Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

フィールドワーク614. 何故撮影にいそしむか?

2022年05月17日 | Kyoto city

 

機材はそろった。

ほなら都の桜で機材のテストをしよう。

しかし、私は何故撮影にいそしむか?。

その一番の理由は、都市や建築の研究者としての論文執筆に起因する。

論文は、すべてオリジナルであることが論文執筆の大原則。

だから他人の写真を使う事はできない。

他人の写真を使用したらキャプションで注書きすればよいではないか。

それは手抜き行為と受け取られる。

結果として論文査読審査の合否判定評価を下げてしまう。

他人の写真や映像が引用できるのは、少なくとも50年以上前の街の姿ぐらいだ。

被写体が様変わりし撮影できない場合に限って引用可能だが、当然注書きで出典をいれる必要がある。

そうした引用の多い論文は、工学系では価値が低い。

つまり査読を通りにくい。

あるいは歴史的文献ぐらいは引用が許されるだろう。

歴史的文献であっても、今は余程の貴重資料でないかぎり自分で撮影する事が必須だ。

そのために公立の博物館や美術館は、必要に応じ研究者に個別対応をしてくれる。

写真や映像を撮る行為は、最初に諸々の社会的手続きから始まる。

手続きを完了したらようやく撮影できる。

フォトグラファーもだって同様だ。

彼らもまた個展で写真や映像を発表するために、肖像権や著作権と日夜格闘し続けている。

撮影するということは、書類の作成から始まるといってもよい。

研究者は、プロと同等の撮影技術は論文審査では求められない。

しかしプロ並みに撮影できる能力が必要になる。

なんだその矛盾は?。

ましてフォトグラファーでさえゆかないフィールドを発見したら、そうした事象や空間を論文の根拠として記録する必要が出てくる。

写真・映像は、時に放映され出版物になることだってある。

そう、つまりプロと同じ仕事をしていることになる。

最高の状態で記録しておくというのは、今時の研究者の務めだ。

そんなわけで私は感性への刺激と称して撮影に出かける。

刺激というのは、あっ!、これが面白いなと発見できる感性への刺激だ。理屈は後からついてくるし技術は覚えれば忘れることはない。

しかし感性は鍛え続けないと鈍くなり衰えてゆく。

研究者には、新しい事を発見できる感性が必要なのである。

さて今日は、雨模様であり光も届かない観光客の出足が鈍い天気だ。

しかも花冷え。

そんな天候だからこそ、桜の季節でありながら普段人出が多くて出かけられない場所・・・、高台寺!!。

そんなタイミングで夜間拝観にゆくならここしかない。

4K撮影ができるα6600をジンバルにセッティングした。

しかし三脚、一脚、自撮り棒、足がついたカメラは全て禁止。

だからフル手持ち撮影だ。

薄暮の静寂に秀吉の正室である高台院の幻想をみた。

543高台寺 HD 1080p

 

α6600、E10-18mm/F4.0、iPhon13pro

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