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オビドスは、中世の城郭都市が綺麗に残されているし、いまもこの城郭を中心にした小さな町だ。
和辻哲朗の「風土-その人間学的考察」のなかには、西欧の空間のとらえ方に関する記述がある。
「(ヨーロッパの)カフェーは茶の間であり,往来は廊下である。この点から言えば町全 体が一つの『家』になる。鍵をもって個人が社会からおのれを距てる一つの関門を出れば, そこには共同の食堂,共同の茶の間,共同の書斎,共同の庭がある。しからば廊下は往来で あり,往来は廊下である。・・・ということは『家』の意味が一方では個人の私室にまで縮小さ れ,他方では町全体に押しひろげられるということにほかならぬ。それはつまり『家』の 意味が消失したということである。家がなくしてただ個人と社会とがあるということであ る。」
それは中世城郭都市にそのままあてはめることができ、城門が家の玄関、カフェは茶の間、ストリートは廊下といった具合に、家の空間を城壁都市の個々の空間へ置き換えてみると和辻の理論がよく符合する。ストリートが廊下という認識であれば、それは綺麗に保たれ、ペーブメントにはあたかも家の絨毯のように意匠が施され、といった具合に街全体を大きな一つの家という概念でみることができる。そこからコモンセンスという概念も生まれてきたのではないかとするアナロジーである。
オビドスの街で私の関心を引きつけたのが高架で城壁内につながる水道管である。いくら城壁型の町といっても水がないことには街そのものが成立できない。そして街の中を歩けば、城壁とニッチになった教会、アルコーブのテラス、渡り廊下、横丁から路地が交差部する小さな広場、サロンとしての教会前の大きな広場、決して真っ直ぐには見通せないメインストリート、折れ曲がる横町・・・と空間的多様さに魅力を感じてしまう。
さて1日に数えるほどしかこない列車に乗るなら30分でみてくださいというS君の言葉。こんな多様な空間を30分じゃ無理よと内心思いつつ、ワイナリーにしけ込んでワインを堪能していたK君やY女史もおり、結局私達はバスでリスボンに戻り、鉄道で次の目的地コインブラへゆくことにした。先ずはリスボンで昼飯である。
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