洞窟の中には、暗いところが好きなテリエビスがいる。なんと伊勢エビもいたが食べそびれたじゃなく、撮りそびれた。
こんな岩の隙間から洞窟へ入ってゆく
万座のドリームホールは著名なダイビングスポット。
ボートからパックロールでエントリーし、この季節は流れがあるので岩をつかみながら前進してゆくとL字型に続く洞窟の入り口があり、12mぐらいのところから入って耳抜きをしながら岩の間を深度を下げ、横穴を通ってピカチューの形をした出口にたどりつくと、ダイブコンピュータの水深は28.9mを表示していた。水上に上がるとハイヤットリージェンシーホテルが正面に見えていた。
このブログでも、2015年9月8日のブログでとりあげたのが最初だから何回かはきていた。この頃はダイビング覚え立てだったから下手なりに無我夢中でくっていった。
後で考えると、無我夢中になれる瞬間が素晴らしいと思われる。歳をとるとそんな経験が皆無になってゆくからだが、人間は新しいことをはじめると無我夢中になれるときがある。歳をとったときこそ無我夢中になれる対象をみつけたり、そのための体力を維持したり、鋭敏な感性をキープしておきたい。それを忘れたら例え歳をとっていなくても、感性も体力も本当の老人になってしまうだろう。
仕事でも、研究でも、道楽でも、色恋沙汰でも、無我夢中の時ほど幸せな時間はないだろう。
色恋沙汰と筆が滑って思い出したのが、「赤松啓介:夜這いの民俗学・夜這いの性愛論、ちくま文庫、2019年」、が興味深い。日本近代の夜這い慣行の体験を踏まえた民俗学といえばよいか、すくなくとも白足袋を履き人力車で乗りつけた建前主義の柳田國男民俗学に真っ向から対峙する視座が興味深い。社会学者の上野千鶴子さんが解説を書いている。
近代日本の地方は農本主義社会が残っていたから、産めよ!、増やせ!、が生活の基本。そこでフンドシとコシマキ祝いだ、夜這いだ、それで子供ができれば、だれかが「おれに似ていないなぁー」とこぼしつつ育てる、ムラ行事として若者の筆下ろしをするぐらいだから不倫などという概念がなく、亭主に愛想が尽きたら風呂敷包み一つ抱えてさっさと家を出て行く、初婚どころか、三婚、四婚はあたりまえ、そんな近代日本の地方のおおらかな農本社会の姿が現れてくる。
筆者が、明治政府以来現在も一貫して続けている一夫一婦制も要は徴税しやすいので設けられた制度だと言及してゆくあたり、共感するものがある。男と女の意識は国の制度のとおりに動く場合もあれば、動かない場合もあるのですね。
そこで現代社会を振り返ると制度の牢屋にみえてくる。地域やムラのコミュニティにかわって、今はネット社会という根暗なコミュニティがあるけど、そこにあの近代日本の地方・ムラ社会が持っていたおおらかさはない。
沖縄県万座ドリームホール、2019年5月14日
Nikon CoolpixW300
ISO160,焦点距離4.3mm,露出補正±0,f/2.8,1/30
ISO400,焦点距離9.2mm,露出補正±0,f/4.3,1/20
ISO125,焦点距離4.3mm,露出補正±0,f/2.8,1/160