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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

多桑 父さん

2007年03月21日 15時35分48秒 | 洋画2000年

 ▽多桑 父さん(1994年 台湾 144分)

 原題/A Borrowed Life 多桑

 監督・脚本/呉念眞(ウー・ニェンチェン)音楽/江孝文(ジャン・シャオウェン) 林慧玲(リン・ホェイリン)

 出演/蔡振南、蔡秋鳳、鍾侑宏、程奎中、傳窩

 

 ▽1991年1月12日、皇居

 日本贔屓という設定がなければ、あまりに辛すぎる内容。

 よくもこれだけ物悲しく居たたまれない映画を作ったもんだと、感心はするんだけど、ちょっとね。

 いや、もちろん、現実を見据えた映画もあっていい。

 あっていいんだけど、日本の統治時代によほど好い日本人と知り合えたのか、ともかく、日本が好きで好きで仕方がなく、日本に憧れて、いつかかならず富士山と皇居にいきたいと願いつつも、まあいろいろと運も悪かったのか、炭坑の閉山とともに生活も苦しくなり、麻雀賭博に明け暮れ、ようやく炭坑の責任者になったときには、胸を患ってて、結局、日本へ行くっていう夢を果たせないまま死んじゃうっていう、ただひたすら、饐えた現実だけが淡々と語られる。

 不幸だと思ってる人にはあまりにも居たたまれない。

 で、ちょっと勧められないかもしれないね。

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13デイズ

2007年02月03日 11時52分41秒 | 洋画2000年

 ☆13デイズ(2000年 アメリカ 145分)

 原題/Thirteen Days

 監督/ロジャー・ドナルドソン 音楽/トレヴァー・ジョーンズ

 出演/ケヴィン・コスナー ブルース・グリーンウッド スティーヴン・カルプ

 

 ☆1962年10月14日、キューバ危機

 当時の記憶は、ぼくにはない。

 団塊の世代の人達も、たぶん、おぼろげなんじゃないかな。

 それくらい時代は昔になっちゃうんだけど、当時のおとなたちは、いったいどんな気持ちで、10月27日の「暗黒の土曜日」を迎えていたんだろう?第三次世界大戦が勃発するっておもってたんだろうか?おもってみれば、年上の人達とこの時期の印象について話をした記憶がない。それほど、キューバ危機が遠い話だったとはおもえないんだけどな。

 ま、現実の歴史はともかく、ケヴィン・コスナーは『JFK』の印象が強いもんだから、どうしても、連続して観たい気分になる。2本立てで上映してくれればいいのにね。そんな希望はさておき、キューバ危機と四つに組んだ大作のないのが不思議だったんだけど、いいとこ突いてるわ、ほんとに。あ、国連大使を演じてたマイケル・フェアマンは、好い味を出してた。それと、絵的にはどうしてもキャラクターが中心になって、すこしばかり外連味が足りない印象は受けるけど、実際に局地戦が始まったらもうダメなわけだから、当然だよね。

 ただ、さっきも触れた10月27日、キューバの上空を偵察中の米空軍の偵察機がソ連軍の地対空ミサイルで撃墜されたのは歴史的な事実で、このときの搭乗員ルドルフ・アンダーソンの名前がタイトルロールでキャストの一番目に来てたのはさすがアメリカって気がしたわ。

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花様年華

2007年02月01日 13時02分49秒 | 洋画2000年

 ☆花様年華(2000年 香港、フランス 92分)

 原題/花様年華

 英題/In the Mood for Love

 製作・監督・脚本/ウォン・カーウァイ 音楽/マイケル・ガラッソ 梅林茂

 出演/トニー・レオン マギー・チャン レベッカ・パン スー・ピンラン   ライ・チン

 

 ☆二人四役

 不倫してる相手の配偶者をひとり二役ずつ演じてるから、そうなる。

 で、この人物的にも内容的にも難しいながら喩えようもなく美しい作品は、『欲望の翼』の続編とされてるみたいなんだけど、最後に出てきたトニー・レオンが、天井の低いところから引っ越して結婚したのかって想像するものの、ほんとうに話が続いてるのかといえばそうじゃないし、マギー・チャンの役名のほかに共通してるものってあるんだろか?っていうくらい、続編への期待が散った。

