Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

最近のドローイングから101.

2014年10月21日 | drawing
 クロッキー教室も10分から5分のポーズで14ポーズは描くが、いつも最初の2ポーズ位はまず描けない。一つはモデルさんの観察が進んでいないこと、二つは鉛筆の芯がとがりすぎていて描きやすい減り方になっていないことである。綺麗な体型のモデルさんが来るともうプロポーションに悩んでしまう。最初の一枚は、いつも試行錯誤していて描けない。
 ただ最初の一枚でバシッと決めなければならないこともある。例えば中近東の民族をスケッチに出かけるなんて場合を想定すると、相手は待ってくれないので、最初の経験を大切にせざるを得ない。
 だから、相手の意志などおかまいなしにデッサンしてゆかないと描けない世界。写真だって相手に遠慮していては、撮影できないのと一緒だろう。つまりずうずうしいというわけだ。だから一般人的な常識にとらわれていては、デッサンも写真も成立しない。所詮相手の意志を無視したところで、通例たいした影響もないのがデッサンの世界だけど。
 それよりは、イマージュとしての意味を考える方が有益だ。古代から人間はイマージュを用いて、曼陀羅や神話の象徴として概念的世界を描きつくりもしてきたが、現代社会も様々なアイコンが情報空間を飛び交っている。それは何かを代弁することのイマージュである。
 そう書けば人文社会学の人間達からは、クロッキーを通じて何をイマージュし、どんな概念的世界を描こうとしているのかと質問がでてくるだろう。私の結論はわかんない。
 つまりクロッキーって何かの制作ための練習なのだな。あえていえば、その何かの制作のための代弁というわけさ。さて何をつくろうか。やはり建築や都市かな・・・。それでイエローブックとクロッキー帳の間を徘徊しているのかと自分に納得。
 さて横やり仕事も片づいたし、歯の治療も終わった。今日からは論文と車の練習という単調で静かな毎日だろう。

クロッキー帳no16.
コメント
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