Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし34. フォトグラファー達

2009年06月21日 | field work
写真撮影を職業としているフォトグラファー達と、そうでない辛気くさいオッサンカメラマン達と何が違うかを考えてみた。私と一緒に仕事をしたことがある、フォトグラファー達とを比較してなのだが。
 最たる仕事の大きな相違点は、フォトグラファー達は撮影を行う以前で、大半の仕事が完了している。インテリアの撮影であれば、室内照明を取り替え、メジャーで家具の位置を正確に定め、撮影用に最適な環境をつくりだす仕事に大半の時間を要する。また雑誌の撮影であれば、同じような膨大な数の被写体を撮影しても、フォトグラファーや環境のコンディションと関係なく一定の画像をゲットできるだろう。つまり準備や忍耐力がものいうことがわかる。
 撮影以前の準備で大方が決まってしまうから、後は誰しもが利用している同じ撮影機材を使用し、機械的に撮されるだけだ。つまり与えられた時間の中で、そうした単調な準備に時間と段取りと精神力を考え、蓄えられる能力が、フォトグラファー達の才能なのだろうと私は考えている。それに画像の後の利用や処理、例えば印刷用とか、プリント作品用とか、或いは編集デザイナーによる画像加工等を、前提として撮影が行われているようだ。
 それにしては、あまりビジネスになるような商売には思えない。だからこそ営業能力は必須だし、時には清貧に耐える忍耐力も必要なのだろう。そう考えると物好きな人達というのが、私の印象である。物好きであればこそ、被写体への関心も湧くのだろう。
 そういえば、私の研究室OBにも、記者兼フォトグラファーがいる。新聞社に内定が決まったとき、彼は「写真の取り方を全然知らないんですよ」と言ったので、私は、「技術的なことは会社で教えてくれるから、覚える必要はない」と言ったことがある。撮影技術などデジタル化した現在では、そんなに難しいものではないし、まして蘊蓄を傾けるものでもない。今では、某野球球団の番記者兼カメラマンである。
 先日夕刻、東京でフォトグラファーの個展(注)に立ち寄ったら、山口県日本海に浮かぶ見島が題材であった。ああ日本にも、こんなところがあったかと思った。まさに物好きな世界である。

注:野頭尚子:mishima,COCOTE CAFE,2009.6.3-7.5
上高地,田代沼
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
コメント
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