 けど、そんなことは、どうでもいい。映像も、音楽も、A級。いうことなしってくらい圧倒された。

 ただ、1962年の香港はこれよりもっと猥雑で、多種多様な文化や恋愛が坩堝のように混じり合ってたんだろうな~とおもうと、マギー・チャンがトニー・レオンのホテルを訪ねていく場面は、その映像といい、編集といいは、まじに圧巻だった。小説家志望の夫トニー・レオンが、となりの夫人マギー・チャンに共同執筆を頼むんだけど、その心情も、なんていったらいいのか、まあ、痛いほどよくわかる。

 っていうのも、小説を書くっていう作業は徹底した個人作業だとおもうんだけど、でも、おそらく恋をすることによって感情が増幅され、物を書くというより、物を創るという創造的な喜びが盛り上がるんだろうし、その非常に個人的な作業の芯みたいなものを相談する相手は、おそらく、恋をしている相手にしかしないし、できないものなんだろう。

 それと同時に、恋の相手にしても、誰にも相談しないし、できないような、相手のいちばん大切にしている創造の部分において、自分ただひとりが相談されてる、もしくは個人作業を共同作業にしてほしいといわれてるんだと理解したとき、それはおそらく、恋の相手としての喜びに満たされるものなんじゃないかなと。

 だから、そうした心情が溢れんばかりに交錯して、逢い引きの場面になっていくんだよね。てなことを考えつつ、さらに映画を観れば、不倫という抜き差しならない関係に陥りながらも、プラトニックでいようとする葛藤の中にはいったいなにがあるんだろう?と、ウォン・カーウァイは疑問を投げかけてるように感じられる。

 夫婦という関係に絶望し、配偶者を否定したとき、自分が求めるものは、まずもって心の平穏で、会話をする相手がいないことや相談する相手がいないことほど、この世に生きていて寂しいものはなく、それはまるでカンボジアの密林の中で、人間が去ってしまった後、いつか訪れる者を黙って待っていたアンコールワットの彫像のようなものじゃない?ってな投げかけが画面から受け取れるんだけど、どうなんだろ?ま、新嘉坡でブンガワンソロが流れた時は嬉しかったし、映画『長相思』の『花様的年華』が流れ、梅林茂の『夢二のテーマ』にナット・キング・コールの『キサス・キサス・キサス』と、哀愁のこもる曲ばかりで、たぶん、この映画は、好きな人にとってはたまらなく好きな映画なんだろな~。

 ちなみに、題名の花様年華ってのは、花のような歳月って意味らしいんだけど、花と華の字があるように、flourがだぶってる分、女の人が最も輝いている時期ってことになるのかもしれないね。それがいくつかなんて野暮なことは、いったらあきまへん。

 で、ひさしぶりに観直したら(2017年5月15日)ちょっと目を奪われた。だって、お、ふたりが小説を書くために密会していた部屋なんだけど、番号が「2046」だったんだ~とね。なるほど、これで『2046』に繋がっていくわけか。気がつかなかったな~。

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キャラクター 孤独な人の肖像

2007年01月28日 12時49分18秒 | 洋画2000年

 ◎キャラクター 孤独な人の肖像(1997年 オランダ 122分)

 原題/Karakter

 監督/マイケ・ファン・ディム 音楽/バレス・ヴァン・ブン(ブン宮殿楽団)

 出演/フェジャ・ファン・フエット ヤン・デクレール ベティ・スヒュールマン ヴィクトー・ロウ

 

 ◎監督と撮影はこれが処女作

 ちょっとどころではないくらい、驚きた。

 もうかなりの熟練監督が、これまた熟練のスタッフを動員して作った作品だとばかりおもってた。それがどうして、こんなに堂々とした作品を作り、アカデミー賞の外国語映画賞を受賞しちゃえるんだろう。

 この人達が特異な才能に恵まれているか、あるいは、オランダという国に上質な映画を作る土壌でもあるのか、ぼくにはよくわからないけど、古典的ながらも重厚な物語性といい、レンブラント光をそのまま映像化したような絵作りといい、いやまあ、凄いもんだ。

