすがにアメリカではよく知られたヒーローだし、

 6代目(初代の娘)まで入れ替わって続けられている人気作品だし、

 まあわからないでもないんだけど、

 マーベルコミックの主人公たちは日本では馴染みが薄いし、

 ぼくにいたってはまるで知らなかった。

 だもんで、ちょっと入りづらいんだわね~。

 でもまあ、なんていうのかな、

 不死身の種族によって創設された宇宙警察機構グリーン・ランタンの一員になって、

 地球および宇宙の平和のために戦えといわれてみたいっていうのは、

 少年から大人まで変わらぬ夢だろうし、

 そのために鍛えられながらも根っからのお調子者でちょっぴりさぼりたいし、

 誰にも負けないようなちからが備わっているとかいわれてみたいし、

 とかいったまあきわめて王道すぎるほどに王道の物語は、

 この先、続編になっても同じように続けられていくんだろね。

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30アサルト 英国特殊部隊

2014年06月27日 01時43分46秒 | 洋画2011年

 ◇30アサルト 英国特殊部隊(2011年 イギリス 94分)

 原題 AGE OF HEROES

 staff 監督/エイドリアン・ヴィットリア 脚本/エド・スケイツ、エイドリアン・ヴィットリア

     撮影/マーク・ハミルトン 美術/リチャード・キャンプリング

     衣装デザイン/エルヴィス・デイヴィス 音楽/マイケル・プロウマン

 cast ショーン・ビーン ダニー・ダイア アクセル・へニー イザベラ・ミコ

 

 ◇イアン・フレミング登場

 どうやら、この英国特殊部隊は、

 イアン・フレミングが編成したものらしい。

 へ~てな話なんだけど、

 本編中、部隊の訓練を視察しているのが、当人だ。

 イアン・フレミングが英国軍の将校で、腕っこきの間諜だったらしいのは、

 007ことジェームズ・ボンドのおかげで有名になってるけど、

 本人そのものが登場してる作品なんてなかったんじゃないかしら?

 とはいえ、

 ノルウェーにナチス・ドイツが構築したレーダー施設を破壊するべく、

 刑務所から出たいがために部隊入りした若造も含めて、

 ショーン・ビーンひきいる特殊部隊が、

 地下組織の一員ベオウルフっていう女性の案内で雪山に挑んでいって

 ナチスの住民を虐殺したりするさまに怒りつつ任務を果たしていくっていう、

 なんとも昔懐かし『コンバット』だったりする。

 ちなみに、この英国特殊部隊(30 Assault Unit)は、

 のちのSASなんだそうだ。

 そのあたりが好きな人間は別な愉しみ方があるのかもしれないんだけど、

 ぼくはあんまり得意分野ってわけでもないので、

 単純に戦争活劇としての愉しみ方しかわかんない。

 

 

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クレイグスリストキラー

2014年05月21日 19時43分23秒 | 洋画2011年

 △クレイグスリストキラー(2011年 アメリカ)

 クレイグスリストってのは、オンラインのコミュニティーサイトらしい。

 で、ここに登録した女性を狙った連続殺人犯を、

 2009年当時、クレイグスリスト・キラーって呼んでたみたいだ。

 犯人が捕まったのは4月20日のことなんだけども、

 この犯人は医学生で婚約者もあって将来も嘱望されたそうで、

 でも、異常性がどうしても抑えきれずに犯行を重ねて、

 結局、

 こんなふうにテレビでセミドキュメントにされちゃったわけだけど、

 さすがにテレビ映画な分、

 異常性や残虐性はかなり抑えられてる。

 映画だったらもうすこし濃厚なものになったとはおもうけどね。

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トランスフォーマー ダークサイド・ムーン

2014年05月19日 18時24分03秒 | 洋画2011年

 ◇トランスフォーマー ダークサイド・ムーン

  (Transformers: Dark of the Moon 2011年 アメリカ)


シカゴのトランプ・タワーのペントハウスが、パトリック・デンプシーが地球を裏切ってロージー・ハテントン=ホワイトリーを拉致した先とはおもわなんだ。

 それにしても、さわがしいね。

 ストーリーがずいぶん込み入ってる分、説明箇所が少なく、つぎつぎにCG場面が展開して、ほんど、めまぐるしいわ。

 シカゴに宇宙人が飛来してそれを防ぎきるというだけの話だったら、それはそれで落ち着いて観られたかもしれないんだけど、そもそもアポロ計画が月になんか墜落したものの正体をつきとめるためのもので、まあ金属生命体の宇宙船なんだけど、それについて全地球的規模で陰謀があったとか、それが切っ掛けで、オートボットと人類の仲がこじれるとかいった、根本となる話が枝葉みたいな扱いになってる。

