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サウルの息子。ユダヤ人大虐殺の実行部隊はユダヤ人だった。
DVD サウルの息子 というのを何となく借りてみてしまった。
6枚借りたDVDの一枚。
舞台は 第二次大戦末期のハンガリーの辺地につくられたユダヤ民族抹消のための殺人工場、アウシュビッツ収容所。
そこで起きた数日の出来事を映画にしている。
ユダヤ人収容所で本来ならガス室送りのユダヤ人のうち、抜擢されて強制的に作業員にされ、ユダヤ人虐殺の実行部隊をさせられている主人公サウル。
彼のようなユダヤ人たちをゾンダーコマンドと呼ぶ。
衣服の背中には不気味な赤い×印。
彼らユダヤ人が同胞ユダヤ人を言葉巧みにだまして次々と青酸ガス室へ送り込み、大量に殺害し、遺体を灰になるまで焼却する。
汚物、排泄物、血液などで汚れたガス室を大急ぎで清掃し、また次のユダヤ人たちを送り込み、カギをかけては低濃度青酸ガスを送り込む。
低濃度のガスのためユダヤ人たちはすぐには死なず、苦しみもがき、のたうちまわった末に死を迎える。
怒号、絶叫、インフェルノ、地獄絵図。
サウルたちは能面のように無表情に機械のように作業をすすめる。
この日、サウルは偶然に自分の息子(本当に彼の息子なのかどうかは、映画ではぼかされている。)がガス室で殺されるのを目撃する。
まだ息があり最後は窒息死させられ剖検室へと送られる。
サウルはこれを絶好の機会と判断した。
虐殺された大量のユダヤ人たちはまとめて灰になるまで高熱で焼却され、灰は近くの川に流されるのだが、サウルは、なんとか自分の息子の遺体だけは正式なやりかたで埋葬しようと命をかけて奔走する。
その姿を縦軸にして、悲惨な収容所の日々とゾンダーコマンドたちの反乱が横軸に描かれる。
次々と1日1000人単位で送り込まれるユダヤ人の虐殺処理がおいつかず、サウルたちの労働も過酷をきわめる。
そこへさらに1日3000人規模でのユダヤ人たちが送り込まれるようになり、ガス室だけでは虐殺作業が追いつかず、悲惨な銃器や火炎放射器での大虐殺がはじまる。
サウルのような作業員も一定期間働かされてから抹殺されるのだが、その日が近いことを察知し、ゾンダーコマンドたちが反乱をおこすが............といったやたらと重い重い映画でした。
凄惨なシーンのオンパレードだが、短焦点距離レンズのカメラを振り回すように駆使して、サウルの視点で見たような映像で描く。
すなわちサウルの頭や顔部分はピントがあっているが周辺の悲惨な映像は全てぼけるといった特殊カメラワーク。
ピンぼけ映像が一瞬シャープな映像になったりする。
このピンぼけ映像が画面の凄惨さを観客にいやがおうにも連想・想像させるといった特殊な手法を取っている。
ドイツはユダヤ人大虐殺やアウシュビッツ収容所などを、ことが終わった後には全て跡形もなくこの世から消し去る作戦をとった。
それを察知してユダヤ人たちはなんとかこの施設や、そこで行われた大虐殺の証拠を後世に残そうとした。
実際にガラスビンに封印されて地面に埋められた10数個の証拠品(紙に書かれた詳細な記録や少数の施設撮影フィルムなど)が後に発見されアウシュビッツ収容所の存在の物的証拠になったという。
サウルが自分の息子だけは、灰にして川に流すことなく、地面に埋葬することに命をかけたのは、映画製作者は、おそらくそういったことを象徴的に表現したかったのだろうか。
笑顔など、まったく出てこない映画だが最後の一瞬だけ、サウルの笑顔が現れ、すっと映画が終わる。
この笑顔も意味深だ。
この映画は数々の映画賞を総なめに獲得したというが、娯楽映画専門の私の目には止まらなかったようであった。
この映画、すざまじい芸術作品には違いないが、とても娯楽映画とはいえない。
「野火」を見たときと同じで、見なきゃよかったと気がついて、何度も途中で見るのを止めようと思ったがとうとう最後まで見てしまった。