 ただ、俳優さんの馴染みの無さが、見るのにすこしばかり辛かったかも。

 ていうのは、顔の区別がうまくつかないんだよ~。もともと暗い画面づくりをしている上に、なんとも陰湿でちからの籠もった内容なもんだから、顔がついつい無表情になりがちで、目を皿のようにして見ていないと、なかなか理解できない。

 あ、理解っていうより、把握っていった方がいいかも。

 要するに、某スポコン漫画と似たような主題で、父と子の確執っていうか、獅子が千仞の谷に子獅子を突き落とす故事をそのまま話にしてるんだけど、ライオンじゃなくて執政官の父と弁護士になろうとする息子の話になってて、もともと認知されなかった息子が、さらに借金や破産や試験や母の死や人生の障害にぶつかるたび、父親が手を回してこっぴどい目に遭わせてくるのを乗り越え、最後には父親と決闘まがいの乱闘になった後、父親の殺害容疑で逮捕されたときに至ってようやく、

 遺言によって、父親が獅子であろうとしたことを知るっていう筋書きになってる。

 これが、重苦しいんだ。

 あ、でも、すごくおもしろかった。

 とはいえ、たった一度の欲望によって、自分の種を相手の女性が宿してしまったとき、その責任感と行動を木っ端微塵に拒否されたらどうなるだろう?生まれてくる子を愛しながらも憎みつづけるような、歪んだ人生を歩む事になるんだろうか?っていう、なんだかきわめて深遠な主題を抱えてるもんだから、観終わったあとでも、う~んと頭を抱えちゃうんだよ。

 母親の気持ちもわからないではないけど、強情すぎるんじゃない?とか、父親の気持ちもわからないではないけど、厳格すぎるんじゃない?とか、いや、そもそも、両親が意地を張り過ぎたために息子が痛めつけられてるんじゃない?てなことを、あれこれ考えちゃうんだよね。

 まあ、こういう設定もありなのか~と、他人事のように感じてしまった。

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隣人

2007年01月27日 12時47分20秒 | 洋画2000年

 ◎隣人(1992年 アメリカ 92分)

 原題/Consenting Adults

 監督/アラン・J・パクラ 音楽/マイケル・スモール

 出演/ケビン・クライン メアリー・エリザベス・マストラントニオ ケヴィン・スペイシー

 

 ◎いかにもありそうな前半の恐さ

 ひとつだけ、

「隣りの奥さんの寝室に忍びこむのはいいけど、やっぱ、顔を確かめてからHするでしょ~?」

 と突っ込んでしまいたくなるのは、ぼくだけだろうか?

 ただ、これさえ大目に見れば、あとはほとんど文句のない出来栄えだ。

 あ、

「自分の奥さんと隣りの旦那とがいつデキちゃったのかよくわからんよね?」

 っていう説明不足なところはあるか。

 それをケビン・クラインが自分だけの能力で暴き出していったら、もっとおもしろかったんじゃないかっておもうんだけどな。そしたら、ちょうど120分くらいになって、ちょうどいい感じの尺になったんじゃないかな~と。

 にしても、洋画は性衝動を前面に出してくる。

 性衝動は誰にでも共通したもので、誰でも興味を持ち、かつ、きわめてスキャンダラスな結果を引き出すことがあるからだ。

 ことに、となりの奥さんに興味を持つという、あまり口にはしたくないけど、でも、どこの旦那でも心の中で考えていそうな衝動が語られ、夫婦交換しようっていう誘いに罠に嵌められたにせよ、その寝室に忍び込むという淫靡な願望をそのまま映像にするというのは誰もが映像化しつつも良心的にためらわれる話だ。それをしっかり作ってんだから、たいした作品だよね。

 くわえて、殺されたはずの奥さんレベッカ・ミラーが生きてるばかりか、自分の奥さんメアリー・エリザベス・マストラントニオまで寝盗られてるっていう、二重のどんでんがえしまで用意されてる。なんとも念入りな脚本だよねとか澄ましてはいられない。

 欲望というのは、自分が抱えてるだけじゃなく、となりの奥さんも、となりの旦那も、さらには自分の奥さんも、単なる自分の人生の登場人物なんじゃなくて、どうしようもない欲望を抱えた自分と同じ人間なんだってことを、この映画はあらためて認識させてくれる。

 ほんと、隠れた佳作だったわ。

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