京都にもこんなローカルな景観があったか。京都国際交流会館へ出かけたおりに見かけた。
岡崎だから明治の山県有朋の邸宅である無鄰菴を初め昔からの邸宅が多く、南禅寺界隈別荘郡といわれるところだが都市のなかにあって田舎の空気が漂うあたりは、やはりここは別荘地の空気なのだろう。もちろん冬の天気の良さが景観を際立たせているのかもしれないし、東山への眺望が開けているのもこの地の性格だ。
しかし明治初期に都が東京にうつり、京都の街は人口10万人位減少したという話もあり。そんな京都に別荘をつくる発想はどこからわいたのだろうか。東京からだって汽車で相当数の時間がかかった頃である。東京だったら湘南海岸あたりにつくればよいのにと思う。
その後京都は伝統工芸を復活させ、近代の街としての体裁を整えてきたという話であるが。応仁の乱といい、明治期の遷都といい、京都にも没落した時期があった。その都度毎に復興してきたというわけだ。
しかし復興しないのは私の京都の人脈だ。こちらは萎む一方だ。寂しい京都暮らしである。ここから逃げ出すか・・・。
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