☆花様年華(2000年 香港、フランス 92分)
原題/花様年華
英題/In the Mood for Love
製作・監督・脚本/ウォン・カーウァイ 音楽/マイケル・ガラッソ 梅林茂
出演/トニー・レオン マギー・チャン レベッカ・パン スー・ピンラン ライ・チン
☆二人四役
不倫してる相手の配偶者をひとり二役ずつ演じてるから、そうなる。
で、この人物的にも内容的にも難しいながら喩えようもなく美しい作品は、『欲望の翼』の続編とされてるみたいなんだけど、最後に出てきたトニー・レオンが、天井の低いところから引っ越して結婚したのかって想像するものの、ほんとうに話が続いてるのかといえばそうじゃないし、マギー・チャンの役名のほかに共通してるものってあるんだろか?っていうくらい、続編への期待が散った。
けど、そんなことは、どうでもいい。映像も、音楽も、A級。いうことなしってくらい圧倒された。
ただ、1962年の香港はこれよりもっと猥雑で、多種多様な文化や恋愛が坩堝のように混じり合ってたんだろうな~とおもうと、マギー・チャンがトニー・レオンのホテルを訪ねていく場面は、その映像といい、編集といいは、まじに圧巻だった。小説家志望の夫トニー・レオンが、となりの夫人マギー・チャンに共同執筆を頼むんだけど、その心情も、なんていったらいいのか、まあ、痛いほどよくわかる。
っていうのも、小説を書くっていう作業は徹底した個人作業だとおもうんだけど、でも、おそらく恋をすることによって感情が増幅され、物を書くというより、物を創るという創造的な喜びが盛り上がるんだろうし、その非常に個人的な作業の芯みたいなものを相談する相手は、おそらく、恋をしている相手にしかしないし、できないものなんだろう。
それと同時に、恋の相手にしても、誰にも相談しないし、できないような、相手のいちばん大切にしている創造の部分において、自分ただひとりが相談されてる、もしくは個人作業を共同作業にしてほしいといわれてるんだと理解したとき、それはおそらく、恋の相手としての喜びに満たされるものなんじゃないかなと。
だから、そうした心情が溢れんばかりに交錯して、逢い引きの場面になっていくんだよね。てなことを考えつつ、さらに映画を観れば、不倫という抜き差しならない関係に陥りながらも、プラトニックでいようとする葛藤の中にはいったいなにがあるんだろう?と、ウォン・カーウァイは疑問を投げかけてるように感じられる。
夫婦という関係に絶望し、配偶者を否定したとき、自分が求めるものは、まずもって心の平穏で、会話をする相手がいないことや相談する相手がいないことほど、この世に生きていて寂しいものはなく、それはまるでカンボジアの密林の中で、人間が去ってしまった後、いつか訪れる者を黙って待っていたアンコールワットの彫像のようなものじゃない?ってな投げかけが画面から受け取れるんだけど、どうなんだろ?ま、新嘉坡でブンガワンソロが流れた時は嬉しかったし、映画『長相思』の『花様的年華』が流れ、梅林茂の『夢二のテーマ』にナット・キング・コールの『キサス・キサス・キサス』と、哀愁のこもる曲ばかりで、たぶん、この映画は、好きな人にとってはたまらなく好きな映画なんだろな~。
ちなみに、題名の花様年華ってのは、花のような歳月って意味らしいんだけど、花と華の字があるように、flourがだぶってる分、女の人が最も輝いている時期ってことになるのかもしれないね。それがいくつかなんて野暮なことは、いったらあきまへん。
で、ひさしぶりに観直したら(2017年5月15日)ちょっと目を奪われた。だって、お、ふたりが小説を書くために密会していた部屋なんだけど、番号が「2046」だったんだ~とね。なるほど、これで『2046』に繋がっていくわけか。気がつかなかったな~。