なるほどそゆことねって話だけど、ひたすらマイケル・ベイお得意のスローモーション活劇が展開されると、たしかに迫力はあるものの、どうにも眼がついていかなかったりする。

 観るのも理解するのも、けっこう大変だったわ~。

 ちなみに、ミーガン・フォックスが降板して、あらたなヒロインにロージー・ハテントン=ホワイトリーが起用されたんだけど、なんだかプロポーションはいいんだけど、この設定がよかったのかどうか、ちょっと唐突だ。

 まあ、ミーガンとスタッフの確執については知らないし、どうでもいいことながら、セクシーな面は削ぎ落される分、ヒロインの印象は薄い。

『トランスフォーマー』は子供も観るだろうに大丈夫かってくらい、ちょっとばかしエロティックが面が強調されてたけど、そのあたりは脚本家の交代もあったりして薄められた分、なんだか活劇ばかりですこしばかり食傷地味になるわ。

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Virginia ヴァージニア

2014年05月09日 23時41分02秒 | 洋画2011年

 ◇Virginia ヴァージニア(Twixt 2011年 アメリカ)

 フランシス・フォード・コッポラの製作脚本監督で、

 エル・ファニングが幻想の少女を演じるとくれば、

 観ないわけにはいかない。

 しかも、

 スランプに陥ったミステリー作家の訪れた町に、

 その昔、

 大量の子供たちが行方不明になった事件があり、

 この謎を解き明かすために小説家を案内するのが、

 エドガー・アラン・ポーの幻影だなんて設定を聞けば、

 もはや、観ずに死ねるか状態になっちゃう。

 で、観た。

 う~ん、

 さすがにコッポラは年老いてもコッポラで、

 絵づくりは見事だし、編集も上手だし、役者の使い方も好いんだけど、

 主役のヴァル・キルマーがな~ちょっとな~、

 不遜すぎるっていうか、肥りすぎっていうか、

 ゴシックミステリーに向かない態度と体型なんだよね。

 やっぱ、そういうのって大事じゃない?

 コッポラ、ちょっとミスっちゃったかしら。

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エンジェルウォーズ

2014年05月08日 19時48分42秒 | 洋画2011年

 ◎エンジェル・ウォーズ(Sucker Punch 2011年 アメリカ)

 原題の「Sucker Punch」ってのは、不意打ちって意味らしい。

 なにが不意打ちなんだかよくわからないんだけど、

 いやまあ、なんていうか、おもしろかった。

 製作監督脚本をこなしたザック・スナイダーによれば、

「1950年代にマシンガンをかついだ不思議の国のアリスが登場する話」

 とかってことになるそうな。

 たしかにそうではあるが…。

 まあ、遺産相続めあての叔父の陰謀で、

 売春宿に送り込まれてロボトミー手術を受けさせられそうになる少女が、

 幻想と現実の狭間をさまよいながらやがてバスで逃げ去っていくまでの、

 なんともかなりセクシュアルなミュージカル的バイオレンスSF活劇になってる。

 これはやっぱり爆音の大画面で観たいよね。

 さぞかし、

 すっきりするんじゃないだろか。

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アナザープラネット

2014年04月13日 18時13分19秒 | 洋画2011年

 ◎アナザープラネット(ANOTHER EARTH 2011年 アメリカ)

 ママンゴ星をおもいだした。

 もうひとつの地球が存在する。

 というより、パラレルワールドが実際に出現して、

 それをまのあたりにすることができるという不可思議な世界の話だ。

 ただ、パラレルワールドの定義として、

 ぼくは個人的には、並列するふたつの世界においては、

 個人の寿命あるいは個人が未来に残すものはほぼ同じものでなくちゃいけない、

 というようにおもってるんだけど、

 この映画では、ヒロインのブリット・マーリングが事故をおこすのはいいとしても、

 そのときに奥さんと子供が死んでしまった場合、

 パラレルワールドにおいても奥さんと子供は似たような運命をたどり、

 たとえ生きていたにしても、

 未来に対して子孫を残せないという展開にならないと、

 パラレルワールドの持っている運命性が狂い、

 もはやこの先、地球ともうひとつの地球とは違う道を歩んでしまうことになる。

 そうじゃないのかな?

