Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

最近のドローイングから91.

2014年10月04日 | drawing
 今は、例えばネット上であなたがわからないことがあれば、すぐに知っている人間が答えてくれる。そうしたQ&Aのサイトは多い。既存の知識体系とかマニュアルといった規範があれば、それらに照らし合わせての回答だから明確である。
 だが質問内容によっては、つまりあなたの思うようにしたらどうですかといった具合に、複数の回答者の意見をまとめると結局結論の出ない事が多い。こうした結論の出ない回答は、経験に依存する場合が多い。特定の機器の使用感とか、どんな機器がよいですかといった類の質問に対してこうした回答が出現する。
 経験は個人差の固まりであり、定量化できないから、いってみれば科学ではない。そんな科学ではない情報でネット上は満ちあふれている。そういうあやういものを、個人の行動としているのも現代社会の特徴である。旨いとネット上で書き込みや評判になれば行列ができるレストランやラーメン屋といった具合にである。
 私がインターネットを始めたのが1995年であり、当時スタンフォード大学のサイトからメーラーをダウンロードし、四苦八苦しながら設定を行い、WEBはNetscapeの時代であった頃と比較すれば、今は随分容易になった。だがそれまでアナログで行っていたことがデジタルに置き換わっただけではないかと思うときもある。たしかに便利になったしコストもかからなくなったかもしれないが。
 だからふとインターネットのない生活も悪くないと思っている。FBの公式発言或いはおべんちゃら友達よりは、現実の言いたいことが言い合える友達がいたり、旨い店は自宅の近くに、通える店が1軒あればそれで満足できる。
 インターネットを使い込むうちに、それから遠ざかろうとするもう一つの自分がいるのかもしれない。そうした相反する意識同士が、どこかでバランスをとろうとしているのではなかろうか。
 ブログを書きながら、アナロジカルなクロッキーを描いているというのも、そうした表れかと思っている。これは、ふと思いついた気づきなんですけどね。
 
クロッキー帳No22.
コメント
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