Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都暮らし33. 辛気くさい光景

2009年06月20日 | field work
 私は、講義やランドスケープデザインのためのデータづくりといった程度のことを撮影の主目的としているので、いつも気軽な撮影装備なのだが、趣味に走るオッサン達は、撮影機材の大仰な重装備でやってくる。とても大きなザックの全部が撮影機材だろう。
 上高地の食堂にもいたですね。数人の年配のおっさん達がテーブルを囲んで写真談義という光景。どこかの学部長のような風貌のオッサンが、90万はするEOS1Ds-MK2を持ち出し機材談義である。聞き耳を立てていると、何某の偉い師匠についたとか、写真を撮るにはこの機材じゃなきゃ、といった案配の自慢話が続く。
 こういうオッサン達の群がる光景は、実に辛気くさい。いつも不思議に思うのは、撮影機材は話題に出すが、肝心のそれまでに取り集めた写真のフォートフリオをだして写真談義をしているクリエイティブな光景には、先ずお目にかからない。絵画で言えば、筆の自慢をして、絵を見せないのと同じだ。それはなんか変だぜ。きっと撮影機材マニア、或いは道具マニアなんだろう。あの辛気くさい光景が涸沢の山小屋でも続くので、若い人達が寄りつかなくなるのかも知れない。
 それにしても、写真というのはとても変な世界で、何かとプロとかアマとかグレードをつけたがる。私がおもむろに撮影していると、プロですかアマですかと尋ねてくる輩がいる。私は講義やデザイン制作のために撮影しているのであって、そんなことは関心外なのだが。 プロは上手い、アマは下手、とする通俗的な認識が、蔓延っているのだろう。 恐らく、プロもアマチュアも同じ機材を使用するということから、なにかと差別化したいのだろう。私に言わせれば、機材が同じならば、結果も同じはずですが。
 この日の山はガスっているので何も見えないが、ガスでも撮りに行くのだろうか、年配の辛気くさい機材マニア達は・・・。

2009年6月、上高地
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
コメント
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