 設定について完全な同意が出来ない分、

 どれだけ贖罪という主題がよくわかっても、

 共鳴しづらい部分が出てきちゃうんだよな~。

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バトル・オブ・ロサンゼルス

2013年09月13日 01時30分19秒 | 洋画2011年

 △バトル・オブ・ロサンゼルス(2011年 アメリカ 92分)

 原題 Battle of Los Angeles

 staff 監督・脚本・撮影・編集/マーク・アトキンス

     美術/アーロン・J・マーティン 衣装/サラ・シュルツ

     特撮/ジョセフ・J・ローソン 音楽/ケイズ・アル=アトラッキ ブライアン・ラルストン

 cast ニア・ピープルズ ケル・ミッチェル ディラン・ヴォックス テレサ・ジューン・タオ

 

 △日本刀が登場する理由

 それは、Battle of Los Angelesという言葉にある。

 そもそもBattle of Los Angelesってのは、

 1942年2月25日、カルフォルニア州ロサンゼルスで行われた、

 陸軍による本土防衛作戦のことだ。

 しかも、

 信じられないことに日本軍が攻めてきたという集団幻想によるもので、

 陸軍第35沿岸砲兵旅団を中核にした陸軍は、

 対空砲火を中心に迎撃作戦を展開したが、

 幻の日本軍に被害を与えることはできず、

 1430発の弾薬を使用して米国市民の民家を破壊し、民間人の犠牲者まで出した。

 みっともない話もあったものだが、

 実は、2月24日未明に伊号第17潜水艦によって、

 カリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド石油製油所へ砲撃作戦が敢行されてて、

 これに恐怖したアメリカ軍と市民が日本軍の幻想に怯えたことが原因とおもわれる。

 けどまあ、空いっぱいに未確認飛行物体が上下飛行を繰り返していたみたいだし、

 もしかしたら、宇宙人の襲来があったかもしれないってのが、

 戦後ずっといわれてた。

 だもんで、この作品が作られて、

 途中、1942年当時の戦闘機が帰還してくるってわけだ。

 まあ、そんなことから、アジア人のおねーちゃんが日本刀を担いで登場し、

 UFOをまっぷたつに斬撃しちゃうっていう事態が勃発したんだろう。

 なんにしても「世界侵略:ロサンゼルス決戦」がなかったら、

 もしかしたら制作されなかったんじゃないかしら?

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トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part1

2013年09月10日 21時02分07秒 | 洋画2011年

 △トワイライト・サーガ/ブレイキング・ドーン Part1(2011年 アメリカ 117分)

 原題 The Twilight Saga: Breaking Dawn - Part 1

 staff 原作/ステファニー・メイヤー『トワイライトIV』

     監督/ビル・コンドン 脚本/メリッサ・ローゼンバーグ

     撮影/ギレルモ・ナバロ 美術/リチャード・シャーマン

     衣裳デザイン/マイケル・ウィルキンソン 音楽/カーター・バーウェル

 cast ロバート・パティンソン クリステン・スチュワート テイラー・ロートナー

 

 △休憩

 昔、3時間を超えるような70ミリ超大作は、途中でかならず休憩が入った。

 この回は、そういう「休憩」にあたるんじゃないかって、観てておもった。

 普通、こういう大河物の大作になると、

『人間の条件』や『戦争と人間』や『宮本武蔵』や『戦争と平和』は、

 どこをとっても均一の匙加減で、そのあたり、ほんとにいい配分なんだけど、

 今回の『トワイライト・サーガ』はちがうんだよね。

 ま、もともと一本として制作されるところが、

 急にハリポタがあったせいか、前後編にしよ!てなことで決められたらしい。

 だから、どうしても物語の終了とはいいにくく、

 きりがよくて、後編に期待できそうなところで切ろうって意識が見え過ぎてて、

 ちょっと「あらら」とおもった。

 まあ、ヴァンパイアと人間の混血が凄まじいパワーを持っているため、

 母親の生気をすべて吸い取って生まれてこようとしているっていう設定は、

 なんとも温血児を宿してしまったことから最強のヴァンパイアになる主人公にとって、

 ある種の試練になるわけで、それを乗り越えるから強くなるわけだよね。

 そのあたりは、いいとしようよ。

 でもな~、やっぱり、前半の1時間はいらないような気がするんだよな~。

 結婚式から新婚旅行へと続く甘ったるい世界なんだけど、

 なんで、これをずっと観させられないといけないんだろって気になっちゃうもん。

 その分、後編はすげえんだろな?

