Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Landscape27. デザインサーベイ,引接寺

2008年02月08日 | Kyoto city
 節分のデザインサーベイ、最後は引接寺。通例「千本ゑんま堂」と呼ばれている。
 千本ゑんま堂 は、文字通り閻魔様をお祀りしている。この寺の縁起によれば、平安時代の文人貴族「小野篁(おののたかむら)」によって建立開基されたとしている。 小野篁は、法理、文才に秀で当時の高級官僚として出世もしたが、天皇批判で隠岐に流されたり、異母妹との悲恋もあったりと、話題の多かった人物である。後に「夜ごと井戸を通って地獄に降り、閻魔大王のもとで裁判の補佐をした」とか、「閻魔大王より先祖をこの夜に迎える供養法(今のお盆行事)を授かった」など伝説も生み出した。 小野篁 が地獄と往来したとされる井戸は、風変わりな六道参りがある六道珍皇寺にある。 千本、葬送地、卒塔婆、小野篁 、閻魔大王、地獄絵図、盂蘭盆会、六道参り・・・と言葉を並べると魔界のメッカを訪ねているようである。昔の地名をあてがうと、千本ゑんま堂= 蓮台野 、六道珍皇寺= 鳥部野、念仏寺= 化野という具合に 都の葬送地に立地している。この辺りの地名である千本とは、数多くの石仏や卒塔婆の意味だそうである。
 都の葬送地にまつわる寺が、この世・あの世という概念、お盆の行事、地獄絵図といった、生活の節目となる行事、風習、作法を形成してきたところは、興味深い。 というのもこれとは対照的に行事、風習、作法等が希薄な環境の典型が、戦後整備されてきた大規模ニュータウン、最近の都心超高層マンション群である。生活技術を集積させた現代の高密度居住空間には、私達の死後、行くべき先の設えや意味付けされた空間が欠落している。それこそが古い街に存在し、新しい街には見られない概念や要素なのである。
 
撮影日2008年2月3日
FUJI S5pro,
AF Nikkor F2.8/20-35mm D
コメント
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