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冬の日差しが絵具にあたる光景をみていると、描こうかなという気分にさせてくれる。多分色が見やすいからだろう。
その手間のかかるドローイングも、忙しいときこそあえて使いたい。だから机の上は水彩絵具と学術論文の資料とが混在し見事に散らかっている。
学術論文と官能小説を同時にすすめるという物好きは少ないだろう。だがこの2つには「小樽の街」という共通のテーマがある。
学術論文では明治期前半の小樽の街を3DCGで創造復元しようというもので、運河と煉瓦の街というこれまでのステレオタイプ化したイメージとは異なった小樽の姿があるだろう。そもそも明治期前半に小樽運河はつくられていなかったし、何度も大火にあいながら街の復興は早く、背後には石炭産業と北洋漁業の興隆と日露戦争後の大陸への渡航拠点であるなど、明治の小樽の街は成長を続けるの力を持っていたのである。
ある文献によると100戸以上の建築が火災に遭った回数は、過去200回はあったとする説もある。日本海からの偏西風が火災を大きくしてきた。それでいて、すぐに復興できる力があった。
そんな現代の小樽の暮らしはどんなだろうかとする興味があった。特に本格的に雪が降ると暮らしや街の光景も変わる。そこに小樽の街の魅力がある。過去に石原裕次郎が住み、海陽亭の宿泊台帳に吉永小百合の署名をみる。なぜ彼らは小樽を訪れたのか?。
運河と倉庫というステレオタイプ化した通俗イメージを捨て去ると、これまでとは違った小樽の街の姿がみえてきそうだ。そこが小樽の街の面白さである。
そんな歴史をもった街が「小説:小樽の翠」の舞台だ。小説では、トップ画像手前の明治の量徳小学校の位置に翠達が勤務する病院がある。
画像:明治期小樽の街並みの一部を復元した3DCGモデル
三上訓顯:近代都市の魁け、明治期小樽の街並みについて,芸術工学への誘いvol.28,2023p47-62.
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