節分から戻ると仕事山積みであることと、寒さが体に応えたかあまりブログを書く元気がない。
北野天満宮の追儺式の後で、時間的にちょうどよいのが千本釈迦堂の「おかめ節分」である。おかめ信仰というものが、どういうものだったかは、調べそびれたが、境内にはおかめの像が建てられ、参拝グッズも「おかめ」ずくしである。
おかめ節分は、法要に続き 茂山千作社中による鬼追いの儀の狂言が行われた。暴れ回る鬼も最後に「おかめ」に諭されて、改心するという簡単なストーリーなのだが、鬼の面のユニークさや優れた伝統のデザイン性が伺える衣装、可愛い子鬼や、外国人が登場するなど、登場人物は多彩である。舞台で繰り広げられる狂言は、即興的な面白さがあってとても面白い。短時間であったが、こんな狂言かもあるんだと再認識させられた。
近年街づくりの場面で行われている集客や地域振興を目的とする催事イベントなどをみていると、ともすれば営利主義が前面に現れたり、企画の陳腐化やステレオタイプ化された傾向を感じざるを得ない。一連の節分行事を観察していると、街づくりの場面において、こうした伝統行事から学ぶべき要素は大変多い。
最後に豆をまいて狭い境内は大いに賑わう。この狂言が演じられた舞台である本堂は、1227年に建立され、現在でも創建時の姿だといわれている。因みにこの本堂は国宝である。往事の伽藍配置が残っていないので、創建時の全容はわからないが、狭い境内にあって、本堂が絵になるように際だっている。本堂の軒高が高く、堂々とした建築的存在感を感じさせてくれる。そうした空間上のスケール感も、こうした催事の演目をひきたたせているように思われた。未調査であるが、寺社建築の軒高と江戸時代頃の舞台建築のプロセニアムの高さとは、近似値なのかなと思われた。
撮影日2008年2月3日
FUJI S5pro,
AF Nikkor F2.8/80-200mmD
北野天満宮の追儺式の後で、時間的にちょうどよいのが千本釈迦堂の「おかめ節分」である。おかめ信仰というものが、どういうものだったかは、調べそびれたが、境内にはおかめの像が建てられ、参拝グッズも「おかめ」ずくしである。
おかめ節分は、法要に続き 茂山千作社中による鬼追いの儀の狂言が行われた。暴れ回る鬼も最後に「おかめ」に諭されて、改心するという簡単なストーリーなのだが、鬼の面のユニークさや優れた伝統のデザイン性が伺える衣装、可愛い子鬼や、外国人が登場するなど、登場人物は多彩である。舞台で繰り広げられる狂言は、即興的な面白さがあってとても面白い。短時間であったが、こんな狂言かもあるんだと再認識させられた。
近年街づくりの場面で行われている集客や地域振興を目的とする催事イベントなどをみていると、ともすれば営利主義が前面に現れたり、企画の陳腐化やステレオタイプ化された傾向を感じざるを得ない。一連の節分行事を観察していると、街づくりの場面において、こうした伝統行事から学ぶべき要素は大変多い。
最後に豆をまいて狭い境内は大いに賑わう。この狂言が演じられた舞台である本堂は、1227年に建立され、現在でも創建時の姿だといわれている。因みにこの本堂は国宝である。往事の伽藍配置が残っていないので、創建時の全容はわからないが、狭い境内にあって、本堂が絵になるように際だっている。本堂の軒高が高く、堂々とした建築的存在感を感じさせてくれる。そうした空間上のスケール感も、こうした催事の演目をひきたたせているように思われた。未調査であるが、寺社建築の軒高と江戸時代頃の舞台建築のプロセニアムの高さとは、近似値なのかなと思われた。
撮影日2008年2月3日
FUJI S5pro,
AF Nikkor F2.8/80-200mmD