Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Landscape35. 山陽路・竹原2

2008年02月27日 | field work
 伝統的建造物群保存地区竹原を歩いていると、路地奥の高台がアイストップとなり、その山腹に複数の寺院が見え隠れする。その一つ、西芳寺に上がってみた。堅固な石垣を土台とする朱塗りの西芳寺普明閣は、方三間宝形造、本瓦葺の二重屋根、舞台作りで、京都の清水寺を模して建立されたと高札には書かれてあった。空中にせり出すようにつくられた舞台からは、眼下に広がる竹原の街並や山々、そして瀬戸内海が見える。この舞台は、しばしば観光ポスターで登場してきた絶景名所である。それ故このブログでは割愛した。私が興味を持ったのは、普明閣へアブローチする上り坂と、振り返ったときに眺めた足下の風景であった。
 アブローチの路を上がってゆくと、土壁の塀が眼下の風景を遮り、空が一面に広がり、普明閣があたかも天空にあるかのように思われる設えである。この風景をみたとき、私の先生の一人であり、日本でも5指にはいるランドスケープ・アーキテクト故池原謙一郎[注]がデザインした、フィリピン、カラリアにある「日本人戦没者霊園」の道のデザインを思い出した。空に向かってまっすぐ続く1本の道は、日本の方角に向かって設えられている。日本に帰りたいとする霊園に眠る戦没者の心を、ランドスケープとして表現した作品である。私にとっては、人々の意識がデザインとして昇華され、大地に表現されてゆくことを教えられた作品でもある。
 もう一つは、この路から見下ろした風景であった。石段やお堂の周りの空き地で、子供達が遊んでいる姿が、今にでも見えてきそうなたたずまいが感じられた。遠くから賑やかな子供達の声も聞こえそうだった。それは私が子供頃の風景を重ね合わせているのかもしれない。山陽路の風景は、どこか懐かしい昔の時間を思い起こさせてくれた。
 今日一日、広国大の先生の車で、朝呉を発ち、木之江、御手洗、竹原と案内してもらった。最後の〆は、当然の事ながら、JR東広島駅周辺の店で広島焼きを肴にして杯を傾けた。その後広国大の先生に別れを告げ、最終の新幹線に飛び乗った。横浜を発ってから三日目の宿は倉敷であった。
 

注:享年74歳、元筑波大学教授、主な作品としては、東京代々木公園、東京隅田川桜橋、入谷南公園など多数ある。また日本のサッカーの草分けサポーターとして1962年日本サッカー狂会設立、以後ジャパンサッカー創生期から、サッカーを応援し続けた。応援の手拍子「ニッポン、チャ、 チャ、 チャ」は池原先生の創作によるもの。
 
EOS3,EF F3.5-5.6/28-135mm
エクタクローム,CanoScan.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする