このドローイングも先の京阪中之島線のコンペの提案のためのエスキースである。地下と地上とを関連させようとしてあがいていた。従来の地下に続く階段なんて言うつまんない発想からもう少し街のストラクチャーとしてしつらえられないかと思案していたのだろう。多分眼前の堂島側を眺めるシティスケープがほしかったと思われる。それで駅の真上の交差点にこうしたドーム上の空間でしつらえられないかという発想である。
しかし、このコンペの後、東京渋谷駅で安藤忠雄さんが卵で包んだ地下空間を実現してしまった。もともと安藤さんの大阪市公会堂の提案である卵が私の頭にあったのだから、それは当然の帰結というべきだろう。やはりオリジナルのアイデアは、本人しか実現できないということを勉強した。
他人のアイデアをまねる人は多いと思う。原作の精神を勉強する上では、おおいにスタディしてよい。建築は真似から始まったといってもよい部分がある。つまり学生時代は、著名な建築家の図面をトレースしながら、その建築家の建築に対する考え方を学ぼうという教育方法は、今でも私の大学を始め全国の大学で行われている。私の大学では、吉村順三の軽井沢の別荘と安藤忠雄さんの住吉の長屋のトレースが、毎年出題される建築実習の課題でもある。
ちなみに私の学生時代は、白井晟一の呉羽の舎のトレースであった。一寸他の大学と差別化されていて、自慢ではありますが・・・。もう一言白井晟一は京都人である。それも下京区、私の家の近くで生まれたわけだ。どこか哲学的な職人気質の建築家である。
イエローブック2004.
しかし、このコンペの後、東京渋谷駅で安藤忠雄さんが卵で包んだ地下空間を実現してしまった。もともと安藤さんの大阪市公会堂の提案である卵が私の頭にあったのだから、それは当然の帰結というべきだろう。やはりオリジナルのアイデアは、本人しか実現できないということを勉強した。
他人のアイデアをまねる人は多いと思う。原作の精神を勉強する上では、おおいにスタディしてよい。建築は真似から始まったといってもよい部分がある。つまり学生時代は、著名な建築家の図面をトレースしながら、その建築家の建築に対する考え方を学ぼうという教育方法は、今でも私の大学を始め全国の大学で行われている。私の大学では、吉村順三の軽井沢の別荘と安藤忠雄さんの住吉の長屋のトレースが、毎年出題される建築実習の課題でもある。
ちなみに私の学生時代は、白井晟一の呉羽の舎のトレースであった。一寸他の大学と差別化されていて、自慢ではありますが・・・。もう一言白井晟一は京都人である。それも下京区、私の家の近くで生まれたわけだ。どこか哲学的な職人気質の建築家である。
イエローブック2004.