Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

Landscape33. 山陽路・御手洗3

2008年02月25日 | field work
 一昨日、2月23日土曜日の午後から、日本の天候は荒れに荒れた。土曜日の横濱は、空一面が竜巻の時ような黄土色の砂塵に覆われ、景色も霞み突風が吹き荒れる春一番だった。首都圏の電車は軒並みストップしていたが、幸いにも基幹ロードである新幹線は機能していた。そんな最中を名古屋に出向き、雑用を片付け、京都の嵐山で雪の中を徘徊し、日曜日の夕刻名古屋に戻り、学生達の作品展[注]をのぞいた頃には、一連の嵐も納まり、冬の空に戻っていた。調度週末の嵐の最中を西へ東へと動いていた。だが日曜夜の名古屋にいても、いきつけの店は休みだったので、常宿でなすすべもなく夜の9時に寝てしまった。早く寝たのが災いし夜半3時頃には起きてしまった。私は、できるだけ日曜夜の退屈な名古屋には、居ないようにしているが、それを余儀なくされたのは、翌日に入試の監督があったからである。変に頭が醒めきった状態で入試監督を果たし、先ほど横濱に戻った。僅か約48時間あまりで、随分いろんな天候と気分の変化を味わった。
 そんな具合に時間は、不思議な感覚をもっていて、何事も起きず、同じような毎日の繰り返しであれば、それが一週間でも、あっというまに過ぎ去ってしまう。だが、この週末のように、僅か48時間程度であっても、様々なことが起きると大変時間の長さを感じることがある。個人的には、後者の密度の濃さの方が好きである。ただし、名古屋の退屈な日曜日だけはいただけないが。
 さて山陽路に話を戻そう。御手洗の町を歩いていたら、時計屋があった。店の中に入って驚いた。一体いつからこの時計屋の空間は、時間が止まっているのだろうと思われるような雰囲気が色濃く漂っていた。おそらくもう何十年も同じ事を繰り替えしつつ、時間が停まったままなのだろう。壁に額装してあった発色の良いポスターに目がとまった。この店の主の説明によれば、「タバン」というのは、戦前スイスで懐中時計を制作していたメーカーだそうである。スイスの優れた技術で印刷されたポスターなので数十年の時間を経ても、色が変わらないということであった。
 人間は、限られた時間の中で多くの変化を経験しようと走り回り、技術は変わることなく、最良の状態で永遠に残ろうと欲する。人間の思惑と、技術の思惑とが、すれ違っているように思われた風景である。
 

作品展には、学生の他にOBらの作品も展示してあった。名前をみながら、懐かしい1期生の顔を思い出した。彼らの、作品からは卒業後の活躍が伺え、面白かった。
 
EOS Kiss Digital,SIGUMA F3.5-5.6/18-125mm
コメント
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