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サウルの息子。ユダヤ人大虐殺の実行部隊はユダヤ人だった。
DVD サウルの息子 というのを何となく借りてみてしまった。
6枚借りたDVDの一枚。
舞台は 第二次大戦末期のハンガリーの辺地につくられたユダヤ民族抹消のための殺人工場、アウシュビッツ収容所。
そこで起きた数日の出来事を映画にしている。
ユダヤ人収容所で本来ならガス室送りのユダヤ人のうち、抜擢されて強制的に作業員にされ、ユダヤ人虐殺の実行部隊をさせられている主人公サウル。
彼のようなユダヤ人たちをゾンダーコマンドと呼ぶ。
衣服の背中には不気味な赤い×印。
彼らユダヤ人が同胞ユダヤ人を言葉巧みにだまして次々と青酸ガス室へ送り込み、大量に殺害し、遺体を灰になるまで焼却する。
汚物、排泄物、血液などで汚れたガス室を大急ぎで清掃し、また次のユダヤ人たちを送り込み、カギをかけては低濃度青酸ガスを送り込む。
低濃度のガスのためユダヤ人たちはすぐには死なず、苦しみもがき、のたうちまわった末に死を迎える。
怒号、絶叫、インフェルノ、地獄絵図。
サウルたちは能面のように無表情に機械のように作業をすすめる。
この日、サウルは偶然に自分の息子(本当に彼の息子なのかどうかは、映画ではぼかされている。)がガス室で殺されるのを目撃する。
まだ息があり最後は窒息死させられ剖検室へと送られる。
サウルはこれを絶好の機会と判断した。
虐殺された大量のユダヤ人たちはまとめて灰になるまで高熱で焼却され、灰は近くの川に流されるのだが、サウルは、なんとか自分の息子の遺体だけは正式なやりかたで埋葬しようと命をかけて奔走する。
その姿を縦軸にして、悲惨な収容所の日々とゾンダーコマンドたちの反乱が横軸に描かれる。
次々と1日1000人単位で送り込まれるユダヤ人の虐殺処理がおいつかず、サウルたちの労働も過酷をきわめる。
そこへさらに1日3000人規模でのユダヤ人たちが送り込まれるようになり、ガス室だけでは虐殺作業が追いつかず、悲惨な銃器や火炎放射器での大虐殺がはじまる。
サウルのような作業員も一定期間働かされてから抹殺されるのだが、その日が近いことを察知し、ゾンダーコマンドたちが反乱をおこすが............といったやたらと重い重い映画でした。
凄惨なシーンのオンパレードだが、短焦点距離レンズのカメラを振り回すように駆使して、サウルの視点で見たような映像で描く。
すなわちサウルの頭や顔部分はピントがあっているが周辺の悲惨な映像は全てぼけるといった特殊カメラワーク。
ピンぼけ映像が一瞬シャープな映像になったりする。
このピンぼけ映像が画面の凄惨さを観客にいやがおうにも連想・想像させるといった特殊な手法を取っている。
ドイツはユダヤ人大虐殺やアウシュビッツ収容所などを、ことが終わった後には全て跡形もなくこの世から消し去る作戦をとった。
それを察知してユダヤ人たちはなんとかこの施設や、そこで行われた大虐殺の証拠を後世に残そうとした。
実際にガラスビンに封印されて地面に埋められた10数個の証拠品(紙に書かれた詳細な記録や少数の施設撮影フィルムなど)が後に発見されアウシュビッツ収容所の存在の物的証拠になったという。
サウルが自分の息子だけは、灰にして川に流すことなく、地面に埋葬することに命をかけたのは、映画製作者は、おそらくそういったことを象徴的に表現したかったのだろうか。
笑顔など、まったく出てこない映画だが最後の一瞬だけ、サウルの笑顔が現れ、すっと映画が終わる。
この笑顔も意味深だ。
この映画は数々の映画賞を総なめに獲得したというが、娯楽映画専門の私の目には止まらなかったようであった。
この映画、すざまじい芸術作品には違いないが、とても娯楽映画とはいえない。
「野火」を見たときと同じで、見なきゃよかったと気がついて、何度も途中で見るのを止めようと思ったがとうとう最後まで見てしまった。
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