 

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危険なメソッド

2013年09月05日 15時07分56秒 | 洋画2011年

 ☆危険なメソッド(2011年 イギリス、ドイツ、カナダ、スイス 99分)

 原題 A Dangerous Method

 staff 原作/クリストファー・ハンプトン『The Talking Cure』

          舞台劇『A Most Dangerous Method』

     監督/デイヴィッド・クローネンバーグ 脚本/クリストファー・ハンプトン

     撮影/ピーター・サシツキー 美術/ジェームズ・マカティア キャロル・スピア

     衣裳デザイン/デニス・クローネンバーグ 音楽/ハワード・ショア

 cast キーラ・ナイトレイ マイケル・ファスベンダー ヴィゴ・モーテンセン

 

 ☆第一次世界大戦、前夜。

 ほぼ、実話らしい。

 父の子のような師弟関係あるいは信頼かつ尊敬しあえる精神科医同士だった、

 カール・グスタフ・ユングとジークムント・フロイトの間に亀裂を走らせたのは、

 患者であり、かつ新たな論文の起草者となるザビーナ・シュピールラインで、

 この作品は、その常軌をやや逸した観にある三角関係を描いてる。

 なんといっても、

 キーラ・ナイトレイの顎突き出し分裂絶叫演技が凄いんだけど、

 彼女の演じるザビーナが、

 幼児期の父親による厳格な躾のせいで、性的な抑圧を抱え、

 それによって総合失語症を患い、治癒させるためには性衝動の解放しかなく、

 簡単にいってしまえば、

 臀部をスパンキングされながらセックスにいたるという、マゾヒズムの解放しかなく、

 このメソッドを行うのが、サディズムを目覚めさせてしまうユングだったって設定だ。

 つまり、もともとユングも精神疾患を抱えてて、これを治癒させるには、

 異常な性愛に溺れ、それで抑圧されてきた自我を解放させるしかなく、

 要するに、ザビーナとの異常な関係を保ち続けなくちゃいけないわけだ。

 もちろん、そういう診療と行為が事実かどうかは、このふたりにしかわからない。

 でも、

 貞淑な妻を愛しているユングはこの魅惑的なザビーナに溺れつつも葛藤し、

 やがて見栄も外聞もかなぐりすててザビーナに関係の継続を哀願するんだけど、

 ザビーナはフロイトのもとへ向かい、性的抑圧の解放について語るようになる。

 このザビーナの行動が、ユングとフロイトを決裂させるわけだ。

 本編の前後、タイトル部分は、流麗な筆致の手紙が拡大されたもので、

 それはおそらく、ユングとフロイトが遣り取りした尊敬と罵倒とは想像できるものの、

 映画が終わっても、明かされない。

 明かされるのは、ザビーナがナチスの虐殺によって世を去ることくらいで、

 こうしたところ、きわめて奥ゆかしい良識と節度を保った映画っていえる。

 ただ、あれだよね、

 ユングやフロイトがいかにも紳士然とした学者として登場し、

 重厚な室内で会話を交わしているから、難解な議論に見えてしまうけど、

 これが、都内のセルフサービスのカフェなんぞで、

 TシャツにGパンみたいなラフな格好で、

「極度のストレスや小さい時からの呪縛を解放させるには、

 自分がほんとはエッチが好きで、変態セックスにもちょっと興味があるんなら、

 恥とか誇りとか、そんなものは棄てて、好きな相手とセックスすりゃいいじゃん。

 幸せな人生を送りたいんだったら、自分に正直になるしかないんだよな~」

 とかいってたら、きわめて下品で低俗な人間におもわれちゃうかもしれない。

 ほんと、世の中ってのは虚飾に満ちてる。

 それは、クローネンバーグもよくわかってて、

 脇に、そういう人間像を配置してる。

 たとえば、ユングの妻を演じたサラ・ガドンは、

 湖のように青い目で、黄金のような長い髪をした、アーリア系の見本のようで、

 夫の浮気も黙って堪えるという、いかにも貞淑な妻を演じているんだけど、

 彼女による匿名の手紙が悲劇の引き金になっていることをおもえば、

 心の中にはどすぐろい憎悪と嫉妬が渦巻いていることはよくわかるし、

 それこそが人間なのだと断言されてる気もするし、

 精神医にして患者のヴァンサン・カッセルが、

 ユングに対して「自分に正直になれ」というのも、

 一見、悪魔のささやきのようにも聞こえるけど、天使のみちびきのようでもあるのは、

 人間にとって性欲というか情欲は死ぬまでつきまとって離れない存在で、

 これを薄っぺらな紳士然あるいは淑女然として否定するから、

 大なり小なりストレスという名の精神疾患に陥るわけで、

「くそったれ男やつまらない女に堕したくなければ、自己を解放することだな」

 と、真正面から突きつけられるからだ。

 まったく、クローネンバーグは正直に生きてる。

 ちょっと、おぞましいけどね。

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